第32話 災厄の影 1
約半日の船の旅を終えて大河ドラゴンテイルを渡りきると、一行は再び陸路を急ぎます。
大河を渡ってしばらく馬を進めたあたりから、街道沿いの風景は少しずつ変化を見せはじめました。
これまでは広々とした小麦畑が景色の大半を占めていたのですが、それが徐々に減り、起伏のある牧草地がしだいに増えてきました。街道も、軽い上り坂が増えてきています。博士が説明しました。
「このあたりは丘が多くてな、しばらくは起伏がある地形なのじゃ」
なだらかな丘陵地帯を進むにつれ、もう一つ、変化がありました。これまでとは異なり、一行とは反対方向、つまり南から北へ向かう人々とすれ違うことが目立って多くなったのです。
しかもそうした人々の多くが、家財道具を荷車に積んでいたり、小さな子供の手を引いていたりします。普通の旅行者ではなく、避難民なのでした。
「なんかこれってさあ、だめな感じだよね?」
すれ違った母子連れを見送りながら、ビアンカが不安を口にしました。母親は両手に一人づつ、二人の子供の手を引き、さらに赤ん坊を背負って疲れた様子で歩いていきます。
「だめな感じってなんだよ、ずいぶん大雑把な言い方だな。だけど、当たってるぜ。こいつは、かなりだめな感じだ」
「同感じゃ。南で、しかもあまり遠くないあたりで事が起こったようじゃな」
「次の町はスターヒルだよね?」
「うむ。平時ならば、美しい星空が楽しめる、旅人に人気の町なんじゃがのう。そんな悠長なことは言ってられんじゃろうな」
その日の午後遅く、三人は小高い丘の上に佇む、星降る町スターヒルに到着したのでした。
町の中は不穏な空気に包まれていました。広場や通りのあちらこちらに、避難民の姿があります。大小の荷物を抱えたり、着のみ着のままだったりとさまざまですが、みな一様に、疲労と不安の表情を浮かべていました。
治安の悪化を未然に防ごうと、警備兵が忙しく動き回っています。宿もいっぱいで、三人は四軒目でようやく一部屋取ることができました。
宿が決まると、ビアンカはすぐに盗賊ギルドへ出かけていきました。これだけの騒ぎになっていれば、なにかあったことは確実です。
博士とクロコディウスも、情報収集を始めます。
二人は、南門の付近で立ちすくんでいる親子連れに声をかけました。両親と女の子が二人、途方に暮れた様子です。
「ちょっと聞きてえことがあるんだ。いったい、何が起こった?」
クロコディウスを見て、姉妹は怯えた顔になりました。博士が奥さんに銀貨を手渡します。
「大丈夫、わしらは南方に用があってな。話を聞きたいだけなんじゃ。お嬢さんがたに、何か食べさせてやりなされ」
父親が頷くと、母親は何度も博士に礼を言い、娘を連れて街の中へ入っていきました。
「すいません、金なんか頂いて」
「なに、困ったときはお互い様じゃよ」
「で、何があったんだよ?」
男は身震いしました。
「モンスターが襲ってきたんだよ!」
「カエルのモンスターか?」
「そう、そうだよ! 二本足で歩く、ばかでっかいカエルだ!」
男は興奮気味に言いました。自然と声が大きくなります。博士が、声を落とすように手ぶりで注意しました。
「場所は?」
「すぐ南の、ナモナイ村だ。俺たちはそこの出身だよ。もっと南のほうにモンスターが出たって噂はあった。それで早めに避難した村人もいたんだ。俺たちもそうすべきだった。でも迷ってるうちに……こんなに早く襲ってくるとは思わなかったんだ」
どうやら、フロッガに間違いないようです。クロコディウスは舌打ちしました。男は熱にうかされたように話し続けます。
「たまたま村に二人組の傭兵が滞在してたから、村長がそいつらに退治を依頼したんだ。でも、あっという間にやられちまって、そしたらあのカエル、どうしたと思う? その傭兵の手足を食い始めたんだ! そんなとこ、娘たちに見せられるわけないだろ! だから俺たちはみんな、すぐに逃げてきたんだ」
男は荒い息を吐きました。博士が尋ねます。
「モンスターと一緒に、エルフがおったじゃろう? 見たかね?」
「ああ、いた。あんたと同じくらいの年恰好だったよ。逃げまどう俺たちを見て、笑ってやがった」
「よく話してくれたのう。ありがとう」
別れ際に、博士は男にも銀貨を一枚握らせました。事態は深刻です。
ビアンカが盗賊ギルドから戻ってきたのは、日が暮れた頃でした。
ギルドの情報は、避難民の話と一致していました。すぐ南のナモナイ村がモンスターに襲われたこと。モンスターはカエルの獣人であり、エルフが同行していること。もう、間違いありません。
「ギルド員が、交代で監視してるって言ってた」
「そうか。……いよいよ、勝負だな」
「のう、ビアンカ。おぬしはここで待ってはどうじゃ?」
博士の勧めに、ビアンカは不満そうに言い返します。
「やだ。ここまで来て、今更そういうこと言う?」
「じゃがな。この先は危険じゃ。はっきり言うが、クロコディウスが勝てる保証は無いのじゃ」
「ああ。他人に言われると悔しいけどよ、事実だぜ」
「やだ。一緒に行く。あたしさ、二人のこと仲間だと思ってたのに。そんなこと言うなんて、ひどいよ」
ビアンカは目に涙をためていました。ウソ泣きの表情ではありません。こんなに真剣な顔つきのビアンカを見るのは初めてでした。博士とクロコディウスは肚を決めました。
「よくわかった。すまなかったの。一緒に来て、見届けてくれ」
「フロッガはキモいぞ。覚悟しとけよ」
明日は朝一番でナモナイ村へ向かうことになります。三人は準備を整えると、早々に床に着いたのでした。
真夜中、クロコディウスとビアンカは誰かに揺り起こされました。博士です。寝ぼけ眼の二人に、博士は小声で囁きかけました。
「ちょっとだけ、起きてこぬか? いいものが見られるぞ」
博士は二人を宿の外へ連れ出しました。宿の主人には話をつけてあるようです。
「ほれ。これが星降る町スターヒルの名物じゃ」
博士の指さす上空には、満天の星が輝いていました。クロコディウスとビアンカは目を見張ります。
「すごーい! すごいすごいすごーい!」
「わしらには、明日の夜は来ないかもしれんからのう。どうしても今日、見せておきたかったんじゃよ」
「縁起の悪いこと言うなって。お、流れ星だぜ」
流れ星が一筋、星々の間を縫うように長く尾を引いていきます。
「流れ星ってさあ、なんか悲しいよね。仲間の星たちと別れて、一人でどっか行かなきゃいけないんだよ」
ビアンカが、しんみりした口調でつぶやきました。博士はパイプをふかします。三者三様、さまざまな思いを胸にいだき、スターヒルの夜空を眺める三人でした。
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