第30話 大河ドラゴンテイル 1

 三人が王都を発ってから、はや二週間余りが過ぎました。


 ここまでの旅は好天にも恵まれ、とても順調です。王都から南へ延びる大街道を進んでいるわけですが、毎日確実に距離を稼いでいます。


 博士によれば、王都からヒヨリ・ミスル国境まで馬で約一か月。すでに、行程の半分まで来ているのです。王都を出発したときにはまだ青かった街道沿いの麦畑が、日を追うごとに少しずつ、黄金色に変わっていくのがわかります。


 途中、二度の戦闘がありました。一度目は群れからはぐれたゴブリン、二度目は狼です。いずれも、クロコディウスの敵ではありませんでした。


 ちなみに、ビアンカはクロスボウという新しいオモチャを試したくてたまらない様子で、積極的に援護射撃しています。ただ、一度も命中はしていないのですが。


 クロスボウよりもビアンカの存在感が際立ったのが、情報収集でした。町に着くと、ビアンカは必ず盗賊ギルドに顔を出します。そして、いろいろと情報を貰ってくるのです。おそらく、ジェムズの指示が行き届いているのでしょう。


 今のところ、大きな動きはない、というのが最新情報です。とはいえ、盗賊ギルドのネットワークには、博士もクロコディウスも脱帽せざるをえませんでした。


 そうこうするうちに、一行はある日の夕暮れ、大きな河畔の町に到着しました。対岸は見えません。橋はなく、船着き場が設けられていて、船乗りや旅人たちがたむろしていました。石造りの立派な船着き場には、海洋航行にも耐えられそうな二本マストの中型帆船が一隻停泊しています。よく整備された川港でした。


「でけえ川だな」

「うむ。これぞ大陸一の大河、ドラゴンテイルじゃ。中央山脈の最高峰に源を発する、大自然の創造物じゃよ。川幅が広すぎて橋を架けられないのじゃ」

「船で渡るんだよ。あたし一回だけ乗ったことあるんだ。朝乗って、夕方までかかったんだよね」


 港の近くに宿を取った三人。すると、宿屋の主人はクロコディウスの顔を見るなり大喜びしました。


「いやあ、助かったよ! よろしく頼むぜ!」

「何がだよ?」

「あれ? あんた正義の勇者だろ? 助けに来てくれたんじゃないのかい?」

「何かあったのかね?」

「ここからいちばん近い中州の島に、セイレーンが住み着いたんだ。漁師が何人か、さらわれてねえ。危険だから、数日前から渡し船は欠航なんだよ。ワニの姿をした正義の勇者が各地で世直し旅をしてるって噂だから、てっきり退治に来てくれたとばかり……」


 セイレーンとは、人間の女性の顔をした半人半獣のモンスターです。魔法の歌で船乗りを魅了して、おびき寄せて襲うのです。それはそれとして、どうやら困ったことに、かなり尾ひれのついた噂が広がっているようでした。


 いくら困ったと言ってみても、解決にはなりません。セイレーンをなんとかしないと先に進めないのですから。三人は否応なく、セイレーン問題の解決に駆り出されることになったのでした。





 博士とクロコディウスはしっかりと耳栓をし、宿の主人が手配した小型船に乗り込みました。ビアンカは女性なのでたぶん大丈夫でしょう。オールを漕ぐのはクロコディウスです。


 やがて島に近付くにつれ、女性の美しい歌声が聞こえてきました。その声は時には優しく、時には物悲しく、大河を渡る風に乗って広がります。こんな甘美な歌声を聞かされれば、むくつけき船乗りたちが正気を失ってメロメロになるのも無理はありません。もちろん、耳栓をした二人には聞こえていないはずですから安心です。


 島には二艘の漁船が、船首を砂地に乗り上げる形で泊まっていました。

 問題のセイレーンは探すまでもなく、すぐに見つかりました。漁船から少し離れた川べりの、一メートルほどの高さの岩の上に座って歌っていたのです。


 セイレーンは二人いました。一人は茶色の翼と、足にケヅメを持った半人半鳥の姿、もう一人は人魚のような姿をしています。顔だけ見れば、二人とも金髪の美しい女性ではあります。


 その周りには、さらわれた漁師と思われる男が六人。砂地に座り込み、岩の上のセイレーンを恍惚とした表情で見上げています。


 クロコディウスたち三人が船から降りると、気付いたセイレーンは歌をやめ、こちらの様子を伺いました。人魚のほうは、明らかに怯えているようです。鳥のほうは翼を広げて岩から舞い降りると、人魚をかばうように前へ出ました。


 それを見たクロコディウスは、待ってましたとばかりに背中の大剣を引き抜きました。もともと好戦的な性質です。ハーフオーガのワルダー以降、旅に出てからも、歯ごたえのある相手とは剣を合わせていません。そろそろひと暴れしたくて、うずうずしていたのです。


 獲物を狙う肉食獣ように、舌なめずりをしながらセイレーンのほうへ一歩、二歩と踏み出したときです。思わぬ邪魔が入りました。


 それまでぼーっとセイレーンを見つめていた漁師たちが、やおら立ち上がりました。セイレーンを守るかのように、クロコディウスの前に立ちふさがります。クロコディウスの敵意を感じたのでしょうか。


 漁師たちは、手に手に銛や鉤竿などを構えています。セイレーンが命令したようには見えませんでした。どうも、自主的な行動のようです。


「チッ」


 クロコディウスは舌打ちをして、接近を一時停止しました。


 元の世界で賞金稼ぎをしていた頃なら、こんなことは平気でした。相手が誰だろうと、目的のためなら問答無用で蹴散らせばよかったのです。実際、そうしてきました。


 しかし、今は少し事情が違います。正義の勇者などという肩書きがついたせいで、一般人を傷つけるわけにはいかなくなってしまいました。それは正義の勇者にふさわしくないからです。そんなことをしたら、自分のことを正義の勇者だと公言している、博士の顔に泥を塗ることになるからです。


 正義を名乗ることは、実は不利な制約を甘んじて受けることでもあり、はたから見る以上に面倒なことなのかもしれません。

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