7.連鎖 その2
その老婆ってのは、皆様お気づきの通り、民宿を経営しており、丸尾くんに一泊一食恵んでやったあのおばあさんです。
おばあさん、ああ、今日はいい日だったわー、うふふ、久しぶりに若い子が泊ってくれて嬉しいわーなんて思いながら、うつらうつらと布団でまどろんでおりましたら、聞こえてきたのは男の怒声。
何かあったのかと、恐る恐る起きて、耳を澄ませてみたらば聞こえてくるではありませんか。
「・・・婆だってよ、ここで糞みてえな生活するよりも、・・・殺された方がましってもんだろう。・・・孤独死を待っているだけの婆は俺に殺された方がよっぽど社会の為ってもんだろ。・・・殺してやろうか」
あれぇぇええと、心の中で叫び声を上げましたらば、確かに、この青年、様子がおかしかった。
旅をする、確かに分かる。しかし、宿もとらずにこんな田舎の港町に来るのはちょいと不自然だ。
それに、あのツレの顔色。真っ白だ。顔色が悪いなんてものじゃない。しかも、あのツレの声をわたしゃ、一度として聞いちゃいないよ。まるで、死体。
そう、ありゃ、死体だよ。
え、てえと、なんだ、あの子がツレを殺して、逃避行で逃げてきて、今度はあたしを殺そうとしている。
うん、そう考えると合点がいく。
これはひどいことになった。泊めなけりゃよかったよ。
いや、いやいや、この世に生を受けて、早いもんで八十年。いろんなことがあった。笑えることも、泣けることも、楽しいこと、辛いこと、この八十年と言う歳月の最後があんなガキに殺されちゃあ、あの世でお父さんに顔向けできない。私の人生はそう安くないよ坊主。差し違える覚悟だよあたしゃ。
やはり、年の功と言いますか、お年寄りというものはすごいもんで。覚悟を決めるや否や、台所に行きまして、包丁を探す。
「ない、ないよ、包丁がない」
しまった。包丁はあのガキが持って行ったか。しかしこれで諦めるほど、あたしは弱くないよ。
そう思いましたら、裏口に回って、薪を一本持ちまして、それをぎゅっと握りしめる。
うん、これでいい。これで、ボコンと殴っちまったらそれであのガキは身動きがとれなくなる。なーにあたしも若い時分はぶいぶい言わせていたんだから。ガキの頃ここいらの子供であたしに敵うヤツなんざいなかった。男の子も含めてだよ。あ、一人いたわ、お父さん。お父さんは強かった。お父さんに喧嘩で負けた時、あたしは自分が女だって事に初めて気が付いたわ。
お父さんのあの逞しい腕、ほれぼれしたわ。お父さん、あたしに勇気を頂戴。そうよ、あたしは死ぬ時は息子に両の手を握ってもらいながら死ぬって決めているんだから。こんなところで死ぬわけにはいかないわ。
さてさて、どうしたものか、あのガキ、ひょろりとして弱そうだったけれど、流石に今のあたしじゃ力負けしちまう。
そうだわ、どうせ、ガキは私が眠っていると思っている。だから、あんな大声で話しなんて出来るんだ。だから、部屋に押し入って、あいつがあっと驚いている間にボコンと薪で殴ってやろうじゃないの。
でも、あんな大声の独り言おかしいわ。もしかすると、あのガキ以外にも共犯者がいて、グルになってあたしを殺そうとしているのかも知れない。
その可能性も無きにしもあらずだわ。でも、なんで、こんな金もないぼろ屋に住んでいる婆なんざ殺そうとするのかしら、もしかして、目当てはあたしの身体?
そんな馬鹿な、いや、ない話じゃないわ。なんだか、最近世の中には枯れ専なんて言葉も流行っているらしいし、あたし、自分で言うのもなんだけど、八十にしては若い方だわ。
二人してあたしを襲って手篭めにしようとしているんだわ。
うん、きっとそう、じゃないと、あの子、友達になりましょうなんて言うはずないじゃない。
ひえええええ。
今度は婆さん声に出して小さく悲鳴を上げた。
元気な婆さんなことで、ね、この婆さんきっと百まで生きるよ。
あたし、自慢じゃないけれど、この長い人生で身体を許したのはただ一人、お父さんだけなんだから。お父さん死んだ後もそうよ。あたし、まだ若かったし、その頃にはまだこの町にもいい身体した漁師がいっぱいいたものだから、よく誘われたもんだったよ。
それでもね、それでも、あたしは、人生で愛したのはあの人だけだから。と頑なに身体を守ってきたんだ。それを、あんなひょろりとした男の子に手篭めにされた日にゃ、あの世のお父さんにいよいよ合わす顔がなくなる。
そうだわ、あたし、何が怖いって、死ぬことじゃない。
死んだあと、お父さんに会えなくなるのが一番怖いんだから、あたしが勇敢に戦って、それで死んだら、きっとお父さんも、
『本当に、お前は馬鹿な女だなあ』
なんて言って笑ってくれるはずよ。
なーに、待っていてもどうせ殺されるんだ。
それならば、先手必勝。
南無三
おばあさん、もう、勇み足で部屋の前まで行く。
障子に手をかけ、よし行くぞ!と思った時、中から聞こえたるわ、
「そうだな、おばあさんは殺さないでおくよ」
の声。
その言葉にふーっと胸を撫でおろす老婆。
この子、思いとどまってくれたんだわ。
でも、一体どうして。
この身体に貪りつくのを諦めたとは、それはそれで男気がないじゃない。
この婆さん、根が海育ちのわんぱく少女だからとにかく若い。きっと普通に戦っても丸尾くん敵わなかったのではないでしょうか。
そうだ、死んだお父さんが守ってくれたんだわ。
きっと、この子の枕元に死んだお父さんが現れて、それで、彼の凶行を止めてくれたに違いない。そう、あの話し声はお父さんとこの子が言い合いをしていたんだわ。
おとうさん、ありがとう!
と両手を合わしました老婆。
しかし、その夜は寝付くことなど出来る筈もなく、自分の部屋でふるふると身体を震わせながら過ごしたのでありました。
翌朝、まだ日も出きっていないのに、ガサゴソと音がする。
ガラガラガラっと戸が開く音。
あの子、ここを出ていくつもりだわ。
行かなきゃいいのに、この婆さん、部屋を出て、こっそりと玄関口まで行ってしまう。何と言いますか、その好奇心が彼女を長生きさせているのやも知れませんな。
玄関口に立って、車椅子を押す男の後ろ姿を見ていましたら、男はふいにこちらを向き直り、
「おばあさん、お世話になりました」
そう言ってから満面の笑みで近寄ってくるではありませんか。
あああ、この子はまだ、あたしの事を諦めてはいなかったのね!逃げなくちゃと思っても身体が震えて動かない。薪を持ってくればよかった・・・
「お気をつけて」
絞りだして出たのがその一言、もうおばあさん頭の中は真っ白。
「大丈夫、おばあさん。必ずここに戻ってきますので、その時はお茶でも飲みながらいろいろお話をいたしましょう」
あああ、この子、やっぱり、私の身体が目当てなんだわ。人殺しの女たらし、そんな映画の悪役みたいな男の子に見初められて、あたしの人生はやっぱりもうおしまいなのかしら。
走っていく男の車を見送りながらそんなことを思う老婆。
茫然と立ち尽くしていたらば、しばらく後にパトカーが通りかかるじゃないですか!
「と言う具合だったの、お巡りさん」
「ぐー、ぐーぐー」
おばあさんの長い話に宮さんすっかり寝ちまったよ。
いや、なんせ、寝ずに走ってきたんだ。そこに来て、婆さんの長話。これは寝ても仕方がないんじゃありませんかね。
「ちょっと、お巡りさん、聞いているの?」
「は、すいやせん。それで、そのツレと言うのは死体だったわけですよね」
「ええ、あれは間違いなく死体よ。あたし、土左衛門をいっぱい見てきたんだけど、それよりももっと顔色が真っ白だったんだから」
宮さん、ウームと唸る。
「それで、その男はどちらへ」
「この道をまっすぐ行ったよ」
「ありがとうございます。それとおばあさん」
「なんだい」
「よく枯れ専なんて言葉ご存じで」
「そんなこといいから早く捕まえてきて」
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