第47話 最終決戦 4

 仁王立ちのフロッガは、ふと気づいたように左肩に手をやりました。


 フロッガの左肩には、うっすらと細く赤い筋がついています。クロコディウスの剣が、かろうじて与えたかすり傷でした。傷口に触れた指に、血がついています。


 フロッガは醜悪な笑みを浮かべると、指についた血を長い舌を出して舐めとりました。


「ドゥルク! ドゥルク! おいワニ野郎、めてやるぜえ。オレ様とサシで戦って、ここまで頑張ったヤツはいないぞ」


 倒れたまま動かないクロコディウスと、博士、ビアンカ、ジャッキー、グレミオを順に見回します。


「さあて、食い物は用意できたな。しばらくは腹いっぱい食えるぜえ」


 ジャッキーが短剣を抜きました。それを見たグレミオが諦めたように言います。


「そんな短剣で、なにができるというんだ」


 ジャッキーは気丈に言い返しました。


「うるさい。食われたら、こいつで舌を刺してやるんだ」


 フロッガが、のそりと近づいてきます。いよいよ、進退きわまりました。




 そのときでした。

 フロッガの後ろから、聞きなれた声が聞こえてきたのです。


「おいフロッガ。この世界でテメエに食わせるものなんて、もうなにもねえんだよ」


 思わず振り返るフロッガ。

 そこには、ふたたび立ちあがり、剣を構えたクロコディウスの姿がありました。血反吐を吐き捨てます。


「テメエのせいで、アバラ骨が折れちまったじゃねえか。どうしてくれるんだよ」

「まだ動けるのかワニ野郎!」

「こっちはよぉ、正義の勇者やってんだ。マケマシタゴメンナサイ、ってわけにはいかねえんだぜ」

「なら今度こそ、くたばれ!」


 予想外のしぶとさに腹を立てたフロッガは、槍を振りかざして突進しました。

 クロコディウスは槍の突きを剣で弾きましたが、間髪を入れず繰り出された石突きでの攻撃は避けきれません。石突きで顔面を強打され、倒れこみます。


 それでも、終わりませんでした。

 なんど倒され、打ちのめされても、クロコディウスは立ち上がります。

 長い、長い戦いのはじまりでした。





 何時間経ったでしょうか。二人の戦いは、果てしなく続くかと思われました。

 最初の一撃を放ちあったのは、まだ正午前でした。いまや日は西に傾き、空は砂漠の砂の色を写し取ったようなオレンジ色に染まりつつあります。


 クロコディウスは全身傷だらけです。槍の穂先がかすめた裂傷からは血が流れ、打撲傷が黒い痕を残しています。


 フロッガのほうも、傷こそないものの肩で息をついていました。巨体を維持するだけでも体力を消費します。攻め疲れて、じょじょにスタミナ切れを起こしているのでした。


 もはや何回目になるかわからない、フロッガの槍を受け流したところで、クロコディウスが話しかけました。


「おい、フロッガ。このままじゃラチがあかねえ。そろそろ決着をつけようじゃねえか。を申し込むぜ」


 博士たちには、なんのことかわかりません。


「博士、一撃勝負ってなに?」

「……わからん。が、嫌な予感がする」


 わからないのも当然です。


 一撃勝負とは、クロコディウスやフロッガがもともといた異世界で行われている、決闘のルールのことでした。


 お互いに防御や回避をいっさい行わず、一撃ずつの攻撃だけで勝敗を決める方法です。その性質上、相討ちになる可能性がとても高く、勝てないと悟った格下の者が、死を覚悟して刺し違えるときによく用いられる方法です。


 この一撃勝負を申し込まれた場合、それを断ることは戦士として最大の恥と考えられていました。


「よおし、いいだろう、受けてやる! 自分がオレ様より弱っちいと、ようやく認める気になったようだな!」


 クロコディウスとフロッガは、二十メートルほどの距離をあけて正対しました。博士やビアンカたちがいる場所からだと、クロコディウスの背中を真後ろから見る位置になります。クロコディウスの肩越しに、フロッガの巨体が見えています。


 風がやみました。砂も、虫も、すべてが動きを止め、セカ・イサンは静まり返りました。武芸にうとい博士やビアンカでもはっきり感じられるほどに、二人の殺気が急速に高まっていきます。


「な、なにをするんじゃ?」


 博士のかすれ声に、クロコディウスが短く答えました。


「決まってるだろ、ケリをつけるんだよ」


 二人の戦士が、猛然と突撃をはじめました。二十メートルなど、ほんの一瞬です。しかし博士の眼には、二人の動きが、なぜかスローモーションのようにはっきりと見てとれました。


 フロッガの長い槍が繰り出され、クロコディウスの胴体を刺し貫こうとします。防御も回避もしなければ、より間合いの長い武器を持つほうが有利に決まっています。フロッガは勝利を確信していました。


 「!!!」


 槍が届く瞬間、クロコディウスが身をひねりました。正対していた体をわずかにひねり、半身に近い体勢になります。虚を突かれたフロッガは、あわてて槍の角度を向けなおしました。


 二人の体がぶつかり合う、鈍い音が響きました。そのまま、お互いに相手に体を預けるようにして立ちすくんでいます。ときが止まったように、動かなくなりました。クロコディウスの背中にさえぎられて、二人の手元はよく見えません。


 やがて、フロッガの低い声がしました。


「……避けるなんて卑怯だぞ、ワニ野郎。一撃勝負だと自分で言ったくせに……」

「……ああ。汚いやり口だな。だが、俺は正義の勇者だからな。正義ってのは、必ず勝たなきゃいけねえんだ。悪く思うなよ」


 クロコディウスが剣を離します。支えを失ったフロッガの巨体は、力なく大地に倒れていきました。






 博士の位置から見えたのは、崩れ落ちていくフロッガの姿でした。倒れたフロッガの心臓には、クロコディウスの剣が突き刺さっています。


「か、勝った……の、じゃな?」

「勝った! クロっちが勝ったんだよ!」


 博士とビアンカ、ほぼ同時にあげた叫び声は、歓喜に震えています。


 しかし、クロコディウスが振り向くことはありませんでした。


 駆け寄ろうとした二人の目の前で、クロコディウスの後ろ姿ががくりと膝をつきました。尻尾が力を失い、尻をつきます。そうして、そのままゆっくりと、あおむけに倒れました。


 砂漠の大地に横たわるクロコディウスの腹部には、折れた槍の穂先が深々と刺さっていたのでした。

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