第35話 激突 2

 フロッガがクロコディウスの腹に剣を突き立てようとした、まさにその瞬間でした。


 ヒュッ、と、風を切る音がしました。時間が止まったかのように、フロッガの動きが止まります。彼の右肩に、クロスボウの矢が刺さっていました。その場にいる全員の視線が、矢の飛んできた方向に注がれます。そこには、怒りの表情でクロスボウを構えたビアンカが仁王立ちしていました。


「なにすんのよ! クロっちから離れろ、カエル!」

「このガキが! やりあがったな!」


 フロッガが左手で矢を引き抜き、ビアンカに向かって怒鳴りました。傷口からは少し血が出ている程度で、ほとんどダメージにはなっていません。しかしクロコディウスにとっては、フロッガの注意をそらしてくれたこの一矢は、じゅうぶんな援護でした。


 クロコディウスの尻尾が鞭のようにしなり、フロッガの足元をすくいました。不意を突かれたフロッガは避けられません。バランスを崩してよろめきました。さらに、尻尾を振った勢いを利用して、クロコディウスが上半身をバネのように跳ね上げます。大きく開いた口がフロッガの喉元をとらえ、鋭い牙が食い込みました。


「グギェッ!」


 フロッガはあわてて剣を放り捨て、両手でクロコディウスの顎をつかんでこじ開けようとしました。ですが、トラバサミのようにがっちりと食い込んだワニの牙は、容易に外せるものではありません。クロコディウスの顎がぎりぎりと閉まっていきます。両者はもつれあうようにして、地面に倒れました。


 血みどろの格闘戦がはじまりました。クロコディウスとフロッガは互いに上になり下になり、地面を転げまわって死闘を繰りひろげます。クロコディウスの顎から逃れて距離をとればフロッガの勝ち、このまま喉を食い破るか、体力を奪えばクロコディウスの勝ちが決まるでしょう。


 二人の体から流れる血が、土を、草を、べっとりと赤く染め上げていきます。いや、もう、二人とは呼べません。二匹の野獣が、野性の本能をむき出しにして殺しあっているのです。


 そんな戦いが、どれくらい続いたでしょうか。ついに、ブチリと肉のちぎれる嫌な音が響きました。フロッガの喉のあたりから、大量の血が噴水のように噴きあがります。返り血で全身を真っ赤に染めたクロコディウスが、体を横に一回転させてフロッガから離れました。


 あおむけに倒れたフロッガは、小刻みにけいれんしています。噛みちぎられた喉は、クロコディウスの口の形に大きくえぐられていました。


 クロコディウスは、片膝立ちで上体を起こしました。口から、血だらけの肉塊を吐き出します。


「こいつらの肉は、不味いことで有名なんだ」


 まだ息のあったフロッガが、血の泡を吹きながら憎々しげに言いました。


「チクショウ……覚えてやがれ……アニキが……オレのぶんまで……仇を取ってくれる……ぜぇ」


 それが最後の恨み言でした、それきりフロッガは力尽き、目を閉じて動かなくなったのです。






 フロッガを倒したものの、クロコディウスは膝をついたままです。自力で立ち上がることができません。


 我に返った博士とビアンカが駆けよります。助け起こそうとする二人ですが、クロコディウスはそれを遮りました。


「俺より先にグレミオだ! あいつを、とっ捕まえるんだ!」


 見れば、グレミオは全力疾走で逃げていきます。建物の陰へと消えようとしているところでした。


 博士とビアンカは後を追おうと走り出しましたが、時すでに遅しでした。馬のいななきと蹄の音がして、グレミオが消えた建物の陰から、一頭の馬が飛び出してきます。乗っているのは、もちろんグレミオです。


「アリウス! きょ、今日のところはこれくらいにしといてやる! アミュレットが欲しければ、セカ・イサンの遺跡まで来い! そこで決着をつけてやる!」


 いまいましげにテンプレチックな捨てぜりふを残すと、グレミオは馬首をめぐらし、南へと一目散に逃げ去ってしまいました。


「くっ、逃げ足の速いやつじゃ」

「それより博士、クロっちが!」

「うむ、そうじゃ!」


 博士とビアンカは、急いでクロコディウスのもとへ戻ってきます。あいかわらず、立てません。


「クロコディウス、しっかりせい!」

「毒って、どうなったの?」

「傷を受けた左足が、しびれて動かせねえ。悪いが肩貸してくれ」


 フロッガが退治されたことに気づいたのでしょう。人質にされていた村人たちが、声を上げて駆けつけてきました。彼らに取り囲まれます。クロコディウスの状態を知ると、みな、心配そうに顔を曇らせました。

 博士とビアンカに両脇から支えられて、クロコディウスは村長宅へと運びこまれます。


 勝つには勝ったものの、あまりにも代償の大きな勝利でした。

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