第3話 正義の勇者、登場 3

 やがて、土煙がおさまるにつれ、しだいに大きな影の正体がはっきりわかるようになってきました。


 結論からいえば、アリゲイト博士の召喚術は大成功だったといえるでしょう。光球が弾けた後の魔法陣の真ん中には、このファンタジア世界でこれまでに確認されたことのない、異形の種族が立っていました。


 身長は、軽く二メートルを超えています。筋骨隆々という言葉がぴったり当てはまる、マッチョな巨体。全身には、この世界では見たことのない動物の革とウロコで作られた鎧を纏い、背中には、両手持ちの大剣を背負っています。


 そして、顔は、いや正確にいうと頭部は……ワニでした。

 

 暗緑色の皮膚に、大きな口。口は閉じていますが、一対の牙が覗いています。鈍く光る金色の両眼が、博士や村人たちをじっと見つめています。そしてお尻のあたりからは、顔と同じ色の屈強そうな長い尻尾が生えていました。


 このあたりにはワニは生息していないので、ほとんどの村人は本物のワニを見たことはありません。本や絵で知っているだけです。

 静まり返った村人たちの中から、一人の子供が興奮気味に叫びました。


「お父さん! すごいね! ワニだよ! ワニ、ワニ!」

「うんうん、ワニだねえ。お父さんも本物見るの初めてだよ。もしかしたら博士は、見かけによらずすごい人なのかもしれないねえ」


 本当に召喚した。しかもワニだ。すごいぞ、博士はすごい。なぜワニなのか? そんなことどうでもいい。マジックショーで手品師が得意げに出してみせるハトやウサギより、ワニのほうがすごいに決まってる。なんだかわからないけど、とにかく博士はすごい!


 そんな思いが伝播したのか、観客のあちこちから自然に拍手が起こりはじめます。やがて、万雷の拍手と歓声が博士を包んだのでした。


 しかし、博士はすぐにそれを制しました。ワニ型獣人が、この騒ぎをじっと観察していることに気付いたからです。博士は語りかけました。


「おほん、ファンタジアの世界へようこそ。言葉は解るかね? それと、体調に異変はないか?」


 博士は、ここからが重要だと考えていました。ワニ獣人はゆっくりとした口調で、博士の呼びかけに応じます。


「ああ、解るぜ。ドゥルク・ドゥルク・ブライオウェ・ドゥルク地方の方言にそっくりだ。カエル狩りで有名なところだよ。体調も問題ねえ」

「素晴らしい。まずはわしから名乗ろう。魔法学者のアリウス・アリゲイトじゃ。最初に言っておくが、わしらは君と敵対する意思はないのじゃ。それを解ってほしい」

「俺の名はクロコディウス。賞金稼ぎだ。安心しな、いきなり襲いかかったりはしねえよ」


 初めての異界の住人同士です。ぎこちないのは仕方ありません。それでも、とりあえず二人はコミュニケーションを成立させることができました。

 いっぽう、村人たちはというと、


「ちゃんと言葉を喋ってるぞ。モンスターとは違うんだな」

「すごい剣持ってるなあ」

「名前はクロコディウスだそうだ」

「クロコっち、って呼んでもたぶん怒らないよね?」

「んー、クロちゃん、のほうがカワイイんじゃないかしら?」


 興味津々なのはいいとしても、緊張感はあまりありませんでした。


「今日はもうここまでじゃ。わしはこれから、彼に詳しい事情を説明せねばならん。さあ、帰った帰った」


 収拾がつかなくなるといけません。博士は早めにお開きを宣言しました。


 村人たちは名残惜しそうでしたが、メインイベントはしっかり見られたので大満足、といったところでしょう。大人しく帰っていきます。中には、ワニ獣人に向かってバイバイと手を振っていく子供もいます。ようやく、イナカン村の召喚術祭りは終わったのでした。






 博士はクロコディウスを家に招き入れ、椅子に座って対峙しました。


 ここが一番大事なところじゃ。博士はそう思っていました。なにしろ、正義の勇者になってもらうためとはいえ、本人の同意も得ないで異世界へと召喚してしまったのです。誠意をもって説得しなければいけません。

 しかし、先に口を開いたのはクロコディウスのほうでした。


「さっきの野次馬、あいつらアホだな。異形の種族が現れたのに、逃げるどころか警戒すらしねえ。察するに、俺は異世界へ呼び出されたんだろ? んで、やったのはアンタだ」


 博士は頷きました。


「彼らは平和に慣れすぎてしまったのじゃ。召喚についてはその通り。君の意思も聞かず勝手なことをして申し訳ない。これには深い事情があってな、まずは聞いてくれ……」


 博士は話しました。五百年ごとに繰り返し訪れる平和と混沌のこと。平和の時代は終わろうとしていること。来るべき混沌の時代に備えて、正義の勇者が必要なこと。


 博士は熱く熱く語りかけます。どう説得すべきか、何日も前から考えて予行練習もしていました。きっとこのワニ型獣人も、心に熱く感じるものがあるはず……。


「博士、もう話はいいや。アンタの話、長すぎるぜ」

「なんじゃと?」

「なあ、あっちの席に移ってもいいかい?」


 クロコディウスは居間のソファを指差します。


「あ、ああ、ソファのほうがいいか。別に構わないが」

「へっへっへ。こういうのはよお、俺の世界じゃ金持ちしか持ってないんだよな」


 クロコディウスはソファに移ると、楽しそうにソファを弾ませたり寝転がったりしはじめました。


「要は、俺に正義の勇者とやらになってくれってことだろ? いいぜ」

「え?」


 あまりにも気楽な返答に、博士は耳を疑いました。


「ただし、飲み食いや生活に必要な費用は全部そっち持ちだぞ。その条件でいいならやってやるよ」

「それは最初からそのつもりじゃが、そんな簡単に決めていいのか? たとえば実家のご両親とよく相談するとか……」

「ここは異世界だぞ、どこに実家のご両親がいるんだよ? それに、そういうホニュウ類的な心配はいらねえ。俺は一匹狼の賞金稼ぎだったし、元の世界だって、未練があるほど良い世界ってわけでもないしな」

「ならばありがたいが、どうも調子が狂うのう。お前さんを説得するために考えた、心に刺さる名フレーズがまだあと二時間分ぐらい残ってるのじゃが」

「聞きたかねえよ、そんなの。さっさと忘れて、オチカヅキノシルシに飯でも食わねえか? この世界の名物料理で乾杯しようぜ」


 博士の説得が功を奏したのかどうかは微妙なところですが、なにはともあれ、こうしてアリゲイト博士とクロコディウスの共同生活が始まったのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る