第2話   人気動画配信者①

 適当にチャンネルを押していた指が、とある番組で止まった。


 ヘアワックスでかき混ぜ、ラフに遊ばせた漆黒の髪に、毒々しい紫色のメッシュを何本も入れた青年が、カラコンなのか緋色の瞳で里山を捉えていた。


「うおっ!? びっくりした。画面の中なのに、すごい迫力だな」


 里山は思わず、リモコンをテーブルに置いて、青年に見入っていた。険しい顔でガンを飛ばしてきたわけではない、カメラのほうを一瞥しただけ、たったそれだけの数秒間で、胸に氷柱つららが刺さった。


 愛想笑い一つしない青年だった。微笑めばモテそうなのに、表情を意図的に動かすのがだるい……と言わんばかりの無表情。黒のスタジャンを白い鎖骨が見えるほど着崩して、その下にはロックな柄のタンクトップを何枚も重ね着しているが、彼の胸板は薄く、首が細いのも相まって、かなり痩せて見えた。


 その胸が、深い呼吸でわずかに膨らむ。


「……どうも、飢腹涙うえはらルイです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 眠そうな声で、ため息をつくような、そんなしゃべり方だった。


 テレビ画面の右上端には、「人気動画配信者に直撃!」の下に「なげやり系ネトハアイドル・飢腹涙」のテロップが表示されていた。


 ネトハとは、ネット配信者の略らしいが、里山には聞きなれない言葉だった。


「なぜこんなハンドルネームにしたんだ……」


 悲壮感漂うネーミングセンスが、里山を唖然とさせた。


 名前も眠そうな態度もアレな上に、目は口程に物を言う。カメラや相手の方を見ないだけで、態度はぐっと悪く見えた。親に礼儀正しくしなさいって言われたから、仕方なく頭を下げている、といったふうな、世間体にしぶしぶ従っている生徒特有の、視線そらしを感じる里山。


「こういうのを隠さず態度に出していくスタイルが、若い子にウケるんだろうな」


 社会人になると、こーゆー若者の態度は妙に鼻についたりする。彼のチャンネルには、同世代から年下の若者しかいないだろう、そんな偏見を抱いた。しかし、そういった生徒ほど、手がかかるほど可愛いというか、仲良くなったりするのも、また教論人生であると、年配の教師から聞いたことがあった里山は、半信半疑でルイを眺めていた。


「俺にもあったかなぁ、こういう感じの時」


 思春期の頃の自分は、別段話題にするほどのものではないと、里山は思っている。遊ぶときは遊ぶし、勉強するときはスマホ断ちする、そして学校では友達としゃべったり、図書館で読書したり、先生としゃべっていた。何の話題だったのか、そこまでは詳しく思い出せない。


 一回だけ親に内緒で、友達の兄貴と一緒に、甘ったるい缶チューハイを飲んでしまった時は、家に帰ると母親に思いっきりビンタされ、大泣きされたため、なんだか面倒臭くなって、その後は目立った非行にも走らなかった。


 続いて、片手をあげて「はい!」と返事をしながらテレビカメラに笑顔を向けたのは、金髪に前髪三束赤メッシュ、耳ピアスだらけの、明るい笑顔がよく似合う青年だった。


 彼の真っ赤なスタジャンの下の、ナゾTシャツには「柿本麻呂」と達筆な墨字が印刷されていた。テレビ画面の右上端の「人気動画配信者に直撃!」の下が「パルクール系ネトハアイドル・柿本麻呂」のテロップに変化していた。


「どうもー!! 本日はお招きいただき、ありがとうございまーっす! イエーァ!」


 興奮したような、うわずった声。ルイのしゃべりの後だと、よけいに甲高く聞こえた。


 里山は彼のイントネーションに違和感を覚えた。どうやら日本育ちではないらしい。空色の明るい双眸は、カラコンではないようだ。


「えっとー、オレ、マロっていいまーす! 本日はどうぞ、よろしくお願いしまーっす!」


 妙に間延びしたしゃべり方をする。彼は頭の中の母国語を、日本語に訳しながら話しているようで、少しだけ会話に時間が生じるようだ。


 しかし普通に会話する程度ならば、なんの支障もない。世界でも難しい言語として知られる日本語を、まこと流暢にしゃべっている。


 マロは人気に胡座を掻かないフレッシュさと、とんでもなく明るいキャラなのが、第一印象から溢れてきた。


「へえ、物怖じしない元気な子だな。名前的に、日本の歴史が好きなのか?」


 画面に向かって独り言。もう一口ビールを飲む。


「あ、オレ、こんな名前してるけどー、日本の歴史とかー、えっと、地理とかー、勉強全くわかりません!」


 ガクリと里山はうなだれた。


「柿とー、マロって響きが好きでー、選びました!」


 まだまだ話したがりな彼の性分を見抜いたのか、番組の編集者は斬新にカットし、次のシーンでは彼らの動画をハキハキと紹介し始める女性司会者が映っていた。


 里山は少し吹き出してしまった。ビールが変なところに入って、しばしむせる。


「あるある、張り切りすぎて、最初にあれもこれもって紹介したくなるんだよな、自分のこと」


 早くみんなと打ち解けて、ワイワイ遊びたい、しゃべくりたい、そんな思いが先走って、たくさんの言葉となって溢れてしまう。そんな彼の姿が、バッサリとカット。里山は明日は我が身と胸に刻み、自己紹介は、趣味と好きな食べ物くらいで抑えとこうと思った。


 きっと明日会う子供たちも、緊張しているだろう。親御さんは我が子が勉強に遅れないかと、心配しているはず。里山の肩に、プレッシャーがのしかかるが、生徒たちと一緒になって必死にこなしていくしかない。今の時代、子供たちとともにカリキュラムの達成を目指していかなければ。弱気になっている場合ではない。大人が不安になると、子供たちにも伝染してしまう。


「先生についていけば大丈夫だ……なんて大口が叩けるほどの実践経験はないが、せめて、子供たちが変に心配せず、不安がらず、まっすぐに黒板を見据えることができる環境を……整えてやることが、できるだろうか、俺に……」


 ここに来て、再び出そうになる弱音を、ビールで押し込んだ。


 マロとルイが活動を開始したのは、つい三ヶ月前のことだった。初めはマロがアメリカ現地の若者とネイティブな英語で会話しながら、元気にパルクールを楽しんでいる動画を撮影していたそうだ。画面下には、日本語字幕が表示され、マロが訳したものだと司会者の女性が説明した。


 その当時の動画が、テレビ画面に流れる。乾燥した葉っぱの塊を蹴って、割れたアスファルトを走って、一目散に目の前の壁の突起に両手をかけて登るマロと、数人の青年。瞬く間に廃墟の上を、ドタドタと大騒ぎで駆け抜けてゆく。どうやら競争しているようだ。マロが訳した字幕が、白く表示される。「ビリは全員分のジュースおごり」と。


 いきなりルイのしかめっ面が、画面斜めからドアップで映り込んだ。カメラのレンズに着いた小さなゴミを、ブラックのマニキュアが光る人差し指の爪で、弾き落とした。


「……ああ、撮影してるのはルイなのか」


 再生数が伸びてくると、マロは地元の観光地や、ちょっとアングラな豆知識まで、いたずら小僧のように八重歯を見せながら、楽しげに紹介し始めた。


 そこへ、目利きのプロデューサーが二人の将来性を見抜き、後ろ盾バックに付いたことから、彼らは世界を飛び回って配信する大人気ネトハに急成長した。


「まるでシンデレラが、とんとん拍子に出世していくような話だな」


 それからは定点カメラ視点や、自撮り棒での撮影も増え、ルイの全身が映る機会が、ほんの少しだけ増えた。


 ハワイの青空の下、ヤシの木が空高く昇るアングルで、現地の若者数人と、マロがパルクールしながら交流している。カラフルな色彩の壁に突き出た鉄骨部に、マロが片手をかけて、次はどこに手をかけようかと見上げながら、隣の民家の屋根の先に、片足のスニーカーの底を乗せたとき、彼の両足は信じられないくらい大きく開いていて、里山はただただ若者の元気いっぱいな背中に、圧倒されていた。


「お、落ちるなよ、お前ら……」


 思わず缶ビールを握る手に力がこもった。急な風に吹かれて、マロたちの真下に、ちり紙が転がる。屋台の食べ物を包んでいた紙だろう、赤いソースが付いていた。


 画面端からルイがスタスタ歩いてきて、それを拾って、カメラに一瞥、歩き去っていった。


「……ルイは、あんまり映りたがらないんだな」


 わざわざ紙くずを拾うために登場するとは。飛び降りて着地したマロが、ソースに滑って転ばないように配慮したんだろうか、と勝手に里山は想像してみる。


 屋根のてっぺんに到着すると、マロがポケットに突っ込んでいたハンディカメラに、視点が切り替わる。


 高いところから、彼はいろんな景色を撮影していた。アメリカの夕焼けを反射するビル街、イギリスの広大な花畑、グアムの街並み……。


 マロがルイの後ろ姿をひたすら映し続ける、タイのお散歩動画も紹介された。ルイはカメラなどいないかのごとく、マイペースに歩いて行くため、見所がないと判断されたのか、途中でマロの背中に変わった。現地で購入したらしき、大きな魚の鱗のように輝くビーズ刺繍のリュックサックが、日の下でギラギラ輝いていた。


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