第31話 大河ドラゴンテイル 2

「耳栓を外してください。セイレーンの名誉にかけて、話をする間は歌いませんから」


 鳥のセイレーンはビアンカが耳栓をしていないことに気付いたらしく、そう話しかけてきました。ビアンカがそれを手ぶりで伝えると、博士とクロコディウスも耳栓を外します。


「はじめまして。私はセイレーンのヘレナ。こちらは妹のソフィアです」


 鳥のセイレーンは名乗りました。人魚のセイレーンのほうも、名前を呼ばれておずおずと頭を下げました。姿形は違っていますが、どうやら二人は姉妹だったようです。二人ともずいぶんと丁寧な物腰で、どうも町で聞かされた話とは少々違っているように思えてきます。


「おうおう、誰に断ってこんなとこに住み着いて歌なんか歌ってんだよ? ショバ代も払わねえで勝手なことするんじゃねーぞ。わかったらさっさと失せろよ」


 クロコディウスとしては、これで交渉しているつもりなのです。これではどちらが悪役かわかりません。


「あははは! クロっちさあ、どこでそんな脅し文句覚えたの? いまどき、盗賊ギルドの最古参でもそんな台詞使わないよ?」


 時代錯誤感が丸出しな台詞にビアンカは大笑いです。ヘレナが答えました。どちらかというと、ビアンカに話しかけようとしているようです。


「そこをなんとか、あと少し待ってもらえませんか? 私たちにも事情があるのです」

「へー、どんな事情?」

「実はいま、私たちセイレーンは繁殖の季節なのです」

「繁殖?」

「ええ。セイレーン族は女しか生まれません。ですから、種の保存のためには人間の男性に協力してもらわないといけないのです」

「ああー、そういうことかあ」

「種の保存と来やがった。まったく面倒な話を持ち出してきたもんだぜ」

「あー、そういう言い方ひどーい」


 女性同士ということもあってか、ビアンカはすっかりセイレーン姉妹に同情的です。


「お母さんになるって大変なことなんだよ? それなのに追い出すとか、クロっち最低だよね」

「そういう問題じゃねえだろ。こっちはフロッガ討伐で急いでんだ。船が出ないと先に進めないんだぜ? わかってんのか?」

「ちゃーんとわかってるもんねー。あーあ、男ってやだやだ」

「だいだいよお、なんで俺たちがセイレーンの種の保存に配慮しなきゃならねえんだよ? モンスターだぞ?」

「あー差別だー。みなさーん、クロっちは種族差別主義者でーす」


 これはもう、完全に子供同士の口ゲンカです。ヘレナが遠慮がちに切り出しました。


「あの、では今夜ひと晩だけ待ってもらえませんか? 私は既に受胎していて、あとは妹だけなのです。月の満ち欠けで占うと、今宵が一年で最も繁殖に適しています。明日になったら、私たちは海へ帰ります。ですから、どうか」


 ヘレナの懇願に、クロコディウスも考え込みました。ここで戦えば、漁師たちは黙っていないでしょう。被害を出すことになるのは確実です。ビアンカの勝ち誇った顔を見るのは悔しいことこの上ありませんが、苦渋の決断です。


「……ひと晩だけだぞ。明日の正午までに、漁師全員を無傷で返してもらう。約束できるか?」

「ありがとう。お約束します」

「いやー、やっぱクロっちは正義の勇者! 男の中の男だね!」

「うるせえ、調子いいんだよお前は!」


 最後にビアンカがもう一つ、条件を出しました。


「あのさ、この漁師さんたちにも家族がいるんだよね。場合によっては奥さんとか子供とかさ。だから、ね?」

「ええ。この地域の人間が一夫一婦制なのは知っています。魅了中の記憶は一切ありませんから、ご安心ください」


 最善策かと問われれば、かなり疑問が残ります。特に最後のくだりは、バレなければいいというものではないような気が……。ですがこれでようやく、事が収まりそうです。クロコディウスとビアンカは船に戻ろうとしました。が、博士はまだ動きません。


「おい博士、ダキョウノサンブツながら話はもうついたからよ、帰ろうぜ」


 クロコディウスが促すと、博士は振り向きました。ところがなぜか、クロコディウスとビアンカに手を振ります。


「ああ、それじゃ明日また会おう」


 噛み合わない会話に、ビアンカが聞き返しました。


「博士、何言ってんの?」


 博士は驚愕の一言を放ちました。


「おぬしたちこそ何を言うか。わしはヘレナちゃんとソフィアちゃんと三人一緒に楽しく過ごすんじゃ。めくるめく一夜を共にするのじゃよ」


 クロコディウス、ビアンカ、ヘレナ、ソフィア。その場にいる者すべてが呆気にとられました。特にソフィアは、気味悪さで泣きそうです。


「これって……完璧に魅了されてるよね」

「ああ。耳栓が緩かったんだな。詰めの甘いおっさんだぜ」

「博士ー、バカなこと言ってないで帰ろうよー」

「やめよ。止めるでないぞ、ビアンカ。愛に勝る感情など、あり得ぬのじゃ」


 泣きそうなソフィアに、困惑するヘレナ。


「困りました。魅了されると、普通は漁師さんたちのようにもうろうとした状態になり、セイレーンに関すること以外は興味を示さなくなるのです。ですがこの方はエルフ。魔法に対する抵抗力が高いため、自我を保ったまま魅了状態に陥っていますね」


 博士は頑として説得に応じようとしません。クロコディウスも面倒になってきたのか、ヘレナに丸投げしようとします。


「このおっさん、ひと晩置いてってもいいか?」


 しかしヘレナも首を縦には振りません。


「申し訳ありませんが、セイレーンとエルフは繁殖の相性が悪いのです。それに、この方はそれなりにご年配ですし。若くて健康な人間が最適なのです」


 要するに博士はお邪魔のようです。ラストチャンスの一日を無駄にしたくないというセイレーン姉妹の気持ちもまあ、理解できなくはありません。


「そ、そんな! ヘレナ、ソフィア、お願いじゃ。なんでもするから、わしを捨てないでおくれ!」


 ヘレナの足元にすがりつこうとする博士。無情にもヘレナはふわりと後方へ舞い上がり、ソフィアの側に降りました。クロコディウスが博士を肩に担ぎあげます。


「ったく、世話が焼けるぜ。じゃあヘレナ、明日の正午、忘れるなよ」


 じたばたする博士を担いだまま、クロコディウスが船に乗り込みます。ビアンカはすでに櫂を握っています。


「嫌じゃー! ヘレナちゃーん! ソフィアちゃーん!」


 博士の悲しい叫びもむなしく、三人を乗せた船は島を離れたのでした。






 翌日の正午、約束通り漁師たちは帰ってきました。島で何があったのか、誰も覚えていません。その日を境に、セイレーンの歌が聞こえることもなくなりました。船も再開です。いちおうの決着をみた、といえるでしょう。


 ちなみに博士ですが、港に戻ったころには正気を取り戻していました。漁師たちと同じく、何も覚えていません。博士の名誉のため、ひいては自分たち一行の名誉のため、島での出来事はとうぶん秘密にしておこうと約束する、クロコディウスとビアンカでした。

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