7.連鎖 その1
二人のアルバイト先の店長ってのがいたでしょ。
そうそう、夜明けに丸尾くんの車の窓をコンコンと叩いて、お説教をしたあの男ですよ。
この店長ってのが本当に気が良い男で、丸尾くんが車で走り去った後を見ながら。
いやー、本当に良かった。二人が仲良くなってくれたならば、これは二人の人生にとっても大きなプラスになる。
とかく世間って言うのはいろんな人がいる。
自分とはまったく異なるタイプの人間と出会うなんて珍しい話じゃない。そして、他人と軋轢が生まれるなんて、これも珍しい話じゃない。
丸尾と拓海は違うタイプだ。引っ込み思案だけど仕事は正確な丸尾。ガキ大将だけど、根は優しい拓海。二人がぶつかり合い、お互いを認め合えたならば、これ以上の成長はない。そして、俺の職場が彼らの成長の場になったのならば、社会人としてはこれ以上嬉しいことはねえ。
それにしても、拓海のヤツ、顔が真っ青だったな。
まだ、あいつ、二十歳になったばかりだ。酒の飲み方もわきまえていないことだろう。もしも、急性アルコール中毒なんかになったら・・・きっと、丸尾も酒なんか慣れていないだろうし、何かあっても対処なんか出来そうにないだろう。そう思うと心配になってきたぞ。なんと言っても、俺は学生のあいつらを親御さんから預かっている身。何かあったら俺は死んでも死に切れんぞ。そうだ、拓海の家に連絡を入れておこう。今俺が出来ることはそれくらいしかない。一応、念には念を入れてだな。うん、それがいい。
そう思った店長さんは、タッタと駆けて、コンビニまで戻ると、事務所に行き、山田拓海の実家の家電に電話をかける。
トゥルルルルル
まだ夜も明けたばかりだ。もしかすると、迷惑になるかも知れない。しかし、親御さんはいつ何時でも、子供の心配をしているもの。俺の親父だって、未だに俺のことを心配してよく電話をかけてくる。親父、会社が倒産してから、社長だったプライドを捨てて、若いヤツらに紛れて必死になって働いてくれた。それが祟って、身体を壊しちまった。
呼び鈴を聞きながら、そんなことを考え始めた店長。なんだか、少しエモーショナルな気持ちになってしまって、目にはほんのり涙が浮かぶ。
「はい、山田ですが」
妙齢の女性の声だ。きっと拓海の母親だろう。
「山田様のお宅ですか、私、山田拓海さんのアルバイト先の店長をしております。小林と申します。早い時間に申し訳ありません。お電話させていただきましたのはですね、拓海くんと先ほどお会いしまして、ええ、アルバイトを休んで彼、友達の家で飲んでいたらしくてですね、いや、それについては大目に見てやって下さい。私が許しておりますので、はい、実はですね、その、拓海君の顔色が少し悪いみたいでして、体調を崩していないかとても心配で、すいません。それで、気になって、え、まだ帰っていない?拓海くんの家、ここから近いですよね。迷っているのかな、ええ丸尾と言うウチのアルバイトと飲んでいたそうですが、うーん。そうですか、いや、すいません。それにしても心配だなー」
そして、太陽が完全に登り切っても一向に山田拓海が帰ってくることはなかった。心配した山田拓海の両親は警察に連絡したのでありました。
連絡を受けた警察はまあ、よくある話だと思っておりました。一応、その連絡を部内で共有する。みんな一様に、まあ、なんだ、酔っぱらった大学生が家に帰らないなど、よくあること、大雑把に言ってしまえば、こういった事件性がなさそうな場合は「一般家出人」と分類されまして、あんまり熱心に捜索されないこともございます。それにちょっと待てと異議を申し立てたのがこの男。
宮本隆巡査部長、御年五十五歳の大ベテラン。この警察官はなんだか、嫌―な予感がしました。この嫌な予感と言うのは何と言いましょうか。警察官のシックスセンスとしか言えないものでしょうな。
とにかく、俺が探すからと皆に言い。
宮さんが言うならば、と皆も納得しましたらば、真っ先に向かったのは二人のバイト先のコンビニ。そこで、二人の顔写真を入手。
「これが、行方不明の二人ですかい」
「ええ、二人ともウチのアルバイトでして」
と言うのは店長。
「二人の関係性は」
「仲が良かったとは言えません。特に山田は飯島によくつっかかっていましたから」
もう一度二人の写真を見る宮さん。
大人しそうな青年と、一見不良とも見える青年。二人が仲良しこよしで一晩酒を飲んでいただと。そんなことあるわけがねえ。いいかい、人ってのはそう易々と分かり合えるわけがねえんだ。
「刑事さん」
「はい」
「二人は無事なんでしょうか」
「これはなんとも言えません」
宮さんの心にじんわりと広がっていく不安。その不安って言うのは、言葉にするのも恐ろしいものでしたから、その考えを振り払って次に向かったのは、飯島丸尾のアパート。
もしかすると、自分の不安は杞憂で、二人してアパートでいびきをかいて寝ているかも知れねえ。それだといい。
宮さん。アパート二階の飯島丸尾の部屋のチャイムを鳴らす。
「飯島くん、いるかい?」
「いないよ」
声がした方を振り向けば、そこにはそう、あの男ですよ。
工場の夜勤をしている隣人です。この男、ささ、寝よう、しかし、その前に酒を一杯、そんでもって撮りためていたテレビの録画を見よう、なんてしている間にすっかり目が覚めて起きているのでありました。
「いない?」
「いや、朝に会いまして」
「それはこの二人でしたか」
写真を見せる宮さん。
「へえ、この二人で間違いありやせん。なんだか、この気の弱そうなのが、男を引きずって出てきまして、なんて言っていたかな。二人で酒を飲んでいたらしくて、その引きずられていた男の顔色があんまりにも真っ白だったんで、俺、面倒ごとに巻き込まれるのが嫌で、すぐに部屋に引っ込んだんでさあ」
「なるほどな、他に変わったことは」
「いや、ねえ・・・あ、なんかね、これは変わったってほどではないんだけど、俺もほら、具合悪そうだったから心配でね、少し聞き耳を立ててたんでさあ、そしたらね、すごい音すんのよ、階段を降りていたんだろうね。引きずられていた男の方が多分もう意識なかったんだろうね、その足が一段降りるたびに、ダダンって音立ててたんだろうな。その音が部屋にまで響いてきちゃって。あそこまで酷かったら救急車呼ばなきゃだめだよねえ、で、その二人がどうかしたの?もしかして、急性アルコール中毒で死んじゃったとか、うわ、俺、そしたら、もうすごい後悔しちゃうな。呼んでおけばよかったな、救急車」
男の話で、宮さんの不安は確信に変わり始めておりやす。行方不明の二人、片方は意識がない・・・言葉にするのも恐ろしいが宮さんの頭の中には二文字が浮かんでいる。そう、殺人です。
ところで、あの、サービスエリアで会ったカップル覚えていらっしゃいますか。
そう、あの大人しそうなカップルですよ。
女の子がちらりと振り返り、飯島丸尾と車椅子に載った死体を見たらば、丸尾が血走った眼でこちらを見ているものだから、慌てて正面に向き直る。
「どうしたんだい」
なんて、男は呑気に言うと、女の子の方がね。
「わからなかった?」
と、目を潤ませて、少し身体を震わせながら言うわけですよ。
「何がだい?」
「あんたって、本当に優しくていい人だけど、人が良すぎて時々不安になるわ」
「だから、どうしたんだい」
「本当に、分からなかった?」
「わからないよ」
女の子は男の袖をグイっと引っ張ると、足早にサービスエリアのフードコートまで走りました。
「ここなら、人も多いし、大丈夫ね」
そう言ってから、きょろきょろと辺りを見回す。
「うん、追いかけても来ていないみたいね」
「だから、どうしたんだって」
「もう、本当に鈍いんだから」
「もったいつけずに言ってくれよ」
男の方は怒っていると言うより、むしろ困惑しているご様子。
「あの車椅子の人絶対死んでた」
「えッッ!!!」
「あんな顔色悪くて、しかも舌がでろーんと出ている人なんていないよ」
「か、考えすぎじゃない」
「ううん、絶対そう。とにかく、普通じゃない。手足が脱力し過ぎていたよ」
うーんと考え込む男。なぜそんな風に考え込むかと言うと、実はこの彼女、激務で身体を壊したと言いましたでしょ。実は元看護師でして、ねえ、看護師って大変なお仕事ですからね。
男も、元看護師の彼女が言うならば、軽く扱うことは出来ない。自分なんかよりも、人の身体について、よっぽど知識がございますからね。
「あんた、少し、抜けているところあるでしょ。二枚目の写真、自分の携帯で撮っていた。ねえ、見せて」
と言ったらば、男も、ああ、と気が付く。そう、一枚目は確かに丸尾の携帯で写真を撮ったが、二枚目はすっとぼけていて、自分の携帯で写真を撮っていた。男は自分の携帯を出したら、バシっとそれを奪い取る彼女。
「ほら、よーく見て」
パネルに顔をハメ込んでいる二人。
一人はにっこりと笑っていて、もう一人の方は真っ白な顔で虚ろな目をしている。
確かに、言われてみれば、そうかも知れない。
男もよーく写真を見たらば、死体のように思えてきた。
「これ、死体だったの?」
そう言うと、男の肌にサササッと鳥肌が立ってくる。
「そうよ、絶対そう。私を信じて」
「うん、うん、信じるよ、でどうすればいい?」
「もう、頼りにならないわね、警察にすぐ言わなきゃ」
「分かった。すぐに言うよ」
と言って、男は携帯で番号を打とうとするけれど、ブルブル震えて上手く打てない。
「あの、警察って117だったっけ?」
「馬鹿、110よ。117は時報」
「ああ、そうだ。そうだった。」
「もー、ほんと、優しいんだけど、あんたって、時々とっても心配」
「ごめんよ、頼りなくて」
「ううん、でもそう言うところが好き。ねえ、私たち、結婚しない?私があんたを支えてあげなきゃ心配よ」
そう言って、ニッコリと笑う女の子。
「はい、喜んで」
男はそう言って、女の子の手を取り、二人はまるで、もともと一人の人間だったかのように、お互いの身体をピッタリとくっつけて抱きしめ合うのでした。
美しい、愛がそこに生まれましたのは一度横に置いておいて、二人は警察に連絡をいたしました。
宮さん、部下に連絡して、すぐに飯島丸尾の部屋を捜索するように指示し、更に、飯島丸尾の車種とナンバーを調べさせていた。
そして、飯島丸尾が高速道路を使って走っていったこともすぐさま特定。
皆様、警察から逃げる時は高速道路だけは使わない方がいいですよ。
あそこはカメラが多いですから、すーぐに見つかっちまいます。
それで、高速道路の入り口の係員に話を聞いたらば、確かに、男が二人朝方通ったのを覚えていた。
「ええ、なんだか、偉そうな少年が来ましてね、なんだか、口調が嫌らしかったんで、よく覚えておりますよ」
と言うではありませんか。
なるほど、とにかく追わねばと、高速道路を飛ばす宮さん。
すると、部下から連絡が入る。
「宮さん、大変だよ。宮さんの予想が当たった。飯島丸尾の部屋を探ったらね、出てきたのよ、排せつ物。恐らく山田拓海のものだと思う。それに、ダンベルにも山田拓海のものと思われる毛髪も付着していてね、これ、えらいことになってきたよ。これは俺らの手に負えない、大きい事件になってきた。宮さん、一度戻ってきて、これ以上深追いしたら宮さん処罰されちゃうよ」
「馬鹿野郎。もしも、まだ山田拓海が生きていたらどうすんだ。俺は追う」
そう言って、無線を切る宮さん。
実は、宮さん、二人と同い年の娘がいる。だから、他人ごとに思えなかった。どうしても救いたかったんでしょうな。いや、生きているかも知れない山田拓海はもちろん、罪を犯しているかも知れない飯島丸尾のことを。組織の人間、警察官としちゃ、この暴走は褒められたもんじゃないですが、信念は立派だと思いますよ私は。
と、そこに、また部下から無線が入る。
「宮さん。サービスエリアで死体を見たって言っている男がいる。もしかすると、飯島丸尾のことかも知れねえ」
「ありがとよ、でもいいのか、勝手に俺に教えて」
「宮さんには昔お世話になったからね、それに、宮さんが間違っていたこと、これまでにないじゃないか」
「ふふ、泣かせるじゃねえか」
そう言いましたら、ブーンとサービスエリアにパトカーを向かわせる。
「あなた方が死体を見かけたってカップルで・・・」
きょとんとする宮さん。と言うのも、死体を見たと言うのに、そのカップルやけに陽気だ。手まで繋いじゃっている。
「はい、そうです」
と言う男は、にこやかで、爽やかそのものだ。
「あたしたち、死体をみたんでーす」
女の方も嬉しそうだ。語尾まで伸ばしちゃっている。
「ええ、やけに嬉しそうで」
「実は私たち、ついさっき婚約したんだよねー」
「うん、いやー、僕は幸せだなあ」
「・・・そりゃ、おめでとうございます」
宮さん、鳩が豆鉄砲を食らったような顔できょとんとする。そりゃそうだ。生きるか死ぬか、退職まで覚悟を決めて追いかけていたのに、そこに来て幸せの絶頂の二人に会うとは想像もしていなかった。
「ところで、例の件」
「そうそう、顔パネルが撮りたいって男が話しかけてきて、それで、その男が押してた車椅子に載っているのが明らかに死体で、もー、この人、全然死体だって気が付かないんですよ」
「おい、それは言わない約束だろ、恥ずかしい。それに俺はお前と違って死体なんてみたことないんだもの」
「ごめん、ごめん、でも、そう言うところが可愛いんだよ」
「うふふふふ」
こいつらいちゃつきやがって、話が前に進まねえ。痺れを切らした宮さん、とにかく写真を見せてくれと言うと、男は自分の携帯を取り出して、宮さんに見せる。
「この人、本当に間抜けで、自分の携帯で写真撮ってるの、どうやって写真渡す気だったの?」
「おい、それは言わない約束だろ、恥ずかしい、ちょいと間が抜けていただけじゃないか」
「ごめん、ごめん、でも、そう言うところが可愛いんだよ」
「うふふふふ」
いちゃつく二人を尻目に固まる宮さん。
そう、写真に映った二人は間違いなく飯島丸尾と山田拓海だったのですから。
「すいません、この男、なぜ死体だと」
「だって私、少し前まで看護師をしていて、だから分かるんです。生きている人と、死んでいる人の違いぐらい」
ガックリと落ち込む宮さん。そうか、山田拓海の方はやはり既に事切れているのか、恐らくはと思っていたが、事実が明らかになると思わず肩を落としてしまった。娘と同い年の青年がなぜ死なねばならない。そして、娘と同い年の青年がなぜ殺さなければならない。
「この男、他にはなんと言っておりましたか」
「なんか、海が見たいとかなんとか」
そう言ったのは男の方。
なるほど、海に捨てる気か。なんでそんなまどろっこしいことをする。
いや、飯島丸尾はまだ二十歳。俺の娘と同い年だ。まだまだ子供、冷静に頭が回っていないのだろう。パニック状態での逃避行。どうにも、俺はこの子を楽にさせてやらねばならない。困っている人を救う。それが俺が警察官になった理由なのだから。
宮さんは一路海に向かう。
寝ずにパトカーをを飛ばしていたらば、明け方には港町に着いた。
海に反射する朝日の光が、寝不足の宮さんの目に入り、乾燥した目は染みる。
それでも、気合で海沿いの道路を走っていたならば、急に老婆が飛び出してきた。
キキィーッッ・・・
慌ててブレーキをかけ、老婆に当たるか当たらないかと言うところで急停止。
「おばあさん、危ないじゃないですか」
「お巡りさん、お巡りさん、助けて犯される」
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