第8話   どたばた入学式

(動物をビルから投げ捨てるなー! お前なんか道徳1だー!)


 眠らぬ街に放り捨てられて、ジェットコースターの盛り上がりのごとく急降下して、全身がビクンと跳ねて飛び起きた。


 ハッ!!! という己の呼吸音で、重ねてびっくり、目が覚めた。


 チュンチュンと小鳥が、窓からの爽やかな青空を背景に飛び立ってゆく……春風に押し開けられたベランダのカーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。


「え……あ!!! 今何時だ!? シャワー浴びないと!!」


 浴室に直行するついでに壁時計を確認。シャワーも朝食も充分余裕を持って終わらせることができる時間だった。


 頭も、妙にすっきりしている。


 畳で仰向けに寝ていたというのに。枕も、かける毛布もないままに。


 シャワーヘッドから出るお湯を頭のてっぺんから浴び、ふと、マロとルイのことを思い出した。


「テレビ、つけっぱなしだったな……」



 いよいよ高望み小学校の、入学式だ。新入生と親御さんが集まる前に、教師陣にはまだまだ準備があった。 『入学おめでとう』の手作り看板を、校門に設置。これからやってくる新入生と親御さんが、ここで記念撮影を撮ってゆく、大事な場所だ。里山は校門付近の掃除を担当した。近隣の山から吹いてきたのか、枯れ葉がたまっている。


(去年の落ち葉だな。自然が多いと大変だ)


 落ち葉は校門から入って、グラウンド、花壇、そしてこれから新入生と親御さんが集合する体育館の周辺まで、散らかしていた。里山はそれを辿るように、箒で片付けていく。


「あ、里山先生、ちょうどよかった。来てください!」


 女性教師から呼ばれて行ってみると、体育館の扉の一つが開かなくなっていた。


「あれ? 昨日までは開いてたのに」


「私の力では、押しても引いても、びくともしなくて。里山先生だったら動かせるんじゃないかと思いまして」


 里山も扉に両手をかけてみたが、何かがレールと車輪の間に引っかかっているらしく、ガタガタと揺れるだけで進まない。


 それでもガタガタと、何度もチャレンジしていると、レール部分から、細かい砂利が出てきた。


「ん? 石? なんでまたレールに石なんか」


 今日のために用意していた一張羅の背広が汚れるのも気にせず、里山は膝をついてレール部分を覗いた。


 レールと車輪部に、ぎっしりと小石が押し込められていた。リボンや、学校で使うおはじき、ティッシュも詰まっている。


「これ、まさか、生徒のいたずらか?」


 子供は、特に深い意味もなく悪さをしでかすこともあるが、証拠もないのに断定はできない。


「里山先生、お願いできますか? 私、これから駐車場に、来客用の目印を用意しなくてはいけなくて」


「あ、はい。俺のほうで対処しておきます」


 里山は校舎裏の倉庫からアサガオを育てるためのワイヤーを持ってくると、それをレール部分に突っ込んで、地道にゴミを取り除いていった。


(ん……? なんだか、背中に妙な視線を感じる。穴が開くほど見つめられてる気がするぞ。気のせいか?)


 立ち上がって辺りを見回してみたが、とくに不自然な動きをしている人間はいなかった。里山は小首を傾げながらも、作業に戻る。


(おかしいなぁ……まあいいか。背広着た若い男が、体育館の扉の横で寝そべって、何やらガチャガチャやってるんだから、妙に思われるのも仕方ない。誰かに何か聞かれたら、正直に答えればいいだけだしな)


 扉は、無事にスムーズな動きを取り戻したのだった。



 入学式が始まるまで、まだかなりの余裕がある。それでも、混雑する前に満開の桜と『入学おめでとう』の看板を背景に、我が子の写真を撮りたい親御さんの姿が目立ってきた。


「それでは先生方、新入生と親御さんを、混雑なく誘導してください」


 穏やかな口調で校長が一礼する。


 そしてこれが、いよいよ始まる大イベントの合図でもあった。


 一年生の教室が並ぶ廊下に、生徒の名前が書かれたクラス分けの、大きな紙を貼り終わって十分後、剥がれそうになっているとの知らせが入って、急いで貼り直した里山は、ようやっと外の誘導に戻ってきた。この学校、校舎と体育館がちょっと離れているので、道順を示す看板があっても、戸惑う新入生と親御さんが必ず出てくる。


 どうしても立ち仕事は、若い社会人に回ってくる。全員が体育館に集まり、入学式が始まるまで、外で誘導するつもりでいた里山は、ふと、視界に入った桜の木の陰で、泣いている子供と、精神的に参っている様子の親御さんを見つけた。


 何事かと、里山は近づいてみる。


「もう、どうしてすぐにトイレに行きたいって言わなかったの!?」


「ごめん、なさい……」


 そこには、せっかくのおめかしが台無しになるほど豪快にズボンを濡らした新入生男児と、どうしていいのかわからず、子供にきつく当たってしまっている若いお母さんがいた。


 里山は二人を驚かせないように、控えめに声をかけた。


「保健室に着替えがありますよ。案内しますので、ついて来てください」


「あら、学校の先生ですか? 助かります。ほらタクちゃん、行くわよ」


「やだ! みんなにみられるの、ぼく、はずかしいもん」


「んもう、気にしすぎよ! ズボンが濡れてるのなんて、遠くから見たらちっともわからないわ」


「でも、や~だぁ〜」


 ぐずってしゃがみこむ男の子に、お母さんの目が、再び三角に吊り上がる。


「そもそも! すぐにトイレに行きたいって言わないタクちゃんが悪いんでしょ!? ああんもう、お義母さんたちに写真送ってって頼まれてるのに……」


 濡れたズボンのまま撮影するわけにもいかない。少年も濡れた着衣で体を冷やせば風邪を引いてしまう。


 里山は背広を脱いで、少年の頭からかぶせた。そして、ひょいと両腕に抱える。


「ほら、これなら誰にも見えないぞ」


 絶句する少年を、保健室まで一気に運んだ。少年がぐずる隙を与えずに、保健室の先生に声をかけて、裏の戸口から中に入った。


 遅れてやってきたお母さんが、暖かい保健室に、ほっとした顔になる。


「や、やだ! このへや、はいりたくない!」


 少年が、手足をばたばたして大抵抗。それを見たお母さんの目尻が吊り上がった。


「やだやだ言うんじゃありません! そのずぼんでお友達と会うつもりなの!?」


 里山はとりあえず少年を床に下ろした。


(ああ、保健室の先生が女性だから、恥ずかしかったのか……)


 子供とはいえ、男の子。しかし里山では着替えなどの細かい備品の場所がわからないので、こればかりは保健室の先生に託すしかなかった。


 あきらめて静かになった少年に、お母さんが再度ほっとした顔になる。


「先生、ありがとうございます。あとは私が着替えさせますので。ほら、タクちゃんも、お礼言うのよ?」


「……」


「タクちゃん! もう七歳でしょ? もじもじしないでお礼ぐらい言いなさい!」


 またまたお母さんの怒りが爆発しそうな気配を察知した里山は、保健室の先生に、着替えを急いでもらうよう頼んだ。



 入学式が始まる前に、なんとか体育館の集合時間に間に合った。里山は今日、自分が担当するクラスの生徒と、初めて顔を合わせる。


 昨晩ぐっすり眠れたおかげか、緊張はしたけれど里山の体調はすこぶる良好だった。


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