第9話 お馬鹿な恋の物語 1
イナカン村に、爽やかな風が吹く季節になりました。
ファンタジア王国の人々が『初夏の風』と呼ぶ、乾いた南風です。ファンタジアの南に位置する国の名をとって『ヒヨリ・ミスルの風』と呼ぶ人もいます。この風が吹くと、季節は春から夏へと移ってゆくのです。
毎年、夏の空気を運んでくるこの風は、これから始まる暑い季節に何かを期待させるような、ワクワクさせるような、そんな雰囲気も同時に運んでくるのでした。
そして、そんなちょっと浮ついた雰囲気に背中を押されたのか、一人の青年がトラブルの種を持参して、博士の家を訪れたのです。
「フランおばさんの紹介で来たんです。お悩み相談ならここが良いって」
青年は、最初にそんなことを言いました。ひょろりと痩せていて、気の弱そうな顔をしています。
「エンセン君じゃないか。珍しいのう。クロコディウス、こちらはフランさんの甥御さんのエンセン君じゃ」
どうやらこの青年、大家のおばさんの甥っ子のようです。エンセンは腰掛けると、さっそく用件を切り出しました。
「さっそくですけど、僕、結婚したいんですよ」
あまりにも唐突な話に、クロコディウスと博士は唖然としました。
「おばちゃんの名前が出たからロクな話じゃないと思ったけど、やっぱりロクでもない話だったぜ。相談するとこ間違ってんだよ。入ってきた扉からさっさと帰りな」
「相談に乗ってくれないと、おばさんに言いつけますよ?」
「ぐっ……やむを得んじゃろう。クロコディウス、頼むぞ」
「また始まったよ。ったく。さっさと話せよ」
クロコディウスはソファに寝転がりました。横向きになって肘枕をします。聞きたくないけど頼まれたから仕方なく嫌々聞いてやるよ、という心情を強くアピールしているのです。
「相手は幼なじみのリズなんです」
「金物屋の娘のリズか」
「はい」
「やめとけ。ああいうはっちゃけ娘は、ずっと一緒にいるとうるせえぞ」
「わしも同意見じゃ。あの子には勤勉さが欠けておる」
せっかくの忠告ですが、エンセン君は聞く耳を持ちません。恋は盲目といいますが、耳も聞こえにくくなるようです。
「リズの悪口はやめてくださいよ。それに、十二年前に婚約してるんです。でも僕はシャイな内気ボーイだから、面と向かって結婚しようなんて言えなくて」
「待て。おまえ、いま何歳だよ?」
「僕は二十歳で、リズは十八ですよ」
「そういうのは婚約とは言わねえ。オママゴトっていうんだ」
「でも、何度も妄想でデートした仲なんですよ?」
「妄想デートはデートの回数にカウントされねえんだよ。そもそも妄想でデートって、おまえ、ちょっとアレだぞ。博士、こんなのどうすんだよ」
「ラブレターを書きなさい」
博士から、いきなりの具体的提案です。博士はお気に入りのパイプに火をつけると、なにを思ったのかラブレターにまつわる昔語りを始めました。
「わしが魔法学院の学生だったときじゃ。憧れの先輩がいてな。聡明で美しく、わしにとって理想の女性といえる存在だった。だが当時のわしは、魔術師の素質がないことを思い知って魔法学者の道に転向したばかりでな。自分に自信が持てず、告白する勇気が出なかったのじゃ。それでも、どうしても気持ちを知ってもらいたくて、溢れんばかりの思いを込めてラブレターを書き、手渡したのじゃ。読んでください、程度なら言えたのでな」
「それで、どうなったんです?」
「彼女は手紙を開封せずにそっとわしに返した。そしてこう言ったのじゃ。『愛や恋はとても素晴らしいものですけど、わたくしたちには、それ以上にやるべきことがありますわ。切磋琢磨して勉学に励み、これからも良き学友としてお付き合いしましょうね』とな。わしはそれを聞いて恋愛に逃げていた自分に気づかされ、手紙を燃やして魔法学者の道を歩む決意をしたのじゃ。どうじゃ、いい話じゃろうが」
「どこがいい話だよ。体よくフラれただけじゃねえか」
クロコディウスが呆れたようにツッコミを入れました。
「オブラートに包まない言い方をすれば、まあ、そうじゃが」
「しかも、ラブレターがなんの役にも立ってないじゃないですか。長々と失恋の話なんて縁起が悪いなあ、もう」
残念ながら、博士の青春の思い出は参考にならなかったようです。エンセンは続けて言いました。
「とにかく、僕が男らしくて頼りになる人間だとリズに証明してくださいよ」
「おまえは男らしくないし頼りになりそうもないだろ。そんなの証明できねえよ」
「そこをなんとかするのが正義の勇者じゃないですか」
「ひどい勘違いだな」
しつこく頼むエンセンに、ついにクロコディウスも根負けしました。
「わかったわかった。つまり、リズにかっこいいとこ見せたいんだろ?」
「ええ」
「じゃあ一回だけ協力してやる。俺はいまからリズのところへ行って、なんか悪いことをする」
「悪いことってなにするんですか?」
「思いつかないけど、なんか悪いことだよ。で、おまえはこっそりついてきて、危ういところでリズを助けるんだ。俺はわざと負けてやるから、かっこよくやれよ」
「正義の勇者のくせに、よくそんな卑劣な作戦を考えますね」
「嫌ならやめるぜ」
「よろしくお願いします」
しぶしぶ重い腰を上げるクロコディウスと、有頂天でやたらと張り切っているエンセン。対照的な様子で出ていく二人の後ろ姿に、博士がひと声かけて送り出します。
「健闘を祈るぞ。まあ、わしはラブレターのほうが高尚だと思うがのう」
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