第6話   コウモリのパルクール

 マロの周辺を飛び交う、たくさんの光の玉から聞こえてくるのは、子供の笑い声、マロとルイを名指しで呼んで挨拶する声、大人の声もかなりの人数分が混じっている。


 ルイがフェンスから背中を離して、ブーツのかかとを鳴らして近づいてきた。そのルイにも光の玉が飛んできて、まとわりついてくる。ルイは手でペシペシと払いのけながら、マロのそばへやってきた。


「悪いが、大きいお友達の声はミュートさせてもらうぞ」


 ルイが片手指をパチリと鳴らすと、幼児の声だけしか聞こえなくなった。


 大きいお友達と聞いて、仔ウサギ姿の里山は、目をぱちくり。


(あ、俺の声……そういえば、この夢を見てから一度も声を発してなかったな。必死にウサギのふりをしていたし……ああ、ダメだ、声を出そうとしても出ないぞ。俺も大きいお友達の枠に入ってるんだな)


 マロがランニングジャージの胸元を少し開けて、里山ウサギを入れてしまった。大きく息を吸い込んだマロの胸がわずかに膨らんで、背中の体毛越しに伝わった里山はびっくりした。


「はーい、良い子のみんな、こんばんはー! 悪の組織からやってきたー、悪の体操のお兄さん、マロでーす!」


「……同じく、ルイです」


「今夜も集まってくれて、ありがとう! 今日は夜の街をー、めいっぱい駆け抜けてくから、どこまで行けるか、一緒に挑戦だ! ついてきてくれるよな!?」


 マロが音頭おんどを取っている。さながら、ちょっとした規模のライブ中継だ。ここに集まってきたのは、彼らのファンのようで、途中で興味を失って離れていく気配はなかった。マロの言葉にフワンフワンと激しく上下して盛り上がっている。


 その空気にあてられたのか、ルイの表情が、ほんの少しだけ愛想の良いものに変わっていた。


(マロのファンに合わせて、外面を作ってくれたんだな)


 なんだかんだで、マロに合わせているらしい。そんなルイにもファンが多いようで、彼の周りにも黄色い声援が集まった。少女が多いようだ。


 あちこちから聞こえる声に、里山がキョロキョロしていると、里山にも光の玉が集まってきた。ドアップで見ると、光の玉の中にぼんやりと、子供の顔らしき部位が見えてきた。


「ねえねえ、そのウサギさんどうしたの?」


「かわいい〜!」


「なでなでしたーい!」


 光の玉から腕が生えてきて、里山の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


 マロがそれを見て嬉しそうにしている。さも、自分の自慢のペットが可愛がられているかのように。


 それがルイの外面を不穏なものに戻した。ますます仏頂面になっている。


「なんでそいつだけ光の玉じゃなくて、ウサギとしてここにいるのか、原因がわからない。さっきからずっと黙っていて、ウサギのふりをしているのも不気味だ」


「そうか~? もしかしたら小さい赤ちゃんかもしれないし、それかー、シャイな女の子かもしれないだろ? 誰にせよ、ここに来てくれたって事はー、オレたちのファンに変わりないよ。なあウサギさん」


「俺はこの企画に、そいつを参加させ続けるのは反対だ。適当なところで逃してやるんだぞ」


「わかったよ。オレもルイが嫌がる事は、したくないしな」


 そう言いつつも、ふわふわなウサギの毛並みが気に入ったらしい、マロがご機嫌でウサ耳をいじっていた。普通のウサギならばストレスで逃げ出してしまいそうなスキンシップの多さである。


「あ、そうだ! えーと、ただ走って行くのもつまんないよな。やっぱり目標がないと。って言うことでー、せっかく日本の景色を走るんだから、目指すはあの、でっかいタワーだ!」


 マロが活き活きと、片手で指差してみせたのは、赤い光が点滅する電波塔。かなり距離があり、ちびった鉛筆のように小さく見える。


「わーい! 行きたーい!」


「てっぺん、のぼろー!」


 子供たちが大はしゃぎする中、ルイだけはしかめ面だった。


「今ならまだ間に合う、ハワイにシーンを選び直せよ」


「大丈夫だってー、ルイは心配性だな。たまにはー、キッズたちの地元も走ってやろうぜ」


「地元だと視聴者が減る。目移りする物が多いからだ」


 何の話をしているのか、里山にはさっぱりだった。


「きっと今回は減らないって。だって、こんなにかんわい~ウサギがいるんだぜ?」


「……ハァ、そんなに言うなら、もう止めねーよ」


 ルイが前髪を掻き上げ、呆れたため息をついた。マロが今にも走りたくて、うずうずしているのが見て取れたからだろう。


「さーて、まずはコレを登って、隣のビルまで飛び移るぞ!」


 マロが両足を曲げたり伸ばしたり、準備体操に入った。その視線の先には、二メートル以上ある壁が。建物内部のエアコンの、室外機の覆いの側面だった。


 無論、勝手に登れば怒られるうえ、破損させれば弁償ものだ。長年、屋上に剥き出しで設置されている分、触れば手形が付くほど汚い。


 ところが、ここは夢の世界。


「よっしゃ、体が温まってきた! それじゃあ行くぞ! よーい、スタート!」


 マロが勢いよく駆けだした。目の前の壁に、スニーカーの片足のつま先を強く押しつけると、まるで窓をよじのぼるヤモリのように両手を壁に押し付けて、壁を蹴り上げたつま先とともに、手の指と手のひらの力で、五十センチ以上は登った。あっという間に室外機の覆いの縁を両手で掴んで、上半身を持ち上げると、片足をかけてよじのぼり、マロは両足でしっかりと室外機の覆いの屋根部分に立ったのだった。


 ここまで来るのに、マロの足跡一つ付いていない。ここは夢だから、細かい手足の汚れなどは、全て省かれていた。


(よく登れるな。俺なら梯子はしごが要る)


 じっとしているマロの、その目線の先をたどって、里山はノドが「ヒュッ」と鳴った。道路何車線か分、距離があるビルの屋上に、マロが視線を向けている……これは絶対に飛び移ろうとしている。


(お、おいおい、いくら夢だからって、少しは躊躇しろよ。この下、車も走ってるんだぞ)


 声の出ない仔ウサギに、彼を制止するすべはない。走りだしたマロ。全身をバネのごとく縮めて、室外機の覆いの屋根の縁を蹴って、勢いよく体を前に――両手を広げながら自身を宙へ放り投げた。


 マロの首元の黒いスカーフが、ボロボロの翼を広げたデフォルメコウモリのようになって、ほんの少しだけ、マロの滞空時間を補助した。


 目の前まで迫ったビルの屋根の縁。充分な余裕を持って届いたが、マロの勢いが強すぎて、このままでは全身でベシャリと倒れ伏してしまう。身の危険を感じた里山はジャージの中から出ようとしたが、手足がすっぽり収まっていて、身動きが取れない。


 マロはしなやかな前転で勢いを殺しつつ、片膝を立てて素早く起き上がると、また走りだした。


(ああ、潰れるかと思った……今の動きは、柔道の受け身みたいだったな。一秒足らずの間に、いろんな動きをしているんだな)


 ちなみに、どんなにすごい技を持っていたとしても、動物を服の中に突っ込んだままスポーツを楽しむのは、絶対にやってはいけない。里山は今にもジャージの中から転がり出てしまいそうで、はらはらしていた。


 夢だからか多少動きがふわふわと膨張しているとはいえ、マロの動きはリアル寄りの重力を感じさせた。彼の五本の指は、ベランダの手すりや、店の看板の縁に器用に吸いつき、時たま足場に困れば、あの番組で見た時と同じように腹筋と背筋を駆使して下半身をグイッと持ち上げて、手すりにかかとを引っ掛けて、這い上がっていく。この動きは、夢でふわふわと浮かぶことができるのなら、不要なはずだ、しかしマロの体に染みついたパルクール魂が、特技を再現せずにはいられないのだろう。


(登るときの動きは、ボルダリングだな。マロはその場に自然とある障害物を、体一つで、あらゆる方法を駆使しながら乗り越えていくのが、得意なんだな)


 同じ男性とは思えないほど柔軟に両足が開くさまは、何度見ても里山には衝撃的な光景として映り、そして仕事に追われる新米教師に日頃の運動不足を痛感させるのだった。


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