第43話 決戦前夜
その日の真夜中のことです。
焚き火の前で不寝番をつとめているクロコディウスのところへ、博士がやってきました。手には、酒瓶とカップを二つ持っています。
「もう、交代時間か?」
クロコディウスの問いに、博士は首を横に振りました。
「まだもう少し時間がある。その前に、一杯だけ飲まんか?」
「おいおい、見張りに酒をすすめるのかよ。とんでもねえエルフだな」
「なに、見張りはあくまでも念のため。グレミオはプライドの高いヤツじゃからな。自分から決戦の地を指定した以上、意地でもセカ・イサンで待ち受けようとするじゃろうよ。夜襲はありえん」
酒を注いだカップをクロコディウスに手渡すと、博士は隣に座りました。カップに口をつけたクロコディウスが驚きの声をあげます。
「こりゃあ高級酒じゃねえか。どうしたんだこれ?」
「あのならず者どもが貯めこんでおった。わしらは頑張ったからな、これくらいの役得はあってもいいじゃろ」
「へっへっへ、そうだな」
二人は並んで焚き火を眺めながら、ちびりちびりと酒を楽しみます。やがて、博士がおもむろに語りかけました。
「いよいよ、明日は決戦じゃな」
「ああ」
「これまで、いろいろあったのう」
「そうだな。考えてみりゃあ、この世界へきて、あんたと出会ってからまだ半年ほどしか経ってねえんだよな」
「わしはな、正直に言うと、エルフか人間が来ると思い込んでおったんじゃ。おまえさんが現れたときは驚いた」
「たしかに、あんたは妙な顔つきをしてたかもな」
当時を思い出したのか、クロコディウスは目を細めて懐かしそうな表情になりました。オアシスの岸辺の草地から、虫の音が聞こえてきます。
「おまえさんを、たいへんな運命に巻き込んでしまったのう」
博士が火を眺めたまま、しんみりと言いました。クロコディウスが間髪を入れずに、少し怒ったような声で答えます。
「それは女王と話したときにカタがついただろ。もう言いっこなしだぜ」
博士はカップの酒を一口すすりました。それからクロコディウスに視線を向けます。
「わしはな、今日、若いころからの夢がかなったのじゃ。強大な魔法を自在に操りたいという夢がな」
「良かったじゃねえか。じっさい、あれはすごかったぜ」
「じゃが、おまえに出会って、一緒に行動して、もうひとつやりたいことができてな。以前、大陸の地図を見せたじゃろう?」
「ああ、そんなこともあったな」
「グレミオの件が決着したら、いっしょに大陸一周旅行をしようじゃないか。おまえに見せたい場所がたくさんあるんじゃ」
それを聞いたクロコディウスは、ニヤリと笑いました。
「へっ、混沌の時代は五百年つづくんだろ? 正義の勇者がのんびり観光旅行してる暇があるのかよ?」
博士も笑いました。
「あるとも。正義の勇者だって休暇は必要じゃよ」
「じゃあ、こういうのはどうだい? あのとき、南方にも別の大陸があるって言ってたじゃねえか。船に乗って、そこにも行ってみようや」
博士はふいに、真剣なまなざしになりました。声が少し震えています。
「ああ、ぜひそうしよう。だから……死なんでくれよ。わしの一番の願いは、それなんじゃ。約束じゃぞ?」
クロコディウスからは、すぐには返事が返ってきませんでした。博士を見たまま、黙っています。しばらくして、ようやくぼそりと口を開きました。
「……ずいぶん、難しい約束をさせようとするじゃねえかよ」
「わしは立場的に、命をかけて世界を救ってくれ、と言わなきゃいかん。だが、そんなことは言えぬ。わしには世界の命運よりも、おまえが生きてるほうが大事なんじゃ。死なせるのは絶対に嫌なのじゃ」
クロコディウスは、なんともいえない表情をしました。
一匹狼だった彼は、誰かに、こんなふうに言ってもらったのは初めてでした。どんな顔をして、なんと言ったらいいのかわからないのです。やっとの思いで口にできたのは、いつものような斜に構えたせりふだけでした。
「ワガママなおっさんだぜ。だがそこまで言われちゃ、しょうがねえな。約束だ。明日勝って、それから世界一周旅行に出ようぜ」
二人はカップを軽く合わせると、残った酒を飲み干しました。
明日、どんな運命が待ちうけているのか、誰にもわかりません。それでも、生きているかぎりは進みつづけるしか道はないのです。
明日はきっと、長い一日になることでしょう。
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