第12話 アリゲイト博士の地理学講座
じょじょに暑さが募りつつある、ある日のことです。バウマン雑貨店の荷馬車が、博士の家の前に止まりました。御者台から降りてきたのは、バウマンさんとアリゲイト博士です。一昨日から王都へ行っていた二人が帰ってきたのでした。
博士のぶんの荷物を降ろしてから、二人は玄関先でなにか話しています。たぶん、荷馬車に便乗させてもらった礼を言っているのでしょう。やがて握手を交わすと、バウマンさんは去っていきました。
二人の到着に気づいてクロコディウスが出迎えに出てきたのと、バウマンの荷馬車が走り去るのはほとんど同時でした。
「おかえり。あれ、バウマンのおっさん、もう行っちゃったのか」
「仕入れた商品を早く整理したいそうじゃ。ドラゴンの卵の化石を仕入れたらしい」
「そんなうさん臭い商品、誰が買うんだよ」
「わしも偽物っぽいとは思ったがな。まあ、どんな商売をするかは自由じゃよ」
博士は、王都で買ってきた品々を家の中へ運び入れました。鼻歌など歌って、ずいぶん上機嫌です。
「なんだよ博士、ずいぶんゴキゲンじゃねえか」
クロコディウスが水を向けると、博士は待ってましたとばかり、嬉しそうに答えました。
「うん、うん、実はな。わしも一つ、いいものを手に入れたんじゃ」
博士は普段着のローブに着替え、買ってきた魔導具の類を所定の場所へ収納します。それが終わると、筒状に巻かれた紙を手にして居間へやってきました。
「これじゃよ」
巻かれた紙を、テーブルの上に広げました。五十センチ四方ほどの、ほぼ正方形の紙です。興味津々で覗きこんだクロコディウスは、思わず目を見張りました。
「地図じゃねえか! すげえな博士、こんなの、どうやって手に入れたんだよ!?」
「最高峰といわれた地図職人イーノの原本を、かなり正確に写し取った逸品じゃ。値は張ったが、それだけの価値はある」
博士は得意満面です。
「そうか、この世界じゃ一般人でも地図が買えるんだな」
「違ったのかね?」
「ああ。俺の国じゃ、地図は軍事機密の扱いだからな。普通の店には売ってないんだ。庶民が持ってたら没収か、運が悪いときは投獄されちまう」
「厳しいのう。だが、この世界の地図にもそういう側面はあるのじゃよ。ほれ、このとおり街道や砦の位置などは記されておらん」
クロコディウスは興味深そうに地図を眺めています。
「これ、この世界全体の地図なのかい?」
「いや。我々の住む、この大陸の地図じゃ。南方にもう一つ、ここより小さな大陸がある。それ以外は、大洋の向こうがどうなっておるか、まだわかってはおらん」
「そうか。でもすげえな」
地図で見ると、ファンタジア大陸は菱形に近い形をしていました。菱形の両端が、時計の針の十時と五時の方向です。正確な菱形ではなく、北と南で少しずれた、ややいびつな菱形です。大陸の南端からは、南方向に尻尾のような半島が突き出していました。大陸周辺には、大小いくつかの島が描かれています。
「点線は……国境か?」
「うむ。せっかくの機会じゃから、少し補足説明しようかの」
大陸は、点線で四つに区切られています。博士はその中の一つ、北東にある、最も面積の大きい場所を指で押さえました。
「この大陸には、大小合わせて十数か国が存在しておる。そのなかで、主要な国は四か国。そしてここ、最も広く歴史ある国が、我がファンタジア王国じゃ」
「この丸印が王都ってわけか」
「そう。王都ファンタジアは、国のほぼ中央じゃな。イナカン村は地図には載っておらんが、このへんじゃ」
博士はそう言いながら、丸印の南東のあたりを示します。
「二番目に大きい南西部の国が、トゥナリー王国。軍事に力を入れておる。ファンタジアとは何度も大戦争を戦ってきた、最大のライバル国じゃ。混沌の時代となれば、最も警戒すべき国じゃのう」
「国境線が長いな。大丈夫なのかよ?」
「幸か不幸か、国境は、中央山脈という大陸中央部を走る大山脈で隔てられておるのじゃ。お互いに容易に攻め込めない地形じゃから、何度戦っても決定的な勝敗がつかないのじゃよ」
「北西の辺境部にあるのが、ユーコウ。ドワーフやノームが多く住んでおる。我が国とは古くから、緩やかな同盟関係にある」
「最後の一つが、ヒヨリ・ミスル。南の半島とその根元あたりを領土にしている。新興の貿易国家で、造船技術と航海術に長じておるな。国土は小さいが外交の駆け引き上手で、したたかに立ち回る国でもある。まあ、説明はこんなところじゃ」
「博士よ、アンタさすがに学者だけあって物知りだな。見直したぜ」
知らないことを知る楽しみ、とでもいうのでしょうか。博士の講釈が終わった後も、クロコディウスは飽きずに地図を眺め続けていたのでした。
夕闇が迫り、部屋はランタンの明かりに照らされています。
「あの地図、ずいぶん気に入ったようじゃな」
「ああ。知らない土地のことを、あれこれ想像するのは楽しいもんだな。俺は賞金稼ぎだから、旅をするのも苦じゃないし」
「おまえさんの世界のことも知りたいものじゃ」
「たいした世界じゃねえよ。それに俺は、アンタみたいに上手く説明できねえ。じっさい、元の世界の地図を見たことがないから、自分が住んでた世界がどんな形なのかも知らねえんだ」
クロコディウスは少し悔しそうに、そう言いました。
「そういえば、このファンタジア世界と言葉が似ている地方があると言っておったな?」
「ドゥルク・ドゥルク・ブライオウェ・ドゥルクだな」
博士はいつものように、パイプをふかします。部屋の中をゆっくりと歩きながら、自説を話しはじめました。
「そうそう。なかなか魔法的な響きのする地名じゃと思っておったのよ」
「そうか?」
「うむ。おそらくは、深遠な魔術的意味のある言葉に間違いないじゃろうな。うん。ドゥルク、ドゥルク!」
クロコディウスはなぜか笑いをかみ殺すようにして拝聴していましたが、ついに我慢できなくなったようです。
「へっへっへ。上手いな。よく似てるぜ」
「何がじゃ?」
「ドゥルクってのはな、その地方に生息してる巨大ガエルの鳴き声からとった地名なんだってよ。よく似てるってのは、つまりそういうことさ」
「カ、カエル!?」
「知ったかはするもんじゃねえな。うひゃひゃひゃひゃ!」
「うぐぅっ! アリウス・アリゲイト、一生の不覚っ!」
悔しがるアリゲイト博士。追い打ちをかけるように、窓の外からは、カエルたちの陽気な鳴き声が聞こえてくるのでした。
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