第6話 勇者の初任務 3
「ニャア」
屋根に座り込むクロコディウスのそばへ、ミュウミュウが寄ってきます。
「おうミュウミュウ、救助に来てやったぜ。ケガはしてないようだな。こっちに来な」
あぐらをかいたクロコディウスはミュウミュウをひょいと抱えると、膝の上に乗せて話しかけます。待っているしかないので、他にすることがないのでした。
「こうやって高いところから下を見るのも、ちょっといいな。王侯貴族になったみたいでよ。ほら、下でゲセンノモノどもが働いてるぞ、へっへっへ」
「ニャア」
「それによお、なかなかいい眺めだぜ。この世界の夕焼けってやつは綺麗だよなあ。少なくとも風景に関しちゃ、俺の世界より、こっちのほうがずっと上だ」
「ニャア」
いつのまにか太陽は西方の山々へと傾き、空はオレンジ色に染まりはじめていました。少し肌寒いくらいの、涼しい風が吹き抜けていきます。
「おまえはニャアしか言わねえなあ。もうちょっと気の利いたこと言えよ。そしたら、いい暇つぶしになるんだがな」
これはミュウミュウにとっては、かなりハードルの高いリクエストです。一生懸命に考えている様子でしたが、そうはいってもやはり猫は猫の限界を超えることはできないのです。ミュウミュウは結局、こう答えるしかありませんでした。
「ニャア」
下では、ハンスが作業を続けています。あまり役に立っているようには見えませんが、博士とフランさんも手伝っているようでした。
美しい春の夕暮れです。クロコディウスは遠くを見るような目で暮れゆく空を眺めていたのですが、ふいにブルッと身を震わせると立ち上がりました。
「おいミュウミュウ、ちょっとそこで見張りしててくれよ。風が冷たくなってきてよ、つまりな、生理現象なんだ。誰か北側に回ってきたら時間稼ぎしろ、見つかるとうるせえからな」
屋根の北側の縁に立ち、仁王立ちで生理的欲求を開放するクロコディウス。さいわい下の三人は作業に夢中で気付いていませんが、バレなければいいという問題ではありません。
夕陽に照らされて、下へと飛沫を飛ばすその雄姿。それはまさに、せっかくの詩情あふれる風景を台無しにする、デリカシーのない勇者の姿だったのでした。
すっかり日が暮れ、あたりが夕闇に包まれたころ、クロコディウスとミュウミュウはようやく降りてくることができました。
「やー、よかったよかった」
「二人とも無事のようじゃな」
「一人と一匹だろ、一緒にするなよ」
「ニャアッ! ニャニャアッ!」
地面に降ろされたとたん、ミュウミュウは猛ダッシュでフランさんに駆け寄り、抱きつきます。よほど心細かったのでしょう。
「クロちゃん、ほんと、ありがとね。博士とハンスさんも、ありがとね。ミュウミュウちゃん、さあ、おうちに帰りましょ」
フランさんは何度もお礼を言うと、ミュウミュウを抱いて帰っていきます。帰り際、ミュウミュウはクロコディウスのほうを振り返ると、
「ニャア」
一声、鳴き声を残していきました。
「最後のアレ、なんだったんだ? クロコディウスになにか言ったみたいだったぞ」
ハンスが不思議そうに首をかしげます。
「さあな。どうせニャアしか言わねえんだ、猫の言うことなんざ、いちいち気にすることねえよ」
「そうかな? わしには『ありがとうニャア』に聞こえたがのう」
「へっ、知るかよ。あいつは自由と冒険を楽しんで、今は安全と飽食の生活へ帰ったんだ。俺たちも帰ろうぜ。ハンス、またな」
照れくさそうに捨て台詞を吐くと、クロコディウスは先に立って家路をたどります。
博士はその背中を見ながら思いました。この異世界の獣人も、我々と『ほとんど同じような感情』を持っているのだと。そしてそれが、博士にはとても嬉しいことのように感じられたのでした。
その夜から、アリゲイト博士はなにやら書き物をすることが多くなりました。クロコディウスに関する記録をつけはじめたのです。
同時に、上質の便せんや封筒、インクが準備されました。何年も使われていなかった、封蝋を押すための道具一式も復権です。物置の片隅で埃に埋もれる運命から逃れて、机の上へときちんと並べられました。
どうやら、博士はクロコディウスのことを誰かへ報告するつもりのようです。詳しいことは判りません。が、クロコディウスのことを、報告すべき価値がある人物、と認めたことは間違いないのでした。
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