第2話


 ズキズキと痛みを訴えるこめかみを抑えながら息を吐いた。

 最近、夜更かしをすることが多かった。徹夜だってしてしまった。睡眠時間が足りないような気がするし、知らない内に疲れが溜まっていたのかもしれない。きっとそうだ。

 だからイスに腰掛けている精悍な青年は幻覚に違いない。

「……幻覚かな? ここには居ないはずの人が見えるんだけど。アッ〜、やっぱり夜更かしや徹夜なんかするもんじゃないね、明日から早めに寝るようことを心がけよう」

「幻覚じゃねぇよ、現実逃避すンな」

「……なんで陛下が居るのかなぁ!?」

 灰銀色の髪にヘビーピンクの瞳の青年。年は私の四つ下の二十四歳。十九歳という若さでこの国の王となった人。父親殺しの国王陛下。生まれながらの王様。世界最強の魔女に認められた男。

「朝メシ食いに来た」

「料理長が作ったもの食べろください!! いい加減料理長泣きますよ!?」

 思い出すのはこの前のことだ。

 王城に用事があって行ったらたまたま休憩中の料理長と鉢合わせて陛下の食事について何故か相談された。悲愴感溢れる料理長は『陛下は昔から好き嫌いが多く……』と陛下の幼少期を語り、肝心の相談内容は王宮であまり食事をとらないことについてだった。

 相当そのことについて悩んでいるらしく、陰でコソコソと見守っていた副料理長に『どうにかしてくれ!』と目線で訴えられ、とりあえず陛下が前に好きだと言っていたレシピを伝えておいた。

 そのときに驚かれたのはどうしてだろう?

「イヴァーン! 陛下追い出してー!」

 料理を運んでいる赤髪の男──イヴァンが無茶言うなと言わんばかりに眉間にシワを寄せる。無茶を言っている自覚はある。陛下を追い出すことができる人間なんてロウィーナくらいだ。

 そのロウィーナは今、野暮用でこの国にいない。彼女が長期間この家にいないのは珍しいことではなかった。

 イヴァンは私の護衛だ。鮮やかな赤髪に綺麗なアメジストの瞳で、陛下とはまた違うタイプのイケメン。

 イヴァンは私が十五歳のときに森で倒れているところを発見した。見捨てることができなかった私はえっほえっほと彼を背負って家に帰り、ロウィーナに出迎えられた。

『おかえり〜わたしのかわいい子!! 今日は帰って来るの遅かったね? もう少したら迎えに行こうと思ってたんだ〜! 怪我はない? 大丈夫? ナンパでもされた? 奈落にでも落とす?』

『アー、怪我とかしてないですよ、心配させてすみません。でもロウィーナ、冗談でもそんなこと言うのはやめろください。あなたがそれ言うとシャレにならん』

『えっへん! 愛弟子をナンパしたかったらわたしを倒してみろ!』

『あなたを倒せる相手なんて陛下くらいでしょうに……』

『あんな若造にはまだ負けませ〜ん。大荷物だけど何買ったの? お肉? お肉かな? お肉だよね! ……愛娘! 人間は美味しくないよ?! 捨てておいで!』

人肉嗜食カニバリズムッ! 食べませんけど!? 飼うつもりもありませんから!』

『ならなんで拾ったの? 捨てておいで!』

『めっちゃ捨てること押してくるじゃん……人でなしかよぉ……。見つけちゃったんだからしょうがないでしょーが』

『全くもう! わたしの愛弟子はあまあまなお人好しちゃんなんだから!』

 ああクソ、思い出したらどっと疲れが……。ロウィーナが「捨てろ」と言ったのは私のためだと分かるが、もう少し別の言い方はなかったのかと思う。

 騒がしいやり取りをしていてもイヴァンは目覚めることなく、彼が起きたのは拾ってから三日後のこと。これまたさまざまな出来事の結果、彼は私の護衛となった次第である。

 現実逃避をやめて陛下を見る。

「なんで来ちゃうかな……? いや、来るのはいいんだよ? でもさぁ……朝ごはん食べに来るとかちょっとわかんない……しかも護衛連れずに来るとかさ、この人自分が陛下だってこと忘れてるよぉ……」

「足でまといは邪魔だ」

 吐き捨てるように言われた言葉に眉を寄せる。感情的にならないよう、息を吐いてから話した。

「あなたがこの国で一番強いことも、世界で五本指に入る魔法使いであることもよーく知っています。ええ、よく知っていますとも、幼い頃からの付き合いなのですから。ですが陛下、あなたはこの国の王なのです。尊い御身であることをご自覚なさいませ」

 遠回しに『お前が強いってことも、世界最強の魔女ロウィーナに次ぐ魔法使いだってこともこっちは知ってるんだよ。でもそれはそれ、これはこれ。お前が死んだらこの国滅びるから、マジで』と言えば、陛下はバツの悪そうな顔で「悪かった」と言う。

 おや、と首を傾げる。今日はやけに素直に謝るじゃないか。いつもならどうでも良さそうに「分かってる」と言うだけなのに。

「……陛下、もしかして拾い食いでもしました?」

「俺にそんなこと言うのお前かロウィーナだけだぞ」

「素直な陛下って正直、気味が悪くてつい……」

「おい」

「拾い食いしてないならいいです」

 陛下に対してこんな軽口が許されているのは、陛下本人が許しているのと、私がロウェナの愛弟子で愛娘だから。ロウィーナは全てを許されている。全てと言ってもさすがに無辜の民に手を出せば罰を与えられるだろうが、ならば許されている。ロウィーナの機嫌を損ねることはつまり、この世界の終わりだと考えているから。

 だから(自分で言うのもあれだが)彼女が溺愛している私も大抵のことは許されている。万が一、私を害していると判断したロウィーナがどんな行動をとるのか予測できないために。

「あ、翻訳終わったので、朝ごはんが食べ終わったらお見せしますね」

「もう終わったのか。相変わず早ぇな」

「そう、ですかね? 今回はやる気出なくていつもより時間かかった方なんですけど」

「普通の奴に比べたら十分早いんだよ。普通はもっとかかる。それこそ一年以上とかな」

「へぇ……そうなんですか」

「お仕事のお話はそこまでなのよ! 朝ごはんが冷めちゃうのよ〜!」

 自分もそれくらいかけるべきなのか、と考えていればチェルシーに突撃される。グリグリとお腹に頭を押し付けてくる姿は大変可愛らしいのだがお腹が痛い。

「っ、ごめんね、食べよっか」

「ママは私の隣なのよ〜」

「はいはい」

 音程が少しズレた鼻歌を歌いながら機嫌良さげに私の手を引くチェルシーはとっても愛らしく、必然的に陛下の隣で食べることになったイヴァンの顔が笑ってしまいたくなるほど酷くて、笑いをこらえるのが苦しかった。

 席に着いて食前の挨拶をしてから食べ始める。

 今日の朝ごはんは塩おにぎり、具沢山のお味噌汁、焼き鮭、トマト、ほうれん草のおひたし。

 どこからどう見ても和食だ、異世界なのに和食。違和感が凄い。でも使っているカトラリーはフォークというね……。異世界転生したから和食は諦めていたんだから、カトラリーがなんだって話だけど。

 具沢山のお味噌汁をズズッと音を立てて一口。いつもの事ながらお味噌の味にほっとする。冷えていたらしく、胃のあたりがあたたかくなっていくのがわかる。

「お味噌汁美味しい……お味噌作ってくれてありがとうイヴァン……」

「ママはお味噌汁飲む度にそれ言ってるのよ」

「それくらい嬉しいってことだよ、チェルシー。それにお味噌汁を朝昼に飲むと精神が安定するって云われているから、私には必須の飲み物なんです」

 えーっと、確か……幸せホルモンが日中に作られるから、お味噌汁の成分があるとそのホルモンが作りやすくなるわけらしい。あやふやすぎて合っているのか分からないけど。

 和食に必要不可欠と言っても過言ではないお醤油やお味噌は残念なことにこの世界では流通していない。

 それなのにお味噌汁がこうして飲めているのはさっきも言った通り、イヴァンがお味噌を手作りしてくれたからだ。お味噌だけではなくお醤油やお豆腐なんかも彼は作っていて、私の中途半端な知識と微妙に分かりにくいレシピを元に作ったイヴァンは俗に言うハイスペック男子なのである。

 そんな彼が最近ハマっているのはぬか漬け。

 塩おにぎりを手に取ってガブリ。お米がふんわりと握られていて、塩加減が絶妙すぎてやばい。食レポ下手か。

「おにぎり美味しい……ジャポニカ米見つけてくれた陛下に感謝……」

「あァ、感謝しろ。お前が米食いたいってうるせぇからわざわざ見つけてやったんだ」

「その節はありがとうございました。でも突然『米探してくる』って言っていなくなるのはやめてくださいね? あのときは大変だったんですから」

 あのときのことを思い出すと胃痛がしてくる。今日は何故か胃のダメージが凄い気がする。

 何も言わずにいなくならなかっただけマシだとは思う。昔に比べたら成長したなとも。昔の陛下だったら、誰にも何も言わず城を抜け出して何日も帰って来ないなんてことがざらにあった。自由奔放な所が陛下のいい所で悪い所だ。

 陛下が何かやらかす度に巻き込まれて説教される私の身にもなってほしい。……いや、陛下のやらかしに私が関わっていることが大半を占めるから説教されるのは分かるけども。事の発端は大抵私だけども!

「ジャポニカ米を使った色んな料理が食べたい……もっと広まってほしい……」

「ちいせぇ村でしか作ってねぇから生産量が問題だな」

「そこなんですよねぇ。一般的に広まっているのはインディカ米で、そもそも主食はパンの人間が多いですから。さすがにこの森で育てるのはちょっとなぁ……それに専門的な知識がないから難しいだろうし」

「そこまでして食いたいか」

「食は人生の潤いです。食とチェルシーの成長以外に何を楽しみに生きろと?」

 私の言葉に陛下とイヴァンが何とも言えない顔をする。それを知らんぷりして、チェルシーにお米を使った料理で一番好きな物を聞いた。

「チェルシーはオムライスが一番好きなのよ〜」

 とふにゃふにゃ笑顔で言うので、今日の夕食はオムライスにしてもらおうと思った。あと、チェルシーの一人称をそろそろ名前から『私』に修正するべきだろうか。

「イヴァン、イヴァン、今日の夕食はオムライスがいいです」

「……五日前に食べただろ?」

「食べましたけど、それとこれは別と言いますか」

「好きな物は毎日でも食べたいのよ!」

「俺も」

「ア、陛下は料理長に頼んでくださいね〜。リクエストしたら作ってくれると思いますから」

「あ?」

「凄んでもダメなものはダメでーす」

 舌打ちをして私の皿から塩鮭を奪った陛下は拗ねた子供としか言えない。

 すっかりまあ、イヴァンに胃袋掴まれちゃって……あんなに警戒していたのが嘘みたいだ。

「イヴァン、朝ごはん食べ終わったら寝るのでお昼になったら起こしてください」

「……徹夜したのか」

「気付いたら朝になってて……そんな怖い顔しないで」

 許してママ。呆れた表情をされた。傷ついた。

「……あのね、ママ、お昼ごはんが食べ終わったら古代文字を教えてほしいのよ。……ダメ?」

「いいよー、昨日の続きからね」

 嬉しそうにベビーピンクの瞳を細めるチェルシーを見て、陛下の眉間のシワが和らいで穏やかな笑みが浮かぶ。

 微笑ましい気持ちになって、ゆるりと唇を緩めてしまった。

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