第16話 効果には個人差があります
オープンから数週間が経った。
客は物見遊山にちらほらと来る程度で、利益はコストとどっこいどっこいだし、客が全く来ない日は食材も人件費も無駄になるので、今のところ赤字だ。
そんなある日、吉田がいつものようにフロントに立っていると、ややぽっちゃり気味の客がやって来た。足を引きずるように歩いていた彼は、「いっ」と声を上げ、ロビーに座り込んでしまった。
「どうされました、お客様?!」
吉田は慌てて駆け寄る。
「足が……」
「失礼します」
幸い上着が長かったので、吉田は近くのソファーに座らせ、ブーツと靴下らしきものを脱がせた。つま先を見ると、親指の付け根が赤く腫れていた。
「どうされたんですか? どこかにぶつけたんですか?」
「たぶん痛風だ。親父もそうだから」
ビアと名乗った客はまだ二十代くらいだろうか。若いのに気の毒にと同情しながら、冷たい井戸水を汲んできて机の上に置き、患部を水に浸して冷やす。痛みが和らいできたのか、ビアはほっと息をついた。
「実はここに来たのは痛風が理由だ。ここは入浴ができると聞いた」
「確かに効果はありますが、痛みがある時は控えた方が良いですよ」
ホテルで応急処置等の研修を行ったこともあり、多少の知識がある吉田は、とにかく水を多くとるよう勧めた。痛風の原因である尿酸を排出しなければならないからだ。
一週間滞在するつもりだと言うビアを部屋に案内する。
「残念ですがお客様の部屋には浴槽がついていません。ですが、別室で入浴できます」
今回は2ドゥカードの部屋で、落ち着いた模様の壁紙、アンティーク調の家具は揃っているものの、おまるのトイレがあるだけ。浴槽があるのは今のところスイートルームだけなのだ。
浴場は厨房の真上にある。パン焼き窯の熱を利用するので時間も決まっているし、従業員が使うこともあると断ったが、「構わない」との返事だった。
備品の使い方を聞きながら室内を見て回っていたビアは、ヨシュアが描いた絵をまじまじと見つめた。
「これはどこの景色だ?」
教会の尖塔、民家の赤い屋根の連なり、城壁の向こうには緑の草原、色彩豊かなパノラマである。
「コンツェの物見台から見える景色です」
「へー、こんな風に見えるのか」
「明日、足の痛みがないようならご案内しましょう。適度な運動は良い効果をもたらします」
客の案内を終えた足で厨房に向かい、料理人らに事情を説明する。
「とにかくプリン体が少ない食品を使うことです」
そうまとめた吉田に、料理長は不機嫌に鼻を鳴らす。
「また卵をとって来いってか?」
「肉も部位によってはプリン体の少ない箇所があります。でもそうですね。卵はとって来て欲しいです」
何しろ、卵はプリン体がほぼない貴重なたんぱく源なのだ。
「野菜中心ってことは、前のお金持ちのお客様のレシピが使えるのでは?」
「はい。ですが若干見直しが要りますね。乾燥大豆って意外に多いから」
クヴァスとレシピを睨みながら、夕食の相談を始めた。
「後は牛の乳を頼めますか」
「俺は養鶏家でも牛飼いでもねーんだよ」
料理長は文句を言いながらも卵と牛乳を採って来てくれる。良い人である。
その日の夕食はほうれん草のグラタンだった。ほうれん草と乳製品は、尿をアルカリ性に乳酸値を下げるからだ。
食後、ビアに吉田が覚えている限りのことを説明した。痛風の原因、ストレスを溜めないこと、適度な運動をすること、プリン体の少ない食品、アルカリ性の食品をとること。客はメモをとったが、対処法は軽い冊子くらいあった。
「後は飲酒を控えた方が良いですね」
「酒を飲んじゃダメなのか? それは困ったな……」
ビアの深刻そうな困り顔は、単に酒が好きだからと言うのと違う気がした。
「全くダメってわけではないんですけど。お付き合いの多いお仕事なのですか?」
「そう言うわけじゃないんだが、家業でワインを作っている」
「それはそれは……」
彼が若くして発症し、父親も痛風なのは恐らくアルコールの過剰摂取が原因なのだろう。
「ワインなら一日小さなコップ一杯程度が目安です。
痛風は身体が発している警告です。今は関節にたまに痛みが出る程度で済んでいますが、ひどくなると関節が変形したり、腎臓が悪くなって命に関わります。
お仕事と言うなら無理に止めろとは言えませんが……」
「うーん。俺も長生きしたいし、試飲は他人にやってもらうとか方法を考えてみるよ」
*
翌日から客と共に予定を立てた。朝早くに起き、サウナ的な風呂に入り、体調の良い時は昼間は街の名所に案内し、夜は卵や乳製品を中心としたメニューを出し、早めに就寝する。一種の療養プランである。
一週間後、顔立ちや体つきが些かシュっとした客は料金外にチップを弾んでくれた。
「世話になったね。治るとは思わなかったよ」
「完治したわけではありませんよ。根本的な原因を変えない限り、必ず再発します」
痛みが無くなったと思って治療を止めてしまう患者が多いので釘を刺しておく。
「そうだったね。気を付けるよ。それにしても吉田さんは物知りだね。食べて良い食べ物とそうでない食べ物があるとは知らなかった。医者に行っても血を抜かれるだけだから」
「たまたまです」
この世界の治療法に思うところがないでもないが、医者でもない吉田が治療法を知っていたのはたまたま研修を受けていたからに過ぎない。
「今回療養とやらをしてもらったけど、辛くはなかった。我慢しなきゃならない理由も教えてもらったし、料理も美味いし」
「それは良かったです」
吉田は「今度は親父も連れてくる」と言う客を送り出し、いつもの業務に戻っていった。
それから暫く後。
ある日を境に急激に客が増えた。
不思議に思って訪れた客に尋ねると、「このホテルは万病に効くと聞いた」との答えが帰って来た。
予期せぬ宣伝効果はありがたいのだが……。
吉田は「効果には個人差が御座います!」と叫ぶのだった。
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