第4話 仔ウサギ先生
……寒くもなく、風もなく、そんな空気の中で、里山は目を覚ました。
いつ寝入ったのか、覚えていない。ここが外であるのがわかったとたん、飛び起きた。その
(なんだ……? 何が起きてるんだ?)
里山は己の体勢が四つん這いであることに気づいたのだが、そんな自分の体に不思議と違和感がなくて、むしろ立ち上がろうと後ろ足に力を込めたら、背中の筋肉が言うことを聞かずに、直立できなかった。
(いったい、何がどうなっているんだ? やたら目線も低いし……何がなんだか、まったくわからないぞ)
とりあえずもっと多くの情報を得るために、あたりを見回す。里山の斜め後ろに街灯が立っていて、ほんのりと周囲を照らしていた。どこか懐かしさを覚える手洗い場が見える。
(あの手洗い場は……たしか高校のキャンプ部で、顧問とあの手洗い場の近くで、何か語ったことがあるような……)
当時の手洗い場には街灯がなく、洗い場自体に電灯がついていて、やたら虫が集まっていた。
里山の学生時代から何年も経過しているキャンプ場に、街灯が一つ増えたところで別段おかしくはない。
里山は、今度は遠くを見回してみた。少し遠くで薄ぼんやりと浮かび上がっているのは、いろんな形のテントだった。色は、暗くてよくわからないが、まるで
里山は恐る恐る、雑草の群れから移動してみた。真っ暗な場所は気味が悪いので、すぐそこの手洗い場の陰へと、走ってみる。走り方は完全に動物のそれで、四つ足全部を使っていた。
深夜の闇の中で、人工的な強い輝きほど現代人を励ますものはないと、里山は知っている。
(夜の山は、本当に怖い……)
足元どころか、自分の姿も見えない深い闇は、全ての好奇心を消滅させる。興味本位で山に入ってしまった幼い里山は、親に怒られた思い出も含めて、それを知っていた。両親の振りかざす懐中電灯の明かりで、自分を見つけてもらえたときの安堵感は、今でも忘れていなかった。
今は、どういうわけだか体が小さく、直立歩行もできない。こんな姿で暗闇を駆けるわけにはいかなかった。
ふと、自身の体がどうなっているのかと、足元を見てみた。黒くて、ふわふわした、動物の前足があった。このスラッとした前足には、覚えがある。まだ山が身近にあった頃――桜の木から小さな赤い実が落ちる季節になると、山から野生のウサギやリスが降りてきて、タヌキも降りてきて、鳥も降りてきて……むしゃむしゃ食べている姿を、小さな里山は母と手を繋ぎながら、眺めていた。
可愛い生き物がいっぱいの、幸せな思い出。
他に子供がいない地域だった。そのせいか動物たちの体をじっくりと眺めたり、お菓子をあげて餌付けしてしまったり、仔ウサギを捕まえて、家で飼うんだと大泣きした。「ウサギさんをママのもとに帰してあげて」と、優しく母に説得されて、巣穴まで戻しに行った、あのとき、腕の中に包んでいた、あのあったかい仔ウサギの前足と、今の自分の四つ足が、そっくりだった。
(わかったぞ、これは夢だ!)
おおかた小学一年生たちの顔写真を確認しているうちに、己の幼少期を想起してしまったに過ぎない……里山はそう自己分析した。いざ
自然と後ろ足の片方だけが持ち上がり、頭の後ろをがしがしと掻く。ウサギがこうやって頭を掻くのを見たことはあったが、自分がその動きを取り入れたことに、びっくりした。
(俺はウサギの才能があったのか。もう頭の掻き方をマスターしたぞ)
最近ドタバタしていたから、こんな奇妙な夢を見るのだ。里山はそう結論づけて、次は何をしてみようかと、黒色の鼻をひくひくさせて辺りを見回した。
視界の端には点々と、夜を楽しむテントが。中にいる住民の影を、ライトが浮かび上がらせる。
(春先でキャンプか。学校が始まったら、日をまたいで家族と泊まるなんてこと、やりづらくなるもんな)
テントの壁に映し出される影は、親子連れとみられるものが多かった。
(家族連れが多いのは、俺の夢だからか……)
穏やかな時間を過ごす家族連れのそばには、夢の中でも、近づかなかった。
ウサギの体で立ち上がれないものかとチャレンジし、お尻を地面につければ少しの間だけ直立できることを発見。もっと長く立てないものかと練習しながら、目が覚めるのを待っていたら、
「あれ? あんなところにウサギがいる」
どこからか、青年の声が。
普通のウサギならば脱兎の速さで逃げるだろう。しかしこの仔ウサギの中身は人間の男性、辺りをキョロキョロしながら、声の主を探した。
いた。
もっと遠くの、別の街灯の下で、ミニテーブルに肘をついてタブレットをいじっている二人の青年がいた。そのうちの一人が、里山を指差してはしゃいでいる。
「ミニウサギだー。かんわい~な~! このへんに巣穴があるのかな」
里山はぴょこぴょこと二人のもとへ駆け寄ってみた。夢の中じゃなかったら、四つん這いで他人に接近するなど、絶対にやらないことだった。
単純に、彼らがそこで何をしているのか興味があった。
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