第17話 順調の狭間の落とし穴

「それでは、本日のメインディッシュになります」


 ホテルはいつも同じサービスをしていれば良いわけではない。時には刺激サプライズも必要だ。

 吉田が食堂の扉を開けると、カートを押した料理長が登場した。皿の上にはハーブとともにじっくり焼かれたガチョウが生前と同じ姿で盛り付けられている。

 貴族の食卓にも並ぶ最高級の料理だ。グロいと思わないのでもないが、この世界の住人にとっては伊勢海老のお造りのような感覚かもしれない。


 料理長は客の間を進みながらガチョウの肉を手早く切り分けている。その後をクヴァスが追いかけながら、「照り焼きソースはいかがですか?」と小皿に入った数種類のソースを配っていた。


「痛風プランのお客様でしたね。では、腿肉に致しましょう」


 料理長の手つきは慣れたもので、ナイフを捌くと肉汁がジワリと染み出した。客が思わず感嘆する。


「さすが腐ってもガライ家。一流の料理人が揃ってるな」

「いいやそれほどでも」


 謙遜の言葉を口にする料理長はどこか得意げだ。


 小声で「ヨシダさん」と呼ぶ声がした。


「私ら約束の民なんだけど」

「ご安心ください。こちらは聖職者ラビのお墨付きを受けた清浄な肉です」


 あれから「また来る」と言っていた髭の客の姿はないが、口コミで広めてくれたのか約束の民の客が多く来るようになっていた。彼らへの晩餐を提供するため、今日はわざわざ聖職者ラビに認定された屠殺人ショーヘートを呼んだ。約束の民は豚が食べられないが、肉が全く食べられないわけではない。但し、適切に処理したものでなければならない。自分のお株を奪われた料理長は嫌そうだったし、多少の出費になった。それでも、客がほっと破顔したのを見て、この安心には代えられないと思った。


                *


 夕食の後、吉田はフロントに戻り、今日の売り上げを確認する。ホテルの営業は順調と言っていい。

 一時期の怪しい通販紛いの評判は落ち着き、今は客室稼働率は50%くらいだ。吉田が以前勤めていたホテルはコロナ時に30%ほどだったので、それを上回っている。


 吉田一人では手が回らなくなってきたので、ガライ家の元からの使用人の他、従業員を新たに雇っている。人件費は増えたが、それでも十分利益はあった。


 売り上げを記録につけ金庫に仕舞うと、吉田はヨシュアを探しに行った。


 カウンターの近くには売店があり、ホテルのオリジナル商品を取り扱っている。弁当、茶葉や陶器、アメニティー、文房具、高いものでは寝具だ。冷やかしに来た宿泊客で賑わっているが、特に化粧品の売り上げが凄い。宿泊の際に使ってみたことで購入を決める客も多いが、恋人や妻の土産に買っていく男性も多いようだ。


 売店を過ぎるとロビーの一角にボードゲームをするスペースがある。ヨシュアは席の一つに座り、客の相手をしていた。彼の評判は悪くない。温厚で、様々な教養もあり、程々に弱い。所謂器用貧乏と言う奴だが、客に気分よくなってもらうならその方が良い。

 ヨシュアが客と行っていたのは吉田が持ち込んだオセロだったが、僅差で客に負け決着がついたようだ。一区切りついたようなので声をかける。


「オーナー」


 ヨシュアのことは役職名で呼んでいる。所詮形、呼び名だけだが、自覚を持ってもらうのには一役買っているようだ。


「これ、本日の記録です。売り上げはいつもの所に」


 ヨシュアには複式簿記のつけ方を教え、金の管理をやってもらっている。


 因みに吉田の立場は総支配人で、普通は他の従業員の監督をするのだが、暇をみてはフロントに立っている。吉田は客を「ようこそ」と出迎え、「いってらっしゃいませ」と送り出すのが好きなのだ。


「それにしても吉田は働き者だね。こんなに働く女性、初めて見たよ」

「この国で女は働かないのですか?」

「婦人は仕事をしないよ。普通は早々に結婚して家庭に入るんだ」


 手に職がある人は小間使いをやったり仕立て屋をやったりするが、そうじゃなかったら春を売るくらいしかないらしい。


「おかげで順調に溜まっているみたいだね。正直笑いが止まらないよ。昨日までの累計で五百ドゥカードくらいか」

「月末に肉屋に払う分は引いてくださいね」

「ちゃんと抜いてるよ」


 と言いながら、もう一度売り上げを確認している。


「これならもう一人くらい従業員を雇っても良いかもね」

「それより、排水管を何とかしてください」


 昨日汲み取り当番だった吉田の目は据わっている。


 水道官はマルコの兄貴に頼んで銅や鉄のパイプをつけてもらうつもりでいた。鉄は錆びやすいのだが、塩化ビニールが無いのでどうしよもない。カッツに十分の一くらいの屋敷の模型を作ってもらい、水の流れを実験してみたか、恐らくうまくいくはずだ。


「その排水管って何回聞いてもよくわかんないんだけど。必要?」

「そう思うなら一度汲み取り当番してみます?」


 宿泊客の人数も増えてきて、臭いが漂うようになってきた。お風呂の前に仕事をするようにはしているものの、臭いが衣服につくようで、吉田の女心が嫌がっている。伝染病の心配もある。早急に手を打たねばならぬ、と吉田は主張する。


「遠慮しておくよ」


 吉田の圧にヨシュアは引き気味だ。


「でもヨシダ、そんなに嫌な仕事なら他の人にやらせれば良いのに」

「みんなが嫌な仕事だからこそです。

上の者が率先してやらなければ誰もついていきません」


 汲み取りは当番制で、何十人ものおまるを集め、排泄物を処理しなければならない。当番にあたった者には割増手当を払ってるが、嫌がられる仕事ではある。


「女の君には重労働だろ? 辛い思いしなくて良いんじゃないか?」


 思いがけず、気遣う言葉をかけられた。今までになかったことだ。。

 吉田はふと、自分をからかっていた男子が思春期になって急に態度を改めたことを思い出した。そう言えば、最近ヨシュアがぎこちない。恐らく女だと知られたことが原因なのだろう。


「自分のやりたいことの為にはそれ相応の責任は果たさなければいけません。

でも、自分のやりたいことなら、どんなに辛くたって我慢できます。私はホテルの仕事がしたい。やりたいことができない方が苦痛です。」


 一流のホテリエになりたい。また客を迎えたい。その願いのためならばどんなことだってしてやると、吉田は瞬きのない真っ直ぐな目でヨシュアを睨み付けた。


「君は自分のやりたいことをちゃんと知っているんだね」


 そう呟いたヨシュアの眼差しにはどこか羨望があった。


「ヨシダがそこまで言うなら、マルコに工事を受注してみようか」

「ありがとうございます!」


 これで汲み取り当番から解放される、と安堵し顔を輝かせる。ヨシュアは眩しそうに眼を細めた。




 この時の決断をすぐに後悔することになるのだが、吉田は知る由もなかった。

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