第4話
世界最強の魔女・ロウィーナの娘兼弟子になった私は、彼女の元で魔法を学ぶことになった……のだが、私の魔力はほとんど無いに等しいほどの魔力量で、まともな魔法を使えるわけがなかった。家事をやろうにもロウィーナは魔法で全てを片付けてしまうし、料理は私よりもロウィーナの方が美味しかった。
ロウィーナに拾ってもらったのに彼女の役に立つことができない、このままでは私はロウィーナに見捨てられてしまう。そう思った私は自分にも何かできることはないかと必死に自分にできることを探した。今思えば、あのときの私は今世の両親に捨てられたことにショックを受けていて、自分を助けてくれた上に拾ってくれたロウィーナに見捨てられることが怖くて恐くてしょうがなかったんだと思う。
ある日、見たことのあるイラストに聞いた覚えのあるタイトルが描かれた本を偶然見つけた。その本のタイトルを口にすれば、ロウィーナに肩を掴まれて、
「愛娘、これ読めるの!?」
と、驚かれた。そのとき私はどうしてロウィーナが何に驚いているのか分からず、困惑しながら読めることを肯定。ロウィーナに言われて音読をすれば、 ロウィーナに抱きしめられた。
「私の愛弟子教えてもないのに古代文字読めるとか天才!」
と頬擦りをするロウィーナにますます困惑。
あとから知ったことなのだけど、この世界で言う古代文字──ジパング語は前世で言う日本語だったのだ。前世日本人だった私には古代文字のジパング語がスラスラと読めるのだが、この世界で古代文字を完璧に解読できる人間は極端に少なく、ロウィーナですら翻訳魔法を使わないと分からないというご都合すぎる展開。
よく見たことあるぞ、日本語が古代文字な設定。その設定に救われたのだが、それはそれ、これはこれ。
宝石のように輝かしい笑顔のロウィーナを見て私は思ったのだ。これでロウィーナの役に立つことができると、これで見捨てられることはないと、私はロウィーナの腕の中で酷く安心したのだ。
でもまさか陛下(当時は王子)に古代文字を教えることになるなんて、当時の私は知る由もなかった。
◆
チェルシーがジパング語もとい、ひらがなとカタカナを書く練習をしている傍らで、前世の料理やお菓子のレシピを思い出しながらゆっくり書いていく。今書いているのは、前世の母が作ってくれたお気に入りのひとつ、ひき肉とピーマンとニラとにんじんと卵の料理。ピーマンとニラとにんじんはみじん切りにしたご飯のお供。名前は知らない。
書き終わったレシピを見る。あやふやで曖昧で分かりにくく、これをレシピと言ったら怒られてしまいそうだなと思って苦笑する。それでもイヴァンは試行錯誤をしながら、私の記憶の中にしかない思い出の料理を再現してくれる。
「ん〜」
ぐずったみたいな唸り声。さっきまでお行儀よく背筋をピンッと伸ばしていたのに、今は薔薇色のほっぺたをテーブルにくっつけていた。眉間にちょっとだけシワが寄っていて、つついて伸ばして、ついでに柔らかいほっぺたを突っついた。
「くすぐったいのよ〜」とちいさな笑い声。
「どうしたの、チェルシー」
お昼ごはんは豚肉っぽいお肉と玉ねぎで作られた豚丼と、朝の残りの具沢山お味噌汁、漬物だった。汁をたっぷり入れてびちゃびちゃになったお米は味が染みていて美味しい。
「ひらがなを書くのが難しいのよ〜!」
この世界の公用語は前世の英語に近く、文字はアルファベット。前世で日本の文字は難しい、と聞いたことがある。
「ママのおかげでひらがなとカタカナはちゃんと読めるようになったのよ? でも、ひらがなを書くのが難しくて……カタカナはまだ書けるけど……」
「たった一年で古代文字を読めるようになったのは凄いよ。それに古代文字を書くことは滅多にないし、書けなくても支障はないから」
そう言う私に、それではダメなのだとチェルシーが首を横に振って訴える。
「支障はなくても書けるようになりたいのよ! ママの娘なのに書けないなんて自分が許せないのよ!」
「う〜ん……ストイック……。見習いたいような、見習いたくないような……」
前世の自分の七歳だった頃を思い出す。環境も違うこともあるだろうが、こんな必死ではなかったと思う。やらないと怒られるからやっていただけで、母親のために、と思って勉強を頑張ったことは一度もない。むしろ勉強は嫌いだったし、学校なんて大嫌いだった。
学校爆発しないかなって寝る前や起きたときに考えていたな〜と感傷に浸っていれば、すんっと鼻をすする音。
「チェルシーのせいでママがバカにされるのは嫌なのよ……」
ヘビーピンクの瞳に膜が張る。チェルシーを自分の膝の上に乗せれば、きょとりとした顔を浮かべ私を見上げた。
「ママ?」
「頑張るチェルシーのことは応援したいけど、無理はしてほしくないかな。私をバカにする奴のことなんか気にしなくていいよ。女だから、年下だから、生意気だから、気に入らないから、そんなくだらない理由でバカにする奴の言葉なんか気にする必要ないの」
そう言って、気が付く。これはチェルシーに向けてではなく、自分に対して言っているものだなと。くだらない、気にする必要はない、とは言われても切り替えることはなかなか難しい。ずっと引きずってしまう。古傷が痛むようにふとした瞬間に思い出して、心をじわじわと蝕んでいく。
「……」
蝕む毒を吐くように息を吐き出す。チェルシーの頭にそっと手を置き、梳くように髪を撫でた。
「……まあ、気にする必要ないって言っても気にしちゃうよね。そういうときは、楽しいことをして忘れよう」
「楽しいこと?」
「そう、楽しいこと。チェルシーは何してるときが楽しい?」
「ママに古代文字を教わってるときと、ママとごはん食べてるときと、ママに本を読んでもらってるときと……陛下に魔法を教えてもらってるときと、イヴァンに料理と家事を教えてもらってるときが楽しいのよ!」
「……楽しい?」
「すっごく楽しいのよ!」
ニコニコと笑うチェルシーが嘘をついているようには見えない。まあ……本人が楽しんでいるならいいのかな。どこに出しても恥ずかしくないお嫁さんになることは間違いなしだろう。嫁に出すかどうかは置いといて。
「ママは魔法が使えないのよね?」
「うん、使えないんだよね」
そう言って、使えないって言葉が嫌いだったことを思い出す。お腹が痛くなって、吐きそうになって、言いたいことを飲み込むように息を止める。
「だからね」
希望に満ちた幼い声。内緒話でもするように、私の耳元で囁いた。
「チェルシーが代わりに魔法を使うのよ。魔法が使えたらママを守ることもできて、ママの役に立つことができるのよ。料理も家事もそうなのよ。ママがお仕事に専念できるように、チェルシーがママの身の回りのお世話をするのよ〜!」
子供に身の回りの世話をさせるのは親としては色々ダメだと思うけど、チェルシーの私のために何かしたいという気持ちは嬉しく、ぎゅっと抱きしめる。子供の体温はあたたかい。
「ありがとう、チェルシー。とっても嬉しい!」
「ママが嬉しいとチェルシーも嬉しいのよ〜!」
きゃっきゃっと声を上げて楽しそうに笑う姿は幼い頃の陛下とよく似ていた。当然だ。だってこの子は──
「あら?」
目をパチパチと瞬かせ、こてんと小首を傾げると、困った顔で私を見上げる。
「何の話をしてたのか忘れちゃったのよ……」
「アー……よくあることだね、よくあることだよ」
特にロウィーナと話してると話が脱線しまくって何の話だったのか忘れる。あの人はそのときの気分で会話をするというか、あの人の中では全部繋がっていることなのだろうが脈絡がなさすぎる。
そんなことを考えると「ねぇ、ママ」と控えめな声。
「ひらがなを書けるようになったら『カンジ』を教えてほしいのよ」
「んー……漢字、かぁ……」
チェルシーの練習用の紙を一枚もらって、ひらがなとカタカナと二つの漢字を書く。
「チェルシー、ひらがなとカタカナは読める?」
「読めるのよ! えっと……『あい』と『アイ』って書いてあるのよ」
「ん、正解。ちゃんと読めて凄いね」
「ママに教えてもらったから当然なのよ!」
胸を張るチェルシーに苦笑しながら髪を撫でる。
当然かぁ〜……当然のことができるのは凄いことなんだよ、ほんとうに。
「これとこれは『カンジ』なのよね?」
「そうだよ。ちなみに、漢字はこういう字で書くの」
紙の上にさらさらと書く。漢は「カン」「おとこ」「から」の三つの読み方がある。意味は中国の川の名前、天の河、中国の王城の名前。字の読みは「ジ」「あざ」「あざな」の三つ。表記を表す記号、市・町・村の中の一区画の名、成人後に実名のほかにつける別名に本名以外につける別名。
「まず、この漢字」
紙に書いた『愛』を指差す。
「これはあい」
次に『藍』を指差す。
「これもあい」
「同じなのにカンジが違うのよ?」
「うん、同じ読み方でも意味が違うからね。最初に指差した愛は、愛するって意味のあい。いとおしいって気持ち」
「こっちのあいは?」
「これは色のあいで植物の名前。藍色は緑味がかった青色で、確か……インディゴに似てるんじゃなかったかな? あ、これはあいって読むんだけど、らんとも読むの」
「らん?」
「あいが訓読みで、らんが音読み。訓読みと音読みって言うのは……」
音読みは中国語としての漢字の発音がどうのこうので、訓読みは漢字の意味を日本語に翻訳したみたいな感じ……だったはず。自信がない上に、中国の説明をしないといけなくて、漢字の成り立ちについても話さないといけなくなる。
陛下にはどうやって音読みと訓読みの説明したんだっけ……意味が分かる読み方が訓読みで、意味の分からない読み方が音読みだって説明したような気がするのだけど、十年も前のことだから思い出すのが難しく、そもそもその説明をしたのかもあやふやだった。同形異音語の説明をしたのは覚えているのに。
私と書いてわたしとわたくし。僕と書いてぼくとやつがれ。違うと書いてちがうとたがう。日本と書いてにほんとにっぽん。
可愛いチェルシーの顔がへにゃへにゃになる。
「ジパング語、難しいのよ……。どうしてこんなに複雑なのよ……?」
「ハハハ、どうしてだろうねー。漢字は陛下でも苦戦してるから」
陛下でも苦戦している、という言葉にぱっちりとした目が驚きから大きく見開いた。あの陛下が? とでも言いたげな視線に苦笑。
陛下にジパング語を教えたのは私なのだが、自分も読めない漢字を他人に教えることなんて無理な話で、私の分からない漢字は陛下も分からないというね! 漢字の種類はかなり多く、使われていない漢字を含めたらやばい数の種類があるんだからしょうがない。確か、日常的に使うのは五千はいかないくらいだったはず。国語は好きだったけど、教師ではないのでそこまで詳しくはない。
ふわぁんと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。見上げてくるベビーピンクの瞳がキラキラとまばゆい。
「甘い匂いがするのよ〜!」
「アー、そろそろおやつの時間かぁ。ちょうどいいから休憩にしよっか」
「チェルシーはイヴァンのお手伝いしてくるのよ! ママはテーブルの上の後片付けなのよ!」
「はいはい」
膝の上から下りて、音程のズレた鼻歌を歌いながらイヴァンの元に向かうチェルシーを見送り、テーブルの上に置かれた紙や本を片付ける。片付けている最中に自分の部屋の惨状を思い出し、おやつを食べ終わったら部屋の掃除をすることを決めた。
整理整頓、大事。
ちなみに、今日のおやつはアップルパイだった。出来たてのアップルパイに冷たいバニラアイスを乗せて食べるとさらに美味しくなるのでおすすめ。
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