2.恋人

 この丸尾くんってのが、聞くも涙、話すも涙な経歴をもっておりやして、少々複雑な人生を送っておりました。

 彼は田舎の大地主の家に生まれましてね、結構いいお家柄なんですよ。私も子供の時分にゃ、ああ、お金持ちの家に生まれてきたかったわ、なんて思っておりましたが、金持ちは金持ちで大変なんでさあ。

 丸尾くんのお父さんってのは金に物を言わせて女を囲うような不届き者で、まったく家によりつかねえ、と言うと、お母さんの関心ってのは子供達に向くわけです。丸尾くんには一人お兄さんがいたのですが、兄弟そろって勉強漬けの毎日。

 お母さんは「勉強しなさい、勉強していたら幸せになれるから」と言って、二人に遊ぶ暇さえ与えず、縛り付けていたわけでしてね。何が勉強したら幸せになれるだ!幸せになりたいのはお前の方だろうが。子供で自尊心を満たすな!と言ってやりたい気分ですな。



 それでまあ、嫌でも勉強するもんだから、成績はグンっと上がるわけですな。いえいえ、丸尾くんの方じゃありませよ。お兄さんの方しか成績は上がらなかった。お兄さんってのは頭の出来がよろしかったんですかね。いやいや、勉強の仕方ってのは人それぞれでして、お母さんの指導の仕方が偶然お兄さんの脳みそとコミットしただけの話でさあ。

 お兄さんの方は勉強がね、出来るから、次第にお母さんの縛り付けも弱くなっていく。なんてったって自慢の息子に立派になってくれたわけですからね、でも丸尾くんは違った。



 「お前はなんで、勉強ができないんだい」

 「なんでやろなあ」

 「なんでやろなあ、ってそんな昔のCMみたいなセリフ聞きたかないよ」

 「そんなこと言っても仕方ないじゃないか」

 「お前はそうやってまた昔のドラマみたいなことを言って」

 ビシビシビシ!

 「あ、殴ったね、殴った。親父にもぶたれたことないのに」

 「あんたの親父は殴るどころか、あんたを抱きしめたことすらないよ!」



 と言った具合にギャグになればよかったのですが、現実はそうはいかない。

 丸尾くんはほぼ軟禁状態でね、どこにも遊びに行けなかった。

 ずーっとお母さんの顔色を伺う毎日で、そんな少年がまともに成長できるはずもなく、学校じゃ虐められるわけですな。

 皆さんも経験おありでしょ、クラスにいたでしょ、なーんか、人の顔色ばっかり窺う卑屈そうなヤツ。そういうヤツは虐められるのが世の理ってもんです。

 家でも辛かった。兄と比べられる毎日、過干渉な母親、無関心な父親。世にいう家庭崩壊の犠牲者なわけです。



 更に丸尾くんにとって辛かったのは兄貴が良い奴なんです。

 「丸尾、俺とおめえは違う人間だ。だから、母さんの言うことをいちいち聞いている必要はねえ、お前はお前らしく生きろ」

 なーんて言ってくれるのですが、これ、丸尾くんからしたらムカつくだけなんですね。

 せめて性格が悪けりゃ、丸尾くんも幾分かストレスを吐き出せたことでしょう。

 なんだい、なんだい、あの兄貴は勉強しか出来ねえ唐変木じゃねえか、と。

 でもね、兄貴も病んでいるんだ。

 いるでしょ、周りに、いやに優しい奴。周りに気を遣って聖人君子でさあと言う顔しているヤツ。でもそういうヤツってのは大体、本当の敵も作らねえが本当の味方も作れねえようなヤツなんでさあ。要するに人から嫌われるのを異常に怖がっているんだな。



 幼少期、対人関係でトラウマがあるヤツが辿る道なんて二つなんです。内に籠るか、自分を大きく捻じ曲げるか。

 さて、丸尾くん、大学はなんとか田舎の国立大学に入れて、下宿が出来るようになった。これを母親が許したのは、要するにいい口減らしだったわけですね。勉強も出来ず、卑屈な次男。家にいたってこれは辛気臭いだけですからね、ちなみにこの頃、兄貴の方は官僚なんかになっておりまして、末は博士か大臣かって言葉がありますが、大臣にならなれそうだ。

 さあ、親の呪縛から解き放たれて、やっと自由になれたかって言うと、そうでもねえ、これまでずっと親の言いなりだったヤツが突然、「はい、自由ですよ」なんて言われても自由に出来るわけがねえ。自由ってのはたちが悪い大きな牢獄ですからね。

 だから、丸尾くんは大学でも友達を作るどころか、人殺しちまうわけだから、笑えねえ次第でございやす。



 さてさて、話を戻しましょう。

 高速道路を走っていると気分がスカッとしますよね。丸尾くんもビュンビュン流れていく風景を見ていると気分が盛り上がってきました。

 町、山、川がもう全て後ろに向かって猛然と飛んでいくんだから、自分を取り巻いていた環境、場所、時間、全てが過去になっていく。そんな具合だったんです。

 もう、時刻はお昼過ぎだったもんですから、太陽はちょうど頭の真上くらいにありまして、その上、すっかり晴れていたから、ちょっと、窓なんか開けちゃって、すると、風が唸りを上げてゴーゴーと車内に入ってくる。

 この音は俺を自由にする音だ。なんて、詩的なことを考えて、恍惚の笑みなんかこの男は浮かべちゃったりしましてね。



 その時、グーグーと腹が鳴り、自分がとてもお腹が空いていることに気が付いたんです。

 確かに、丸尾くん、昨日の夜から何も食べちゃいない。

 そんなわけで、近くのサービスエリアに入りまして、何か飯でも腹に入れようと考えました。

 そのサービスエリアってのがまた風景が良い。

 山の上にありまして、眼下には見渡す限りの緑と川。展望台まであるから、これは上らない手はない。

 てなもんで、丸尾くんは車を止めると、扉を開けて外に出る。

 外に出ようとした時、気になったのはやっぱり死体ですね。いやいや、気になったのは死体を見つけられるとかそう言う心配じゃない。だって、彼は人は自分が思うほど他人のことを見ていないことに気がついていますからね。彼が気になったのは死体を独りぼっちで置いていくことだったんです。



 「こんな人里離れたところで、一人なんてさみしかろう、すぐ帰ってきてやるからな」

 なんて、死体の頬を撫でて言ったりします。

 まったくもって不気味極まりない。ですが、その時の彼はきっと生まれてから初めて他人に親切に接したことでしょう。相手がたとえ死体であっても、初めての旅のパートナーですからね、そりゃ気にもなるし、優しくもなる。

 既に彼にとって死体はいじめっ子ではなく、まったくの別の存在のように感じていたわけです。

 車を出て、一人てくてくとサービスエリアのフードコートに向かいましたら、平日にも関わらず、人が多い。

 この人たちは平日なのにどうして、外にいるんだろうか、何をしている人たちなのだろうか。勤め人、いやいやもしかしたら暇を持て余した学生、それとも無職だったりするんだろうか。

 丸尾くん、他人に関してこんなにも興味を持つのは初めてでして、と言うのも、彼はこれまでの人生、そのほとんどを脳内で過ごし、他人と関わろうなんてしてこなかったのですから。

 さて、サービスエリアでラーメンを頼んで、出てきましたのは、何の変哲もない醤油ラーメン。でもね、知ってるでしょ。サービスエリアで食べる何でもない醤油ラーメンほど美味しいものはない!



 こうね、麺を持ち上げてね、いきますよ。

 ね、話を生業にする人間にとって、この「すする」って仕草はひとつ基本みたいなところがありましてね、俺も若い時分はよく練習しましたよ。

 それにしてもすごいね、師匠方ってのは、だって、師匠方のすする姿を見ていると、本当にそば食べたくなっちまいますからね、これが下手くそな奴だといけねえ、そばじゃなくて、鼻水すすっている音にそっくりのヤツなんかいますからいけねえ。

 さて、それで、丸尾くんが麺をすする。上手くすすれたら、どうか拍手のひとつやふたつ、いただけないでしょうかね。ではいきますよ。


 ずずずうずずうずずうずーずー

 

 うん、拍手は大体お客さんの半分くらいってとこですか、これはそばすすってたら、鼻水垂れちまったくらいなもんですかな。食欲なくすわってなもんですかね。でも、いいんです。今丸尾くんが食べているのは、そばはそばでも中華そばなわけですからね。

 それで、丸尾くん。ずずずっとラーメン食べたら、これが美味しいのなんのってね。もう、涙がほろりとこぼれちまいそうになっておりまして。

 「あー、美味い、うまいなあ」

 と一息で全部、


 ずずずずうずずうずずずずずー


 と食べちまいました。お、今度は拍手がさっきよりも多い。これはいい塩梅ですな。ついでにおひねりでも投げて頂ければ言うことなしなのですが。と言っていると、本当に投げるお客様がいるから困る。しかもね、こうやさしーく投げてくれればいいところを、しゅっと思い切り投げるお客様がいるから困っちゃいます。私、ほら、目の下にすっと傷がありますでしょ、これは先日の寄席でお客様がもう、銭形平次も真っ青ってな具合で小銭を投げてきましたもんで、それで、傷がついちまったんですわ。

 え、話が長い?ならば、この旅する死体と殺人鬼に話を戻しましょう。



 「俺は、生まれてこの方、こんなに美味いラーメン食べたことがねえ」

だから、丸尾くん、食器をお店に返すときに思わず聞いちまったんでさあ。

「大将、あんたんとこのラーメン、美味いねえ。どこで修行してきたの」

「いや、あたしはただのアルバイトでしてね、修行ったって、十年ばかり自動車整備で働いていただけでさあ」

「なるほど、自動車整備ってのは、あれ、気を遣う商売だ。うん、少し間違えりゃ人の命に関わる仕事だもの、そう言った細心の気遣いが味の深みにつながっているんだろうね」

なんて、丸尾くんがうんうんと頷くもんですから、このアルバイトの中年も、

「え、いや、そうですかい」

とその気になっちまっているから馬鹿ですね。でも、この馬鹿、噂じゃこの後、自分のラーメンの店出してそこそこ繁盛しているらしいですから、人生ってのは面白い。人生ってのは出会い。出会いで人は変わりますからね。丸尾くんも死体と出会って人生が変わった。



店を出たらば、展望台の階段を上って、それでパーッと視界に広がるのは一面の山。なだらかな勾配がスーッと続いていて、それが真っ青な川で止る。その川は太陽の光を浴びてキラキラ光ってやがる。そんな光景を手すりにつかまってぼーっと丸尾くん眺めていたら。

「あー、綺麗だ。心が洗われる」

なんて、ぼんやりと呟く。

まあ、こいつ、人殺しなんですけどね。人殺しの心が何が洗われるだ。手は真っ赤っかだぞ馬鹿野郎。

すると、丸尾くん、展望台の上から、パネルを見つける。

それは、顔ハメパネル。こういうところでよくあるでしょ、なんぞ絵なんか描いておりやして、それに顔をハメるとうまい具合に絵の顔と重なって、はいポーズとパシャリと写真なんか撮っちゃったりするあれですよ。

 「あー、撮ってみてえな」

 この男、呑気なことを考えやがるが、死体を海に捨てなきゃいけねえ、だらだらしている時間なんぞ、一瞬たりともないはずなのだが、しかし、これまで抑圧されてきた心はもう止まらねえ。

 「やりたいことはやらなきゃ人生じゃねえ」

 そう思ったならば、どたどたどたと階段を駆け下り、パネルまで行く丸尾くん、見たらば、印を結ぶ忍者としゃがんで手裏剣を投げる忍者の絵が描かれていて、印を結んでいる忍者の穴にね顔をバコっとハメてみる。


シーン・・・


 一人でやっても味気がない!

 うーん、どうする?どうする?あ、そうだ、死体と一緒に写真を撮ろう!

 そうと決まったら、すぐさま実行、丸尾くんはサービスエリアに備え付けられられていた車椅子をよっこいしょ、コロコロコロっと車までもってって、死体をよっこいしょと車椅子に載せるでしょ、そしたらビュッっとパネルのところまで行きますでしょ、そんで、死体の顔をしゃがんでいる忍者の方のパネルにグイグイグイと無理くりハメてみて、死体が喋れたら、いていていて、やめてくれ、顔がえぐれる!なんざ言っていたでしょうね。

 「ぽこんと顔をハメれたな、よし、今度は俺が、えー、俺が立っている忍者の方のパネルに顔をハメて・・・はい、チーズ」

 

 シーン・・・


 撮ってくれる人がいないっちゅー話ですわ。

 「あー、まいったな、これは浅慮だったな」

 また、うんうん唸っていたらば、ちょうどいいところにカップルが通りがかる。

 「あ、すいません」

 「はい、なんでしょう」

 答えたのは男の方。

 「写真撮ってくれませんか」

 「ああ、もちろん、いいですよ」

 「ありがとうございます」

 「ところで、お連れさん、具合が悪いんですか、顔が真っ白だ、目もうつろですよ」

 なかなかこの男鋭い。でも、丸尾くんも修羅場を潜り抜けていますし、今はある種のゾーンに入っておりますからね、虚言にも磨きがかかるってもんだ。

 「実は、俺の友達、大病でして」

 「大病!?」

 「もう余命もいくばくもなく」

 「余命いくばくも!?」

 「はい、それでね、こいつ、最後に海が見たいなんて言いまして、俺はやめておけ、寿命が縮まっちまうよ、なんて言ったんですけど、どうしてもと聞かないもんでして」



 自分で話しながら、丸尾くん、思わず、涙が頬をつーっと流れる。自分の言葉で自分で酔う、なかなか出来ることじゃない。この男、役者だねえ。

 そんな酔いが男にも伝わったみたいでして、カップルの男の方もうるりとその目に涙を浮かべちゃったりして、女の子の方も、よっぽど感動したのか、目をウルウルと潤ませ、身体も震えちまっている。

 「是非とも、お手伝いさせてください」

 なんて、男の方が言って、はい、と携帯を丸尾くんが渡してね。

 「じゃー撮りますよ、はいチーズ」

 パシャリってなもんですよ。それをちょいと丸尾くんに携帯を返して、どうですか、なんて言う。うん、いい写真ですな。

 「はい、ありがとうございます」

 「いえいえ、こんなもんでよければ、いい旅になればいいですね」

 「ええ、多分、おそらく、これが最後の旅になると思いますので」

 二人はこう、がっしりと握手を交わす。

 そんで、カップルは大きく手を振って、それじゃあ、また、機会があったら!なんて言うわけです。

 その時、丸尾くんの胸中にくろーい嫉妬が芽を出し、みるみるうちに彼の心にツタを伸ばしていきました。



 と言うのも、丸尾くん、ずっと自分の殻に閉じこもっておりましたもので、恋人なんざいたことがない。これまでは別に恋人なんていなくっても平気だったんです。だって、女の子も自分を傷つける他人でしかないのだからね。

 でも、この時の彼は違った。狂おしい。狂おしいほどに女を求めていたのです。

 それこそ、この男が羨ましくて仕方なかった。

 こいつら、今日の夜セックスするのかな。

 よく見りゃこの女の子結構可愛いじゃねえか。

 去り行くカップル。女の子がちらりとこちらを振り向いて、男になにやら語りかけている。それだけで、丸尾くんの頭にかっと血が上る。

 馬鹿にするんじゃねえ。

 いやいや、馬鹿になんざしていませんよ。

 これは自意識過剰と言うやつですな。思春期の若者にはよくある話です。

 この男をぶち殺して、あの女を奪ってやろうか。

 なんて、考えた時、ふと、自分が考えていることの異常性に気が付き、丸尾くん、ほんの少し、冷静になります。

 深呼吸を一度、二度、三度。

 はい、元通り、気弱な丸尾くんに戻りましたらば、



 「いや、いい人たちだったなあ、そうだよな」としみじみと呟く。死体の方はでろーんと身体が弛緩して、舌が口から出かかっている。それを慌てて口ん中に戻してやってね、丸尾くんは撮ってもらった写真を見るわけですよ。

 笑っている自分と、伏し目がちな死体。うーんいい写真だ。そう言えば俺、誰かと写真撮るなんて初めてのことだったな。これは記念になるぞ、帰ったらちゃーんとプリントアウトして、額に入れて飾ろう。なんて決心しておりました。

 それで、また車椅子をコロコロと引いて、自分の車まで戻れば、よいしょと死体を助手席に入れてやる。少し迷ったけれど、車椅子も盗んじゃうことにした。

 なに、人殺しに比べればこれくらい安い罪でしょうよ。とズルい考えが頭によぎったわけですな。

 そして、一路また海を目指して走りだした一人と一体。さてさて一体何がこの先待ち受けているのでしょうか。

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