古代言語学者

真中夜

第1話


「誰だよ、こんな呪物を作成した挙句この世に残して死んだどうしようもないおバカさんは。呪物遺して死んでんじゃねぇよ……死ぬならせめてこれを葬ってから死んでくれよ……バカがよぉ……」

 ブツブツと恨み言を呟きながら、『ジパング語』と呼ばれる古代文字が書かれた古い紙を睨みつける。陛下に「見つけたから翻訳頼んだ」と言われて、二週間ほどかけて(二週間もかける必要などないのだが、やる気にムラがあって遅くなっただけ)翻訳をした。

 なるべく翻訳をする前に原書を読むようにしているのだけど、読んだときにこれが呪物であることが解った。それなのに翻訳したのは仕事だったからで、仕事じゃなかったら翻訳せずに適切な処理をした上で跡形もなく処分していただろう。

 それほどヤバい物であることを理解してほしい。

 幸いだったのは、これを理解したことによるSAN値チェックがなかったこと。物によっては本を開くとヘンテコな呪いがかかったり、本の内容を理解した瞬間ファンブル、なんて笑えないことも稀にあるのだ。

「はぁ……」

 何度目かも分からないため息を吐き出す。これが流出したときのことを考えると、頭と胃が絞めつけられるように痛くなってくる。

 こんなものが世に出たら間違いなく禁書扱いだろう。それだけならまだいい。問題なのは確実にこれを試そうとするバカが現れることで、そのせいで国内が荒れに荒れてしまうこと。下手をしたら金運のおまじないと称して、市場とかに流れる危険性がある。

 いつもいつも陛下に『考えなしの大バカ』と言われる私だが、さすがにそれがヤバいことなのは理解できた。

「アー、どうしようかなぁ? 一応ロウィーナと陛下には見せることにして、この呪物もとい禁書は処分すべきか否か。……うん、二人の判断を仰げばいいか。うん、そうしよう。下手なことをして二人に、特に陛下に怒られるのは死ぬほど面倒だもの」

 そう結論付け、他の原本やら翻訳しかけの物と混ざらないように呪物をひとつにまとめる。それをロウィーナがお祝いだと言ってプレゼントしてくれた、魔法がかけられたA4サイズの本が余裕で入りそうな保管庫に仕舞う。

 ふと、保管庫をもらったときのことを思い出した。

『これの所有者は愛弟子だから、愛弟子の許可を得てない奴が開けようとしたら死ぬ感じの魔法をかけておいたよ!』

 と、褒めろと言わんばかりの顔をしたロウィーナが言っていて。

『すげぇなこれ、古代魔法かかってんぞ。国宝に匹敵するレベルだな』

 と、ニヤニヤした笑顔で陛下は言っていた。

 それに私はわなわなと体を震わせ『なんつーもんをプレゼントしてくれたんだ!!』と崩れ落ちた。いや、本当になんてもんをプレゼントしてくれたんだろうあの人。

 陛下の言っていた国宝とは、伝説の鍛冶師・ムラマサが生涯をかけて製造した聖剣のこと。簡単に言えばエスクカリバー的なあれ。

 それに匹敵するような古代魔法がかけられている物がまさか保管庫とは誰も思うまい。オークションに出品したらどれくらいの値段になるのか分からないけど、おそらく国がひとつ買えてしまうような値段になるんじゃないだろうか。

「うぅっ……胃が痛くなってきた……。一般人にプレゼントするもんじゃない……」

 この家は魔女ロウィーナの魔法がかかっているから、害をなそうとする者は絶対入ることはできない。無理に入ろうとすればロウィーナの魔法が発動して、確か、気絶するんじゃなかっただろうか。

 そもそもの話、この家に辿り着くことができる人間なんて私が知る中では陛下ただひとりだけ。陛下以外の人間(もちろん、ロウィーナが招いた人間は除く)がアポなしに来たことは一度もない。

 ロウィーナは家にだけではなく、森全体に人間の感覚を狂わせ惑わす魔法をかけている。その魔法のおかげで私は安心安全にのんびりと暮らせているわけだ。魔法に関してはちんぷんかんぷんでも、四十八時間休みなく、しかも森全体に魔法をかけるのはヤベぇことなのは解る。あの陛下でも出来るかどうか怪しいのだから、『世界最強の魔女』と謳われるロウィーナの魔力量は底がしれない。

 そんなことを考えていると、控えめなノックの音が聞こえた。

「はーい、どーぞ」

 ドアが開く。ふわふわの金糸にぱっちりとしたベビーピンクの瞳の、七歳くらいの女の子。目が合うと、ベビーピンクの瞳が嬉しそうにゆるむ。

「ママ、朝ごはんできたのよ!」

「え。もうそんな時間なの? おはよう、チェルシー」

「おはようなのよ〜ママ」

 ふにゃふにゃ笑顔のチェルシーに苦笑する。

 チェルシーとはひょんなことがきっかけで出会い、さまざまな出来事の結果、私が引き取ることになった。

 表向きは私の娘ということになっている。本当は年の離れた妹ということにしたかったのだが、チェルシーが『妹じゃなくて娘がいいのよ!』と希望したこともあって、私とチェルシーは母娘になったわけである。

 結婚願望もない、子どもを産みたいとも思わなかった自分が子持ちになるとは夢にも思わなかったなあ……。

 彼女が私を「ママ」と呼ぶのは、何様俺様な陛下の入れ知恵なのだが、それは横に置いといて、あることに気が付いた。

「待って? 気が付いたら朝だったってことは徹夜したってことにならない? うっわ、イヴァンにバレたら叱られるやつじゃないですかやだー」

「ママ?」

「ごめんごめん、後片付けしてから行くね。あとチェルシー、私のことはママじゃなくてメーデンって呼んでくれたりは」

「ママはママなのよ〜!」

「ア、そうですか……そっかぁ……」

 できればママじゃなくてメーデンって呼んでほしいんだけどね、と呟いた言葉はチェルシーには聞こえなかったらしく、ふにゃりと笑って「早く来てほしいのね〜」と部屋を出て行った。うん、かわいい。

 ぐう〜とお腹が空腹を訴える音。徹夜した、と自覚した途端眠気が襲ってきたけれど、朝ごはんを食べてから寝ることにしよう。

 後片付けを済ませて部屋を出た。


 ◆


 前世の記憶を思い出したのは、四つ年の離れた兄たちのお巫山戯で川に落とされ、溺れ死にかけたことがきっかけだった。

 溺れ死にかけたのは川の深さが当時の兄たちの腰くらいで、私がカナヅチだったことが原因。兄たちもまさか私が溺れるとは思ってもいなかったらしく(私がカナヅチであることは知っていたはずなのだが)、パニックを起こして助けてくれなかった。

 幸い、六つ年の離れた兄が助けてくれたことで溺れ死ぬことはなかったが、前世の記憶を思い出したことによる知恵熱で一週間ほど寝込むことになった。妹を川に落としたことについて両親たちよりも怒らせたらやばい長男が大激怒し、兄たちは可哀想なほどべそべそに泣いていたと、二つ年の離れた姉たちから聞いた。

 ざまぁみろ。と思い出す度に思う。四つ上の兄たちのことは嫌いではないが好きでもない。

 生まれたのは、あまり裕福とは言えない家庭で、私は三女だった。上には四人の兄と二人の姉、それから弟が二人に妹が一人。そこに両親を加えると、テレビで見たような大家族である。

 せっかく異世界に転生したんだから「またオレ何かしちゃいました?」だとか、スローライフとは言えないスローライフだとか、知識を活かして無双だとか、そういうのをしようと思ったことはなかった。

 だって専門的な知識なんてないし、魔力なんてないに等しいくらいで、自分の身が可愛いから人助けや危ない冒険者なんて以ての外。前世よりも生活水準は低いが、食いっぱぐれるようなことはないから許容範囲内。贅沢をしたいと思ったことはあるけれど、惰性に生きたかった。

 むしろ、異世界ではなく自分が生きていた世界に生まれ直したかったなと思う。でも、子どもらしく振る舞うのは苦痛でしかないだろうし、一歩 間違えれば神童だなんて持て囃されて搾取されるだけの人生の可能性もありえる。

 そう考えると、異世界でよかったのかもしれない。文明の利器がないのは現代で生きていた自分にとってありえないが。


 前世の記憶があっても何の役にも立たない。中途半端な知識、それこそ漫画や小説とか興味があった知識しかない。文明社会で生きてきた慣れが邪魔すぎる。これなら思い出さない方がよかった、と記憶を思い出したばかりの私はそう思っていた。

 ちなみに、私が死んだ原因はおそらく、お金がもったいないからとこじらせた風邪を放置していたことだと思われる。もったいないからなんて言ってないで行けばよかった、と後悔しても後の祭りだ。自業自得の結末。

 転機が訪れたのは、前世を思い出してから一年後。私が五歳のときに、恐れていた事態が起きた。

 何度も言うが、我が家の生活水準は低い。食いっぱぐれることがなく、屋根のある家に住んでいるのだから低くはないだろうと言われてしまえばそれまでなのだが、そう言われてしまうと話は進まないので割合して、生活を維持するだけで精一杯で破錠寸前。

 節約なんて言葉がこの世界にあるのかは分からないが、生活がカツカツだというのに両親は節約なんてしようとはしなかった。浪費癖が激しかった印象が残っている。それ本当に必要か? って思うものまで購入していた。やりくり下手くそか。

 身の上話が長くなりそうな上に愚痴りたくなってきたので本題に戻るが、私が恐れていた事態というのはお金に困った両親による口減らしだ。

 子どもを売ったり、家から追い出しても特に何も罪に問われない異世界ファンタジー。法律によってはダメなのかもしれないが、大抵は黙認されている異世界ファンタジー。奴隷が当たり前の世界だからあれなのだが、しょうがないで済ませたくないと思うのは自分がそうされたからだ。

 私は両親に売られた。なんで私だったのかなんて知らない。知りたくもない。兄たちと姉たちが出かけている隙に娼館の人間に売られた。弟二人と妹は娼館の意味は知らないが、それでも私と会えなくなることを両親の様子から察したのか、泣きじゃくって抱き着いてきた。もうね、私も泣きそうだった。ずっとチベスナ顔で両親を睨んでやっていたんだけど、離れたくないって泣き叫ぶきょうだいがあまりにも可愛すぎて……。まあ、無慈悲な大人たちの手によって引き離されたのですが。私はいくらで売られたんだろう、そこは気になると言えば気になる。


 そして、きょうだいと別れて娼館へと向かっている途中に魔物に襲われた。

 この世界にも魔物はいる。魔物はいるけど、魔族や魔王はいない。魔物が生まれるのは瘴気と呼ばれるものが原因らしいが詳しいことは知らない。この世界での魔物は基本的に単独行動が多く、夜行性で昼の遭遇エンカウント率は低い。ドロップなのか死体が資源利用されているのか分からない、と言うよりも興味がないので忘れた。私には戦う術がないので、魔物と遭遇エンカウント=デッドだ。

 ただ、この世界で食べられているお肉は基本的に魔物のお肉で、家畜のお肉はあまり食べられていないらしい。料理はイヴァン任せなので、普段私が食べているお肉は魔物なのか家畜なのか……考えないようにしよう。なんかこう、改めて魔物のお肉を食べているのかと実感するとこう……ね。

 娼館の人間は私を囮にして逃げようとしたが、どうも逃げる者を追いかける習性があるらしく、魔物は私に見向きもせずに娼館の人間をバリムシャァと美味しくいただいた。その隙にこっそりと逃げ出せばよかったのだけど、腰が抜けて逃げることができなかった。

 五歳で死ぬのかー……と思っていたら。

「ヘイヘ〜イ! そこのガール! 死を受け入れるのはちょーっとばかし早いんじゃないの?」

 と、気が抜けそうな声。視界は白く焼けて、雷鳴が鼓膜を突き抜けて脳を揺らした。目の前に居たはずの魔物が跡形もなく消えていて、地面は焦げていた。

「ちっちゃい子が一人でこんなとこに居るのってフツーに危ないと思うんだけど、もしかして捨てられた感じだったりする?」

 目の前に現れたのは、二十代前半の女性。艶めかしい黒髪はさらさらと風に靡き、タレ目のアイスブルーの瞳は宝石のようにキラキラと輝いていて美しかった。

 ちいさく頷いて肯定すれば、女性の瞳の輝きが増して、視界がチカチカと瞬く。

「じゃあ、わたしが拾っても何も問題ないよね? 誘拐にならないよね? まあ、誘拐しても許されるんだけど。んふふっ、今日からわたしの愛弟子ね! もしくは娘ね! あ、娘で弟子ってことにしよう。拒否権はないから! よろしくね、わたしのかわいい子!」

 ずっと娘と弟子が欲しかったんだよね〜!

 と、にっこにこ笑顔で話す彼女に、どっかで見たことある展開だな……と冷静な部分が思った。

 これが、私とロウィーナの出会いである。

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