第37話 幽霊屋敷 1

「あーあーあー、野宿だ。やだなー。やだなー」


 中央山脈の向こうへと夕陽が沈み、空が茜色から黒色へと変わってしまった夜の森の中に、ビアンカの声が響きます。


「クロっちのせいだよ。近道しようなんて言うから」

「しょうがねえだろ。フロッガのせいで時間を食っちまったんだからよお」


 ナモナイ村でフロッガとの激闘を制したものの、クロコディウスが受けた毒のせいで回復までの時間を取られてしまいました。そこで三人はクロコディウスの提案で、本街道を外れて森の中を突っ切る近道を選んだのです。

 その結果、迷子になって野宿という、お決まりのパターンにおちいろうとしているのでした。


「やめるのじゃ二人とも。ほら、あれを見よ。屋敷が建っておる。今夜はあそこに泊めてもらおうではないか」


 博士が言うとおり、少し離れた場所にこじんまりとした石造りの屋敷が建っていました。これもまた、いかにもなお決まりのパターンのように思えます。


「こんな森の中に屋敷とか、怪しいにもほどがあるだろ」

「あたしは行くよ。野宿やだもん」

「チッ。しょうがねえな」


 三人はビアンカに引っ張られるようにして、屋敷へ向かったのでした。






 着いてみると、屋敷は真っ暗でした。無人のようです。ライオンの頭をかたどったノッカーを何度も叩いてみましたが、応答はありません。


 諦めきれないビアンカがドアの取っ手をつかんで引くと、ドアは簡単に開いてしまいました。


「やったー」

「待てビアンカ。他人の家に勝手に入るというのは、よろしくないことじゃぞ」

「誰もいないなら平気だって。嫌なら博士だけ外で寝れば?」

「それは……」


 結局、三人は中へ入りました。なんだかんだ言っても、みんな野宿は嫌なのです。最後のクロコディウスが取っ手から手を離すと、ドアがゆっくりと閉まりました。


 ビアンカがランタンをかかげると、室内がぼんやりと照らし出されました。いま三人がいるのは玄関ホールです。床にはホコリが厚く積もり、天井や壁には大きな蜘蛛の巣がいくつもかかっています。空き家に間違いないでしょう。


 屋敷は二階建てです。ホールの正面に、二階へ上がる階段。ホールの左右と正面階段の両脇奥の壁に扉があります。二階はよく見えませんが、たぶんいくつか部屋があるでしょう。左右対称の、オーソドックスな造りです。


 ただ少し、妙なことがありました。室内の荒れぐあいからみて、屋敷の手入れがされなくなってからそうとうの年月が経っているはずなのですが、建物自体の傷みがほとんどないのです。


 扉や階段の手すりなどの木製の部分も、まったく朽ちていません。そのいっぽう、玄関脇には崩れた木の残骸が散らばっています。いかにも、木製のコンソールでも置いてあればオシャレだろうな、と思える場所です。


 とはいえ、野宿回避のためにはそんなことを気にしてはいられません。ビアンカはさっそく部屋を物色します。


「んー、どこで休もうか。博士どう思う?」

「そうじゃなあ。普通、一階は食堂や応接室で二階に寝室があるもんじゃ。だが一晩だけだから、あちこち見て回るほどでもないじゃろ。左右どっちかが応接室じゃろうから……!!!」


 博士がそこまで話したときです。屋敷のどこかから、なにやらくぐもった声のようなものが聞こえてきました。三人はぎくりとして動きを止め、耳を澄まします。


 再び、声が聞こえました。今度はもっとはっきりと。奇妙な笑い声が、二階から聞こえてきます。クロコディウスが剣を抜き放ちました。


 クロコディウス、ビアンカ、博士の順で階段を上りました。歩くたびに、階段がぎしり、ぎしりと軋みます。笑い声は、左端の部屋から聞こえてきます。三人が声のする扉の前に立つと、笑い声はぴたりとやみました。じわりと汗がにじんできます。ややあって、驚いたことに中から声が聞こえてきました。


「どうぞ。入りたまえ」


 クロコディウスが、思いきり力を込めて扉を開きました。一気に室内へと飛び込みます。続いてビアンカ、そして博士。


 その部屋は書斎でした。朽ちて崩れた書棚と机の残骸が床に散らばり、放置された年月の長さを感じさせます。その残骸の中、一人の年老いたエルフがひじ掛け椅子に座っていました。


 白いあごひげを胸のあたりまで伸ばしたそのエルフは、博士よりももっと年上のように見えました。背筋を伸ばし、堂々としています。着ているローブには金糸銀糸の豪華な刺繍ししゅうが施され、元はひとかどの人物であったことをうかがわせました。


 そう、あくまでも『元は』です。なぜなら、エルフの姿は半透明で、背後の壁がうっすらと透けて見えるからです。この年老いたエルフは幽霊だったのでした。


 エルフの幽霊は、部屋に入ってきた三人をじっと見つめています。三人も、幽霊がなにを仕掛けてくるか、身構えたまま様子をうかがいます。しばらく沈黙が続いたあと、幽霊は威厳に満ちた態度で、重々しく口を開きました。


「木こりの斧が折れちゃった。オー! ノー! ワハーッハハハッ!」


 部屋の温度が、急激に下がったように思われました。まだ初秋だというのに、凍えてしまいそうです。それほどまでに寒いギャグでした。


「さ、寒い。寒いよ」


 震えはじめたビアンカ。幽霊は自分のギャグに大笑いしています。この笑い声は間違いありません。さっき一階で聞いたのは、この幽霊が自らのギャグを自画自賛する笑い声だったのです。そのとき博士が、はっと気づいたように叫びました。


「あ、あなたは! そうじゃ、肖像画で見たことがありますぞ! あなたはかの高名な大魔導士、シヤレスキー様ではありませんか!」


 大魔導士と呼ばれた幽霊は、満足げに微笑みました。


「私の名を覚えている者がまだいたとは、嬉しいことじゃ」

「なにをおっしゃいますか。あなたはいまでも、歴史上最も偉大な魔導士の一人として語り継がれております!」

「部屋が荒れていてすまんのう。劣化防止の魔法は、建物に作りつけの部分までしか効果が及ばぬ。家具類はこのとおり、原形をとどめておらん」


 どうやらこの幽霊、生前は大魔導士だったようです。博士は伝説の偉人に会えて、もう有頂天です。今にも、サインでもおねだりしそうな浮かれようでした。



 






 

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