第4話  止まらない落下

自分を取り巻く環境や風向きが変わってきたことをプライドの高い姉が、面白く思わないわけがない。姉は順調にキャリアを重ねてきた新聞社を自己都合で辞め、出版社を興した。

最初は新聞社時代の人脈をうまく利用し、小さいながらも順調に利益を出していた姉ではあったが、立ち上げてから五年後の春、経理の一切合切を任せていた社員に裏切られ、売上金を持ち逃げされる事態に見舞われてしまった。それ以降、人間不信に陥った姉は、経営手腕にも鋭敏さが見られなくなってしまい、次第に業績が悪化。多額の借金を背負うことになってしまった。

エリートだった姉の転落は止まらなかった。この時点で事業を辞め、家庭に入り、夫を支えることに集中してくれたら問題や不幸は燃え広がらなかったと思う。

だが全ては姉のプライドの高さが更なる災いをもたらした。

姉は人一倍、往生際が悪かった。賑やかなCMばかり打っている金貸し会社にヘルプを求めたり、人気漫画家“キサラ★ボロネーゼ”の名前を勝手に保証人にしてお金を借りたり、父方、母方関係なく親戚中から金を借りまくったり、終いには実家を勝手に借金の担保にしたりと幾多のトラブルを巻き起こしていき、両親をはじめ一族との仲は徐々に険悪になっていった。

そして御主人からも多額のお金を借りていたようで、自身の負けを認め、自己破産をする際、姉は離婚を言い渡され、姉は四十二歳になる年、夫と信用の両方を同時に失った。

もともと学力にも優れ、頭のいい姉だったし、泰恵なんかよりはるかに世渡りがうまかったから、どんな困難が襲って来てもうまくやるんじゃないかという思いは、両親の中にあったようだった。だからこそ自己破産し、エリートの旦那も信用も失い、行き場がなくなった姉が、実家に戻ってきたときの両親の落ち込みようは、目を背けたくなるような光景だった。

もぬけの殻のようになった姉は、昼間から酒を浴び、実家に引きこもるようになった。


姉が実家に戻ってきた翌年の夏、父方の祖母が亡くなった。

泰恵は海外に取材旅行に行っており、参列はできなかったが、通夜振る舞いの席で、ひと騒ぎを姉が起こしたことを後から聞いた。酒が勢いよく回り過ぎた姉は、『あのヒットしたマンガの原案は私の発案だ。』とか『泰恵は私のおかげで有名になれた。』『キサラ★ボロネーゼ”と言うペンネームは私が命名した。』などとほらを吹き始め、終いには、

「今度はこういう会社を立ち上げる。」

「輸入販売のベンチャーをやるんだ。中国から雑貨を仕入れてな、ネット販売を中心に展開していくんや。」

景気の良いことを調子よく叫び出した。そんな姉に対して、

「お前に仕事で金を貸してくれる奴や、寄り添ってくれるような奴がどこにおるんや。おるんやったら、この通夜に来て、線香の一本でも上げてくれるやろう。弔電一つ、お前の知り合いから来んがいや。呼んで来いま。そんな金を出してくれるスポンサー。そして金をいっぱい融資してもらって、先に親戚中から借りまくっとる金をはよ返せや、あほ!」

と叔父は厳しく叱責をし、通夜振る舞いの席が残念なものになってしまった。

「本当に申し訳ございません。すみませんでした。きつく言いつけます。本当に申し訳ありませんでした。」

頭をこすりつけるように、しこたま母親が謝罪し続け、先に姉を連れ帰り、翌日の葬儀にも参列させなかった。


両親が姉から目を離さなくなってから、しばらくは平穏な日々が続いたが、三回忌法要が行われた夏、父親が自分の少なくなった財産を、これ以上姉に食い潰されまいと、実家の権利を泰恵に譲っていたことを、法事の席で漏れ聞いた姉は、その席で暴れに、暴れた。

「泰恵は両親を騙して、相続手続きをしたんやろ。泰恵は昔から、頭がパーやから、きっとあんたに入れ知恵をした奴がおるんや。」

と妄想まじりで両親と泰恵たちを勢いよく罵りだした。

「姉ちゃんがまた変な気を起こして、事業を起こすとか言って来て、実家を担保にして金を借りられたら、かなんからやろ。少しは自分が起こしてきたトラブルを反省せいや。」

「勉強できんかった人間が、何を抜かしとるんや!」

「勉強しかできんかったから、こういう状態になっとるんやろ。人様に迷惑をかけっぱなしのくせに、よう、この場に顔を出せるな。親戚の皆さんの顔を見てみい。姉ちゃんの顔を眺める目を見てみい。あほを見とるような目で見とるやろ。現在進行形で迷惑をかけ続けている立場なのに、こういう公の場に出て来れる姉ちゃんのふてぶてしい神経、大したもんやわ。」

と泰恵が言い返した。すると、それに続くように親戚中が思いのたけをカミングアウトし始めた。

「まぁ、彩乃ちゃん見とると、勉強だけできでも駄目なんやわ、っているのはようわかったわ。昔は賢い子、秀才やと婆ちゃんも町内会じゅう触れ回っとったけど、じいちゃんの残してくれた軍人恩給を、彩乃ちゃんの圧に押されて貸してしまい、食いつぶされてからというもの、彩乃の『あ』の字も言わんがんになったしな。それから五カ月後、婆ちゃんは死んだんや。彩乃ちゃんが婆ちゃん殺したって言われてもしゃーないやろ。」

「わしやったら、この場に来れんわ。婆ちゃんに顔向けできん。」

彩乃は立ち上がり、親戚の輪を睨みつけた。

「私が優秀なおかげで、婆ちゃんもいい思いもしたがいね。今さら何を言うが!」

「本人の前で言うのもなんやけど、やっぱ、この子は何もかも失って頭おかしなったんや。普通、自分でこんなこと言わんわいね。親として、どいね。今後どうしていくね。終いに次はあんたらがこの子に殺されっぞ。」

 貸した金がまだ全額返ってきていない親戚連中の言葉は、痩せてプラスティックのように軽くなってしまった両親の体を容赦なく、切り刻んでいった。

「もう、彩乃はこういう場へは連れてきません。本当に皆さんすみません。」

この一言を言うのが精いっぱいで、喪主である父と母は、その後振舞われた懐石料理を一口も口にすることはできなかった。会の間、終始うつむいている両親の横で、姉は手酌で酒を仰ぎ続けていた。

 三回忌法要を機に、彩乃と泰恵の縁はさらに薄くなり、どちらからとも連絡はしなくなっていった。

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