第15話 吉田の志望理由
晩餐後、客を部屋の送り届け、食事の片付け等を終えた吉田はフロントに戻り、今日の客について記録をつけていた。
そこへ、ひたひたと足音が近づいてきた。警戒してランプを翳すと、宿泊客の髭面が浮かび上がる。吉田はほっとし、笑顔を作った。
「どうされましたか?」
「手持ち無沙汰だったもんでな。まだ眠くないし、部屋に一人でいるのもつまらなくて、ぶらぶらしていた」
吉田はしまったと思った。
夜は長い。温泉に入って骨休めする客ばかりではない。普通の旅館やホテルならこう言う場合、卓球や、ビリヤードやカードゲーム、ゲームセンターが併設されているところもある。売店をぶらついたり、バーで酒を飲んだりして時間を過ごすこともあるが、生憎娯楽になるようなものは何もない。他に宿泊客が居ないので交流することもできないのだ。
「では、本を用意致しましょうか」
書庫ならばこの屋敷にあったはずだ。暇は潰せるだろうと思っての発言だったが。
「それは有難いが、少し話し相手になってくれないか?」
「かしこまりました」
了承したものの何の話題を振れば良いか。困る吉田にロビーのソファーに腰かけた客が尋ねる。
「あんたはまだ仕事か? 夜も更けたし、もう客は来ないんじゃないか?」
「代わりの従業員が来るまで待機しています。お客様の安全を守らねばなりませんから」
客は黙り込んだ。恩着せがましかっただろうか、深い考えも無しに発言してしまったと吉田は慌てて別の話題を振る。
「お部屋の方はご満足いただけました?」
「文句のつけようはないが、一人で過ごすには広いな」
そう言えば部屋にシングルやダブルの区分が無かったと吉田は反省する。
「では、次はご家族でいらしてください」
「また来ていいのか?」
驚くようなことではないはずだが、客は食い気味に尋ねる。
「ええ。勿論です」
「そんなこと初めて言われたな」
「差し支えなければお尋ねしたいのですが、何故ですか?」
確かに出す料理は面倒臭いがその分金払いも良い。宿泊させる方にしたら悪い客ではないはずだ、と初めての客に泥棒されそうになった吉田は首を傾げる。
「何故ってこの髭見りゃわかるだろ。俺が約束の民だからだよ」
「その約束の民と言うのは?」
「知らなかったのか?!」
客が唖然としている。
「はい。私、つい最近まで遠方の地に居まして。この国の慣習には疎いところがあります」
「道理で。あんたから敵意や蔑視を感じなかったから、冊子に自薦しただけあって教育が行き届いているなと思っていたんだが」
貴族家の使用人だから、顔に出さない術を心得てるのだと密かに感心していたらしい。買いかぶりに吉田は決まり悪くなる。
「神から授けられた戒律を守って生きている人間のことだ。ひづめが二つに割れている生き物を食べてはならぬ、髭と揉み上げを剃ってはならぬ、とかな」
「決まりが多いのですね」
「そうか? どの宗教も似たり寄ったりじゃないか?」
「ですが、何故それが宿側の嫌厭に繋がるのですか?」
「大昔に俺たち約束の民が一人の約束の民を殺したんだ。そいつがたまたま今幅を利かせている宗教の教祖になったもんだから、俺たちは未だにとやかく言われ、迫害を受けているのさ」
泊めること自体を嫌がる宿も多く、だから金は気前よく払うようにしているらしい。
「何とも理不尽なお話ですね」
「……そうだな。よく考えれば理不尽な話だ」
吉田の先入観がない感想に、何か思うことがあったらしく、客は暫し遠い目をした。
「ヨシダさんと言ったか。なんであんたはホテルなんて始めたんだ?
髪の為の石鹸、食事。どれも見たことがないものだ。この国では馴染みのないホテルなんて宿泊形態じゃなく、他の方法で儲けることもできるんじゃないか?」
そうかもしれなかった。ホテルをやるより売店や料理店をやった方が手っ取り早く儲けられたかもしれない。
「私がホテルをやりたかったからです」
それでも吉田がホテルにこだわったのは、吉田がそう望んだからだ。
「お客様と比べるのも烏滸がましいですが、私も見た目のことからとやかく言われることが多くて」
父親はドイツ人で、ハーフである吉田も彫りの深い顔立ちをしており、髪や目の色も栗色をしている。
「なんで? そりゃけったいな格好はしているが、別に普通じゃないか?」
「そうですね」
このヨーロッパ系の人が多い異世界では目立たないが、古来から島国で暮らして来た日本では目立つ。母国でなく異世界に溶け込んでいるなんて変な話だと、と吉田はおかしくなった。
日本には出る杭は打たれると言う諺がある。見た目も目立ち、身長も高い吉田はまさに出る杭だった。吉田も黙って打たれる方ではないので、手を出されたら出し返したし、悪口を言われたら相手が泣くまで言い返した。おかげで素の口調は女だと言うのにすっかり荒く、丁寧語で武装しなければならないほどだ。
「両親のことは好きでしたが、一日も早くこんなところ出ていってやると思っていました」
吉田の故郷は地方の一都市。外国人は珍しく「ガイジンガイジン」と指さされる閉鎖空間だった。都会に出たら、或いは外国に出たらこんな思いはせずにすむのだと吉田は歯を食いしばって勉学に励んだ。
「そこで私は都心の大学を受験……えっと、都会に住みたくて試験のようなものを受けたと思ってください。何日にもわたって試験をしなければいけないので、試験会場近くのホテルに泊まりました」
そこで受験票を家に忘れてしまったのに気づく。
自分の失敗に顔を青くする吉田に、ホテルスタッフが心配して声をかけてくれた。事情を知った彼女はすぐに家に連絡をとってくれた。幸い、静かな環境で受験勉強をしようと早めに来ていたので試験まで日もあった。両親はホテル宛に速達で受験票を送った。
受験日は雨の日だった。
朝早く、吉田がフロントを訪れると、届いたばかりの受験票を手渡された。さらに傘を持ってこなかった吉田に、バス停まで傘を差して送ってくれた。乗り込むとき、「いってらっしゃい。頑張ってきてくださいね」と笑顔で見送られた。
「そんな風に丁重に扱われたのは生まれて初めてでした。私は金を払った客です。でも彼女が私のような小娘相手に親身になってくれたのはたぶん、それだけじゃなかった」
無事都心の大学に受かり就職を考え始めた時、頭にあったのは優しくしてくれたホテリエのことだった。
吉田は図書館でたまたま「13歳のハローワーク」と言う本を手に取った。
村上龍と言う作家が書いたその本は、何百もの職業と、その仕事内容やその職に就くために求められる能力や経験などが紹介してあり、13歳より年を重ねた吉田にも学ぶことの多い本だった。その本にはホテル業のことも載っていた。
『ホテルは年中無休で夜間勤務も多いことから健康であることが最低条件。また、さまざまな客層を相手とした接客業であるため、細やかな気配りができることと語学力が必要である。しかしなによりも重要であるのは、客を喜ばせることができて、その姿を見ることを自分の喜びと変えることができるかどうかである』
「自分は今まで自分のことだけで精いっぱいだった。
誰かの幸せを自分の幸せにできるような、そんな優しい人間になれたら」
ホテリエになるのはそんな人間になるための手段に過ぎけれど。吉田はホテルで働きたかった。どうせ就職するなら、客に接し、客のことを第一に考えられる仕事がしたかった。
黙って聞いていた客が口を開く。
「俺の職業は商人だ。物を買い叩き、高く売りつける仕事をしている。売れそうなものは何でも取り扱う。小さいもので胡椒、大きいもので土地や建物だな。人や商売に金を貸すこともある」
話を聞きながら投資家のようなものだろうか、と呑気に思っていたが。
「実はここに来たのは、この屋敷を査定するためだ」
「え?!」
「君も知ってるんじゃないか? この屋敷の主である未亡人は金に困っている。息子の為に王に大金を払わなくてはいけないからな」
屋敷の売却は大金を得るために一番現実的な手段。彼はそれを見越して不動産としての価値を測りに来ていたのだ。道理で一番高い部屋を頼んだはずだ。
「しかし、単にこの屋敷を売るより、ホテルとやらをやった方が資産価値が上がりそうだ。俺には余った部屋を貸して継続的に収入を得るなんて発想はなかった。買収して同じ商売をしたところで、伝手もノウハウもないから失敗するのが目に見えている。
何よりあんたがいなければ、この商売は成り立たないだろう」
商人は思いがけず優しい顔で微笑んだ。
「ヨシダさん、俺は暫く傍観するよ。ホテルはこの国には馴染みがない。だが、いずれ広まると俺は見た。
何より俺自身がまたホテルに泊まりたいからね」
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