第10話 せんせー、来ちゃった!
入学式は、校長先生の話で若い親御さんが貧血で座りこんでしまったこと以外は、問題なく終えることができた。生徒たちと教室に入って、改めて自己紹介をした里山は、桜の下で泣いていた子が最前列に座っていてちょっと驚いた。
生徒たちとプリントを配る練習をした後は、別の先生が生徒たちを誘導して学校の中を案内して歩く。その間に、里山は親御さんと、これからの学校生活を説明した。
大変緊張した。親御さんの質問にしっかり答えられたかと、あとになって心配してしまったが、進行が遅れるほどの大きな問題が起きることもなく、この日は無事に終えたのだった。
あの夜から、たまにルイとマロの夢を見た。先日、ついにタワーのてっぺんを征覇。耳をなぶる突風に、さすがに目が回った。
「彼らの動画を視聴すると、最初の一回目だけぐっすり寝落ちする。二回目からは通常通り視聴ができる。ファンは新作が上がるのを楽しみにしている……これはつまり、催眠術か?」
休日の朝から、里山はタブレットをいじっていた。マロとルイについて、もう少し詳しく知るために。
(お、あったぞ。マロ、本名はマイケル・リズリー、十七歳。イギリス生まれでアメリカ育ち、現在は日本の通信制高校に通い……ん? 銃撃事件?)
里山は大量の文字の羅列を、険しく目で追った。マロは三年前に起きた残忍な銃撃事件で、両親を失っていた。その後は、日本人である母方の親戚に引き取られたが、周囲からの呼びかけにも、まともに反応できない状態だったらしい。中学にも通えず、睡眠薬があっても眠れず、常に意識が朦朧。それがルイと出会い、ぐっすり眠れるようになってから、今のマロになっていったという。
(繊細な少年を、陥没しそうなほど深いトラウマから救い出したのが、ルイだったのか)
そのルイなのだが、『飢腹涙』という芸名以外の一切のプロフィールが謎だった。
(このご時世に、あんなイケメンから素性の一片も漏れないのは、ちょっと妙だな)
マナーの悪いファンいわく、アパートに張り付いて待っていても、出入りしているのはマロだけで、ルイの姿は窓からも見えないらしい。
(……まあ、二人が仲良しなら、それでいいんだがな)
ピンポーン、とインターホンが鳴った。また実家から荷物でも届いたのかと、里山は返事をしながら扉まで歩いた。
たまに近所のおじいさんが家を間違えることもあるので、里山はドアスコープで来客を確認した。
――絶句する。
……返事をしてしまった手前、居留守が使えない。ドアチェーンだけ掛けて、扉を細く開けた。
外に立っていたのは、革ジャケット姿のマロとルイだった。黒いマスクをしていても、すらりとした高身長であっても、夢で何度も会っているせいか、すぐに彼らだと気づけた。
「あの、こんにちはー。オレたちのこと、わかりますか? 夢で、会ってるんだけど」
緊張しているマロとは対照的に、ルイは堂々としていた。
「夢魔と契約して得た夢は、どんなに忘れっぽい人間でも、はっきりと覚えている。俺たちの顔を見れば、いやでも思い出す」
夢魔という単語は、中学の頃に調べたことがあった。悪魔に天使に、興味が出てくる年齢だ。里山は、夢で人間に悪さする恐ろしい悪魔と、目の前に立っているルイが、全然別物であることだけはわかった。
「ああ、やっぱりだ。あんた、子供の頃に俺と契約しただろ」
「ええ……? すまないが、何かの企画なら辞めてくれないか。これでも学校の教員なんだ。無断で撮影されると、学校等が特定されて、生徒や親御さんに迷惑をかけてしまう可能性がある。撮影やネタ提供には協力できないんだ、ごめんな」
里山は、扉を閉めようか迷った。その時、ドアチェーン越しのルイの真っ赤な双眸が、何かの呪いの宝玉のように、威圧的にゆらめいた。
ガチャン、と右手に当たったのは、外れたドアチェーンだった。
驚いた里山の手が、ドアノブから離れてしまい、誰も触っていないのに扉が、音を立てて、隙間を大きくした。
ルイは押し行ったりはしなかった。あの大きかった両眼が、三日月のように細まっただけだった。
「乱暴しに来たわけじゃない。あんたは俺と繋がったまま大人になっちまったから、それを解除しに来た。少しの時間でいい、中に入れてくれないか」
ドン引きする里山に、今度はマロが、持っていたコンビニの白い袋を差し出した。
「ごめんなさい。ルイってー、いつもこんな感じなんだ。コレ、そこのコンビニで買ってきたお茶なんだけど、よかったらどうぞ」
袋の中から、お菓子とペットボトルのお茶が飛び出ていた。
里山は、視線が右往左往。
「……よくわからないが、撮影じゃないんだな?」
「ああ、違う。俺たちは無許可の突撃取材はしない。バックに付いている大手企業とも、そういう契約を結んでいる」
「なら、尚更よくわからないんだが……夢で俺が黒いウサギになって、君たちとパルクールを楽しんだのは、本当だしな……わかったよ、少しで良いなら時間を作ろう」
里山はおっかなびっくり、和室のリビングに案内した。
画面の向こうでしか見たことがなかった、本物の彼らが、肩を並べて畳の上の座布団にちょこんと座る。
里山も適当なところに座った。
「えーっと、いろいろと順番が違うような気がするが、俺は夢で仔ウサギだった、里山昇だ。初めまして」
「のぼるせんせー、初めまして! ルイのことは覚えてないの?」
里山は返事に困った。幼い頃に、ウサギになった夢は何度も見たような気がするが、それがルイの影響かは断定できない。
「本当は、すぐにでも会って契約を解除したかったんだが、マロがあんたを気に入ってな……気づいたら、一ヶ月も先延ばしにしてしまった」
「その契約っていうのは、魂を食らうとか、そういう怖い系か?」
「寿命を取るやつもいるが、俺はそこまではしない。一人の契約者と、波長の合うファンを夢に召喚し、夢の世界で遊んでる間に精気を少しもらって、疲れさせてぐっすり寝てもらう。双方ともに有益なビジネスライクを提供している」
「ビジネス? 人間と悪魔がか?」
「俺は他種族を見下していないんでな」
なんとも誠実な悪魔である。
「成人したあんたは、忙しいだろう。昨夜みたいに、俺がうっかり夢に喚ばないように、契約を解除する。これで二度と俺に喚ばれないよ」
「それは、少し惜しいな。君たちの夢に出ると、ぐっすり眠れるのに」
里山は大人びた苦笑を浮かべつつ、本気で惜しくなっていた。
「でも俺は君たちのファンだ。だから今度は、光の玉になって遊びに行くよ。たとえ契約がなくっても、マロと波長が合えば、また会えるんだよな?」
マロがハッと青い目を見開いて、じんわりと身を震わせた。
「せ、せんせ~、今日オレたちが思い切って会いに来たのは、契約のことを説明したかったのとー……今朝、届いた挑戦状について、相談したかったからなんだ。こんなこと話せるの、せんせーしかいなくて」
「挑戦状?」
ルイが目尻を吊り上げて、マロの二の腕を小突く。
「よけいな事するな。一般人を巻き込むなよ」
「でも、せんせー優しいよ? 協力、お願いしてみようよ」
マロはジャケットの内ポケットから、ピンク色の、女児向けの文房具コーナーに置いてありそうなファンシーな封筒を取り出して、里山に渡した。
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