第3話
朝ごはんを食べ終えて、陛下と自室に向かう紙と本が占領している部屋はまるで空き巣にでも入られたようにごちゃごちゃしていて、ベッドの上に本が積まれていないだけマシではないかと思う。
保管庫から入れたばかりの呪物を取り出し古い紙は自分の手元に、翻訳した物を陛下に渡す。
「陛下、これが頼まれていたものです。ロウィーナ以外には何があっても絶対に見せないでください。これ、呪物……じゃなくて禁書だと思うので。ぶっちゃけ禁術レベルなんじゃないかなぁと思っています」
「禁書に禁術って物騒だな」
「ハハハ……読めば嫌でも
きょとんとした顔の陛下が翻訳した物を読んでいき、だんだんとその顔が険しくなっていく。纏う空気が重く鋭くなり、冷気が渦巻き吹き上がって足元に薄氷が張った。息を吐くと白く、身体が寒さから震え、歯の根がカチカチと音を鳴らす。
「……陛下、魔力が溢れています」
「! ……悪ぃ」
「いえ、大丈夫です」
気まずそうな陛下から視線を手に持っているジパング語で書かれた古い紙に移す。紙に書かれた内容は『蠱毒』についてで、随分詳しく書かれている。聞きかじった程度じゃないことは明白だ。
蠱毒は古代中国で使われていた呪術で、瓶などに入れた昆虫・爬虫類を共食いもしくは殺し合わせ、最後に生き残った一匹には強い呪いが宿り、呪術の道具として使用する。使用目的は誰かを殺すためだったり、富を獲るためだったりと様々。
やろうと思えば誰でも作成できる蠱毒は、管理や扱い方がちょっと面倒らしい。特に
読み終わった陛下が、
「メーデン」
と、威厳のある静かな声で私を呼んだからだ。その声で名前を呼ばれると自然と背筋が伸びる。ベビーピンクの瞳に映る自分は真面目くさった顔。
「はい」
「禁術クラスじゃねぇ、間違いなく禁術中の禁術だ」
「ア、やっぱり? 読んだときに処分するべきか迷ったんですけど、陛下に頼まれた仕事だからってやめたんです。でもいざ翻訳し終わったときに、これが流出でもされたらやばいよなーって思い、陛下かロウィーナの判断を仰ぐことにしました」
……自己判断で処理をして怒られたくなかったことは秘密にしておこう。
「考えなしの大バカなお前にしちゃ良い判断だな」
「褒めてます? それ」
陛下は軽く息を吐くと、古い本……ではなくノートを押し付けるように渡してくる。嫌々それを受け取ってノートに視線を投げる。古ぼけているが令和日本でよく見かけた量産品のノートに似ている気がする。表紙にはタイトルと名前は書かれていない。パラパラと捲るとジパング語が書かれていた。
このタイミングが渡してきたということはこれも禁術レベルの呪物だったりするの?
「メーデン、今すぐこれを読め」
「あの、なんです? これ。また見つかったんですか?」
「いいから何も言わず読め。お前だったら斜め読みでも解るだろ」
「ええー……? 本好きな人間に知られたら激怒されるやつじゃないですかそれ……」
ブツブツ文句を言いながらノートを開いて速読し、手の中にある蠱毒のことが詳しく書かれた古い紙とノートを見比べてため息を吐いた。
筆跡が似ている上に、書き方が似ている。同じ人間が書いたものと見ていいだろう。こんなに詳しいことが書けるなんて素人じゃないことは間違いない。オカルトマニアか、それともそういえ家系に生まれた人間か……どちらにしろイカれていることには変わりないな。
険しい顔の陛下に眉を下げて笑った。もうね、笑うしかないから。
「アー……誠に残念ながら陛下、これも禁術について書かれています」
「これと同じか」
「似たようなものです。これも蟲術と呼ばれる術のひとつで、犬を使用した呪術……アー、魔法って言った方が分かりやすいかな? 呪術とか魔術とか魔法の区別ってよく分からないんだよね……そもそも上手く説明できる気が……」
「呪術なら知ってる」
それなら話が早い。
「これの内容、聞きたいですか?」
「知っておく必要はあるだろ」
「知らなくていいことだってあると思いますよ。わざわざ自分から厄介事に首を突っ込むのは」
「メーデン」
静かな声とはまた違う低い声が私を呼ぶ。その声に込められた意味に気付き、頭を下げた。
「失礼いたしました、陛下。……では説明しますね。先程も言った通り、ここに書かれているのは犬を使用した呪術についてです」
名前だけなら聞いたことがあるんじゃないだろうか。シャーロック・ホームズに出てくる『バスカヴィル家の犬』に聞き覚えがあるみたいに。
今から私が説明する犬を使用した呪術──犬神。四国を中心とした西日本に分布していると云われている、犬霊の憑き物。
「この呪術には三つのやり方があるらしくて……一つ目は飢餓状態の犬の首を打ち落とし、それを辻道……えっと、十字路? とにかく道に埋めます」
そのまま淡々とやり方を説明していく。
一つ目の説明をした時点で陛下の精悍な顔が歪み、歯を噛んでいた。
「二つ目。犬の頭だけ出して生き埋めに、もしくは柱につなげ、食べ物を見せびらかすように置きます。犬が餓死寸前のときに頸を切り落とすと、頭が飛んで食べ物に食いつくので、それを焼いて骨になったら器……蓋とかできる物に入れて祀るとですね、使い魔となって願望を成就させることができるようです。三つ目。獰猛な数匹の犬を殺し合わせて、生き残った一匹に魚を与えてから犬の頭を切り落とし、残った魚を食べる方法です。三つ目は蠱毒と似てますね」
……陛下には言っていないが、呪術以外にも書かれていることもある。観察日記、とでも言えばいいだろうか。衰弱していく犬の様子が丁寧に記録され、犬の頸を切り落としたときの感触についてまで書かれているが、日記は途中で終わっていた。死んだんだろうな、たぶん。
「……ね? これも禁術でしょう?」
疲れたように笑えば、苛立ったようにぐしゃぐしゃと灰銀の髪を乱暴にかき混ぜる。ブチブチッと髪を抜きそうな勢いだ。
「なんでこんなもんが残されてんだよッ! 書くだけ書いて死ぬな! 死ぬなら責任持って処分してから死ね!」
「ハハハ! やっぱり陛下最高だわー、一生ついて行く」
この人のこういう所が私は好きだ。王族としてその口の悪さは少々、いや、かなり問題であるものの、それ相応の振る舞いを求められる場所ではきちんと王族らしくしている。陛下の人柄を知っている人間すれば、王族らしく振る舞う陛下は爆笑案件。
「メーデン、それ貸せ」
「どうぞ」
「こっちは俺かロウィーナ以外に誰も見せてねぇな?」
見せるわけないでしょう、と呆れながら肯定を返す。
陛下の手の中にある呪物が突然燃えた。青色の炎、パチパチと燃える音、紙が焦げる独特の匂い。呪物は跡形もなく燃やされ、異臭は陛下の魔法ですぐに消えてなくなり、換気でもしたように息がしやすくなった。
「あの、陛下、ここで火を使うのやめてください。全部燃えちゃったらやばい……」
「燃えねぇように結界張ってる」
「そういう問題じゃないんですよねー……。まあ、いいですけど、別に。ロウィーナに伝えますか」
「一応、伝えておけ。アイツだったら過去にこの呪術が使われていたか解るだろ」
「承知致しました。それから陛下」
「あ?」
「呪物の翻訳とかできればしたくないので、今後はあまり持って来ないでください。できればレシピとかそういうのがいいです。美味しい物をたくさん食べたい」
「俺はお前みたいに速読できねぇよ」
「他の人間に比べたら早い方でしょう、ロウィーナと私が教えたんですから。……ああでも、理解した瞬間に発狂するタイプのだったらヤバいのでやっぱりいいです。いつも通り読まずに渡してください」
私には魔法や呪術は効きませんから。と笑う。
自分でそう言うと、なんだか自虐しているような気分になって心が沈んだ。陛下は口を開いて、すぐに口を閉ざす。慰めの言葉でも言おうとしてやめたんだろう。私にそんな言葉は不要だと知っているから。
「呪術関連の物だったら翻訳しなくていい。むしろ翻訳すんな。その代わり、どんな呪術だったのか教えろ」
「分かりました。……呪術に関してはまだチェルシーに教えない方がよろしいですか?」
「あァ。……悪ぃな」
「あなたが謝ることなんてひとつもありませんよ」
陛下らしくない、迷子の子供のように不安そうな顔で笑う。陛下のそんな顔を見るのはこれで二度目だった。
あなたが謝ることなんてひとつもありませんよ、ともう一度心の中で言う。
陛下は何も悪くない。悪いのは先王である彼の父親と彼の母親だけ。否、彼の母親も被害者だ。先王に苦しめられた被害者。でも、加害者でもある。陛下を傷付け、今も苦しめている。それでも陛下は自分が悪いのだと言うのだろう。……生き難い人だ。
「じゃ、帰るわ」
「今度いらっしゃるときは護衛をお連れしてくださいね」
「はいはい」
「はい、は一回です」
ムッと唇を尖らせる姿はどこか幼さを感じさせる。私の髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、満足そうに転移魔法で帰って行った。幼い頃から陛下を知っている宰相が叱ってくれることを祈るばかり。
そういえば、気軽に転移魔法で帰って行ったな、あの人。
『転移魔法は魔力の消費が激しく、複数人がいないと転移魔法は使えない』と、魔法について詳しくない私に、イヴァンが教えてくれた。陛下とロウィーナが気軽に使っているから、誰でも彼でも使えるわけではないと知ったときは吃驚したなぁ。
あくびをこぼす。
「……寝よう」
眠さが限界だった。たくさん話したから眠気は吹っ飛んだと思ったけどダメだった。
ベッドの上に横たわって目を閉じる。ふと、陛下に髪をぐしゃぐしゃにされたことを思い出す。
気軽に異性の髪を撫でるのはやめろと今度会ったときに言わないとだなぁ。陛下のような精悍な顔だったら大歓迎な女性もいるだろうが、大抵の女性は好きでもない男性からのスキンシップは無理なので。勘違いする人間も居るだろうから。
陛下はもう少し、自分が王族であることを自覚するべきだ。あと六年もすればアラサーになるのだから、婚約者もいい加減見つけて跡継ぎをどうにかしないといけないのに縁談は断ってばかり。宰相辺りから陛下に跡継ぎの件について話して欲しい、と言われる私の身にもなってほしいものだ。何故私に言う。
この国の王になると決めたのはあの人自身。それなら、国王としての責務を果たさないといけない。……たとえあの人が自分の血が穢れていると思っていたとしても。
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