第18話 忘れた頃にやって来る

 その客が来たのはとある昼下がりのことだった。


「ようこそ、ホテルへ」


 この時間から夕刻にかけては宿を探しに来る客が多い。だから吉田は特に警戒せず笑顔で出迎えた。


「ここは?」


 若い青年は、戸惑いを隠すことが出来ない。剃髪しているので聖職者だろうが、巡礼者にしては上等な毛皮の外套を羽織っている。


「宿泊施設になります。少々割高ですが、その分サービスが良いですよ」

「宿泊できるのはありがたいが、ガライ卿の邸宅と聞いて来たのが」

「オーナーでしたら、今の時間は城の方に居ります。

お約束はありますか?」


 こう問いかけたのには理由がある。ホテル営業が企業に乗り出すと、ホテルで使っている物品や製造法を売ってくれと言う商人も現れた。売店にもそれなりの人が集まることからわかるように、これらは吉田が現代日本の知識から作成したプライベートブランド商品だ。外部に流出すれば不利益になる可能性もあるので、こうした商談を防ぐために事前に約束を取り付けたものしか相手にせず、吉田も同席するようにしていた。

 しかし若い僧は「ない」とはっきり告げた。


「お急ぎならご案内しますが、失礼ですがどちら様でしょうか」


 青年は外套を脱いだ。彼のストラには国王の紋章であるカラスが刺繍されていた。


「陛下からの使者である」


 吉田は血の気が引く思いだった。忘れていたわけではない。しかし日々の業務にかまけ、後回しにしていたのは事実だ。


 吉田は早速使者を城に案内し、ヨシュアは未亡人と共に応接室で出迎えた。挨拶もそこそこに、使者は用件を伝える。


「お約束の代金を陛下の元へ届けるように、とのことです」

「待ってくれ。確かに約束はしたかもしれん。だがそんな代金、すぐには無理だ」


 ガライ親子の顔面は蒼白だ。吉田もたぶん同じ顔をしているだろう。


「以前王と面会してから半年が経っています。十分に猶予はあったのでは?」

「仰る通りですわ。王との誓約である大金を生み出すため、我々は商売を始めました。その資産を換金するいとま暇が必要です。王には猶予をいただき感謝申し上げます。しかし、もう暫し猶予をいただけないですか?」

「王はあなた方が猶予を引き延ばそうとすると見越しておられました」


 夫人の訴えもどこ吹く風で、使者はシーリングスタンプの押された書状を手渡す。

 ヨシュアが受け取ったそれには、一週間後、王宮に半額の三千ドゥカードを持参するようにあった。


「これ以上の譲歩はありません」

「破ったら……?」


 恐る恐る尋ねるヨシュア。使者は冷酷に告げた。


「王は今、異民族を討伐するための軍を編成しておられる。その最初の進軍先は、このコンツェの街となるでしょう」




 使者が帰った後、未亡人はお茶を啜りながら呟く。


「随分せっかちな男だったわね。主の品位が知れるわ。でも半分で良かったわね。ホテルとやら、順調に利益は出ているのでしょう?」

 

 吉田とヨシュアは揃って顔を俯けた。最近排水管のために多額の出費していたからだ。


「どういう事?」


 夫人の声が険を含む。


「ヨシダ! あなたに任せたのよ。何かあったらあなたが責任取るって言ったわよね?!」

「母さん、ヨシダを責めるのは止そう。兎に角現金を用意しなければ。

ヨシダ、工事の中止ができるか聞いてきてくれる?」


 吉田は城を辞去し、脱兎の如き勢いで、鉄工所へ話をつけにいった。


「今更工事を中止して料金を返してほしいだって?」


 鉄鉱石を運んでいたマルコはにべもなかった。


「無理だ。もう材料は買っちまった。職人も新たに雇ったんだ。うちが倒産しちまう」


 意気消沈する吉田を気の毒に思ったのか、兄貴は材料費を差し引いた料金を返すことを提案し、さらに金貸しを紹介してくれた。


「この嬢ちゃんが金を借りたいだって? 幾らだい?」

「三千ドゥカードです」

「さ……」


 羽振りの良さそうな中年の男は首を左右に振る。


「そんな金持ってない。俺だけじゃない。その辺の金貸しなら、貸せるのはせいぜい数百ドゥカードまでだ」

「では何人かのお友達を紹介していただいて……」

「それはお勧めしないぜ、嬢ちゃん。例えば期限を一月後とした場合、貸した全員に利息をつけて返せるのかね?」


 彼の言う通り、自分の全財産とも言える大金を貸したままにして、いつまでも待ってくれる商人がいるとは思えなかった。


「それにあんたはガライ家に仕えてるんだろう? 殆どの貴族は金を返さないもんだ。武力と権力の後ろ盾があるからな。俺も領主の親父さんに何度踏み倒されたことか」

「信用がないと言うことですね。しかし私たちはホテルを運営しています。必ずや収益でお返しできます」

「噂には聞いているが、一泊に金貨を幾枚も払う商売がそんなに儲かるもんかね」


 金貸しは訝し気だ。


「それに、儲かってんなら自力で払えるだろう?」

「仰る通り、いずれ払えます。でも三千ドゥカードは今欲しいんです」

「何度も言うように俺では無理だね。どうしても欲しいってんなら、隣町の“金貸しのサルバシュ”に頼みな。奴の半端ない財力は、この辺の同業者ならみんな知っている。三千ドゥカードをすぐに用意できるとしたらそいつだけだ。サルバシュは審美眼に絶対の自信を持ってて、ホテルとやらに本当に価値があるってんなら、喜んで大金を貸してくれるだろうさ」


 では早速、と踵を返しかける吉田に金貸しは釘を刺す。


「だが、取り立てがえげつないって噂だ。期限は絶対厳守。借金奴隷は当たり前。領主も借金漬けにされて頭が上がらず、影の実力者なんて呼ばれているそうだぜ。

嬢ちゃんの器量はそう悪くなさそうだが、三千ドゥカードの値はとてもじゃないけどつけられそうにないね」


                *


 ガライ家に帰った吉田は荷物をまとめた。主だった従業員に引継ぎを済ませ、早朝にホテルを出た。


 数歩行ったところで振り返る。

 ふと、勤めていたホテルが倒産した日を思い出した。真っ暗だったあのホテルとは違い、幾つかの客室には蝋燭の灯がともっている。早朝にも拘わらず早く起きた客、仕事を始める従業員。そうした人の気配がする。


 このホテルの守るためにできることはまだあるのだと、吉田は一歩を踏み出す。


「どこに行く気?」


 呼び止める声がした。ヨシュアが追いかけてきたようだ。


「隣町のサルバシュと言う方にお金を貸していただきに」

「止めた方が良い。父もあの男にだけは借りなかった」

「他に方法がありますか?」


 ヨシュアはぐっと言葉に詰まる。


「担保はどうするんだ。タダで貸してくれるような人の好い男じゃないぞ」

「どんな方か存じ上げませんか、ホテルの価値をわかってくれるかもしれません。それに」


 吉田が担ぐ荷には、現代日本で身に着けていた全てのもの、作成したアメニティのサンプル、その製法、今まで作ったレシピ、覚えている限りの病とその療法を含め様々なことが書かれたメモ帳がある。現代日本から持ち込んだ知識に幾らの値がつくのかわからないが、石鹸だけでも他の商人がこぞって欲しがるのだ。勝算はなくはない。


「私自身と私の知識に幾ら値がつくかわかりませんが、せいぜい釣り上げてきます」

「まさか借金奴隷になる気か? 吉田がそこまでする義理はないだろう?」


 何の義理も無いのに処刑の場に立たせようとした男が、自分を気遣う発言をしている。少しは情が移ったってことなのかな、と吉田は笑った。


「私に責任が全くないとは言えません。排水管の件もありますし」

「所詮もしもの話だ。あれが無かったとしても、三千なんて大金払えなかったかもしれない。それに、俺だって賛成したし」

「成長されましたね、ヨシュア様」


 前の彼なら未亡人と一緒に吉田の失敗を詰っていたかもしれない。いつの間にか、上の立場の者として部下を気遣うことができるようになっていた。彼にも自覚ができてきたと言うことだろうか。これなら安心して任せられそうだ、と吉田は思った。


「以前、自分の好きなことをするには、それ相応の責任を果たさなければならないと言いましたよね」


 吉田は深く一礼をした。


「今まで好きにさせてくくれてありがとうございました。

この世界でホテルをやらせてくださってありがとうございました」

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