第2話 正義の勇者、登場 2


 アリゲイト博士は魔法陣の前に立ち、脇にあった銀の書見台を引き寄せました。 さすがにエルフ、そして元教授というだけあって、なかなかサマになっています。


 博士の年齢は、人間でいうと六十歳ぐらいに見えます。もちろん、エルフは非常に長命の種族なので、実際の年齢は何百歳にもなっているでしょう。


 背は人間よりやや高く、華奢といってもいいくらい細身の体型で、顔も細面で色白です。切れ長の目は目じりが少し下がっていて、人の好さそうな印象を与えていました。


 髪は白いのですが、いわゆる白髪(しらが)とは少し違った、独特の光沢のあるオフホワイト、というのでしょうか。その髪をオールバックにして、首の後ろあたりで束ねていました。飾りの一切ない、紺色のローブを身に着けています。

 

 右手には魔術師がよく使う、木製の杖を持っています。杖は地面から博士の肩ぐらいまでの長さがあり、杖の頭の部分が太くなっています。その太くなった部分には、大粒の青い宝石が嵌めこまれていました。


 ちなみに、エルフというと耳の形状がたびたび話題になりますが、博士の耳は、ウサギのような長い耳ではありません。人間よりはやや縦に細長い形をしていて、耳の先が尖っています。この世界のエルフの耳は、みんなそうなのです。


 もっとも、先ほどの博士のスピーチが本当なら、耳の長いエルフが存在する世界もどこかにあるのかもしれません。


 博士はもう一度、観衆のほうを振り向いて言いました。


「よいか、決して護符より前に身を乗り出してはいかんぞ。それから、異変を感じたらすぐに逃げるのじゃ。では始めるぞ」


 博士は、書見台に載せてある、黒い革表紙の分厚い魔導書を開きました。そして、ルーン文字で書かれている召喚の呪文を、ゆっくりと読み上げていきます。


 はじめに紹介した、博士の職業を覚えているでしょうか。

 アリゲイト博士は『魔法学者』です。『魔術師』ではありません。魔法の理論を研究したり、過去の偉大な魔術師の業績を記録したりするのが専門です。そのため、魔法は簡単なものしか使うことができないのです。


 魔術の道を志す者は、魔法学院のような教育機関で学ぶか、他の魔術師に弟子入りして学ぶか、稀には独学で身につけることになるのですが、いずれにしても実際に魔術師になれる者は少数です。

 いかに良く学んだとしても、魔術師に決定的に必要なものは生まれつきの魔法の素質なのであって、これはもう、どうすることもできないのでした。


 そんな魔法学者である博士が、こんな最高級の秘儀ともいえる召喚術を執り行うには、魔導書や魔力の杖の補助がどうしても必要なのです。


 博士のゆっくりとした朗誦が続いています。ときおり、魔導書のページをめくる音が混じります。村人たちも、博士の真剣な様子を見て、無駄なおしゃべりをする者はいませんでした。ここまでは順調のようです。


 ふと、博士の脳裏に妙な考えが浮かびました。


 これだけ人が集まっている。見物料でも取ればよかったな。一人五十ブロンズ、子供は半額でどうだろう? いや、さすがに五十は高いか、四十にしておこうか……。


 とりとめのない考えが頭の中を巡ります。一人四十五ブロンズ、子供は二十ブロンズで人数を掛け算しようとしたところで、博士ははっと我に返り、すぐにその考えを頭から追い払いました。


 単調な作業が続くと、つい頭の中で別のことを考えるのはよくあることです。魔法の詠唱中も同じで、長い呪文を単調なリズムで詠唱していると、つい魔法とは関係ない雑念が起きてしまうのです。

 しかし、これは非常に危険なことなのでした。


 この世界では、魔法の結果は術者の思考や心の状態を反映してしまうことが多いのです。初歩的な魔法であればほとんど影響はないのですが、高度な魔法になればなるほど、影響は大きくなります。


 つまり、見物料のことなど考えながら呪文を詠唱したりすれば、守銭奴のような性格の勇者が召喚されてしまうかもしれないのです。それは困ります。


 博士は気を取り直し、集中を高めて詠唱を続けます。かなり長い詠唱です。

 もう、魔導書はページが尽きかけていますが、まだ何も起きません。博士の額には、うっすらと汗がにじんできました。


 あーあ。アリゲイト博士、やっちゃったなぁ。

 まあ、そのうちまた挑戦すればいいよ。残念会はいつにしようか。


 村人たちの間からは、そういう雰囲気がひしひしと伝わってきます。




 異変が起こったのは、博士が魔導書の最後の一ページをめくったときでした。

 風もないのに、あたりの空気が微妙に震えた感じがしました。そして魔法陣の上に、大きなシャボン玉のような光球が、うっすらと現れ始めたのです。

 村人たちはどよめきます。


 最初はシャボン玉のように透明だった光球は、しだいに色がついてきて、やがて乳白色の巨大な真珠のようになりました。


 光球は実体のある物質ではありません。魔力の凝縮したものか、エネルギーの塊のようなものに見えます。そのうち、表面に虹色の不思議な模様が浮かびあがりました。暑い日の陽炎のように、ゆらゆらとかすかに揺れているようです。

 と、次の瞬間、




パアアアアアアアンッ!




 ものすごい大きな破裂音を立てて、光球が弾けました。激しい衝撃波で、魔法陣の周囲に配置されていた魔導具はすべて粉々に砕け散り、吹き飛んでしまいます。

 もうもうと土煙が舞い上がり、何も見えません。


 村人たちも慌てて顔を覆い、頭を抱えてしゃがみ込みました。さいわい、防御の護符が衝撃を吸収してくれたおかげで、被害はまったくありませんでした。

 

 しばらくして、土煙が少し落ち着き、視界が少し戻ったときです。博士と村人たちは同時に気づき、ぎょっとしました。

 うっすらと見えてきた土煙の向こう側で、なにかの大きな影が、ごそり、と動いたのです。

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