1.他人

 それで、冒頭に戻るわけですね。

「あー、殺しちまった。殺すほどでもなかったかも知れねえ。でも、衝動的に身体が動いちまった。僕はどーにも、この男が憎かった。でも、まいった、うん、こりゃまいった。うーん。あ!まだ生きているかも知れない。うん、あのー」

なんて言って、グググッっと肩を揺すってみる。

 「うん、返事はない。でも血は出ていない。まだ、生きている可能性残っているよ」

 と自分を励まして、これまた、すーっといじめっ子の頭を指でなぞる。すると、


 ボコン!


 大きなへっこみが出来ている。

 それを確認したらば、ぎょっと後ろに飛びのく丸尾。

 「あー、これは、もしかして頭蓋骨陥没しちゃってるんじゃない、あの、脳挫傷ってやつかも、あー、これ、脳みそぐちゃぐちゃだよ、絶対死んでいるよー、あーどうしよう」

 なんて、丸尾くん、焦っちゃって、頭を抱えて目には涙。

 あー、どうしよう、どうしよう、どうしよう、と考えた男がしたのはですね、手を打って、


 うん、一旦テレビを見よう。だったわけです。


 なんで?と皆さま思われるかも知れませんが、そんな皆様も経験がおありの筈だ。

 例えば仕事なんかで面倒ごとがあるでしょ、すると、

 

 あーやんなきゃな、やんなきゃだめなんだよな、これ、うん、でもめんどくせえなおい、そうだ!明日にまわしちまおう。

 

 ってな具合ですわな。問題を先送りにしたところで何も解決はしないのですが、これが人間と言うやつです。

 それで、丸尾くん、ピッとテレビをつけたらば、くだらないバラエティ番組がやっておりまして、あー、面白いなーなんて言いながら、くだらない芸人がくだらないこと言っているのを見て、大いに楽しんだわけですね。

 それで、二時間くらい経ったでしょうかねえ、はー面白かったとテレビを消して横を見たなら、そこには死体。

 どうしよう。どうしよう、どうしよう、死体あるんだったよー、全部夢かなんかでテレビを消したら、死体もパッと消えてくれるんじゃねえかと思っていたけれど、そんなこたあねえよな。また、頭を抱えちまう丸尾くん。

 いやー、これ、もしもバレたら捕まる。うん、こりゃ捕まるね。そしたら牢屋っつーのは、悪人の巣窟だからな、俺みたいな気弱な男が入ったら生きては出てこれない。それだけじゃない。せっかく大学に入ったんだから、明るい未来が待っている。それなのに、今ここでこんなくだらない男を殺して捕まると言うのはなかなか具合が悪い。



あ、そうだ。隠せばいいんだ。上手くこの死体を処理したら、捕まることもないだろう。

 そう、丸尾くんは死体を遺棄することにきめたわけですね。

うーん、しかし、どうやって隠そう。バラバラにしてしまおうか、いや、でも俺は血が苦手なんだよな。しかも、バラバラにするだろ、つーことは力もいるし、工具もいるかもしれねえ、この部屋には鈍らの包丁一本しかねえ、こんなんじゃバラバラには出来ねえ。



なら、どうしよう、そうだ、山に埋めるなんてのはどうだろう。ここは田舎だから山なんて近くにいくらでもある。穴をバーっと掘っちまえば、そこに埋めて一件落着。いや、でもなあ、と悩む丸尾くん。

この丸尾くんが住んでいるのは、田舎の山奥だから、山なんてのは近くにあるもんですが、丸尾くんは山が嫌い、と言うのもですね、この山にはたまに熊が出る。それが怖くて仕方がない。死体を埋めに行った時に逆に自分が食われちまって、山に死体がふたつ残るなんて馬鹿なことがあっちゃあいけねえ。

あ、そうだ、海だ。うん、海がいい、海に捨てに行こう。海なら魚が食べてくれる。それに重りをつけて海に流せば、そのまますーっと海底に沈むだろう、そしたら誰にもバレやしない。そうだ。海がいい。

さっきも言いましたが、ここは内陸の山奥なんでね、海まで高速をぶっ飛ばしても半日はかかる。



もう少しいい手がありそうな気がしますが、こう言う時ってのは頭が混乱していますからね、そう言う時に閃いたことってのはどんな馬鹿なことでも世紀の大発見のように感じるものですわな。

うん、海がいい、海に行こうと決めた時には夜明け前、善は急げだ。今すぐ出発しよう。朝になっちまえば人通りも多くなる。死体なんて人目にふれりゃあ一大事だ。

だからね、丸尾くんは死体の両腋に手を差して、胸のあたりで両手をがっちり結んだらば、グイっと後ろに向かって歩く、そしてずずずっと引きずられる死体。

すると、死体の足先から黒い線がすーっと、部屋のフローリングに伸びていく。

なんだこれは?



と思って、丸尾くん、その黒い線をひとさし指ですいっとすくってみたら、ツンと悪臭が鼻を刺す。それは糞だった。

聞いた話、生き物ってのは死んだら、全身の筋肉が弛緩するらしくってね、恐らく肛門の筋肉もゆるりと開いちゃったんでしょうね。

うわ、汚いなあ、もうしゃーねえなーと。丸尾くんは死体のズボンとパンツを脱がしてやってね、重いけれど頑張って、下半身丸出しの死体を洋式便座に座らせてやったら、腹をグーっと押すんです。そしたらところてんみたいに、押した瞬間、バーッと下から糞が出る。

 

なんだか、これはこれで、おもしろいな。


なんて、丸尾くんも妙に面白がっちゃって。何度も何度も、グッグッと腹を押すんです。そしたら、バッバッと糞が出る。

グッグッ、バッバッ、グッグッ、バッバッ、なんだか楽器みてえだなあ、とか言っているうちに全部出たみたいで、丸尾くんは汚れていない自分のパンツを持ってきて死体に履かせてやろうなんて思ったわけですが、しかし、気になる。

何が気になるって、尻を拭いてやっていないのが気になる。

いいんだけどなあ、別に、死んでいるし、でも気になっちゃうなー、仕方ねえ、拭いてやるか。嫌だなあ、本当に嫌なんだけどなあ、と言いながら、トイレットペーパーで尻を拭いてやる。



 ゴシゴシゴシと拭いてやっているときに、丸尾くんは妙なことに気が付いた。

 別にそこまで尻を拭いてやるのが嫌じゃないんですね。これはなんでだろう、と思うけど自分でもよく分からない。

 なんでかって言うと、丸尾くん、これまで友達がいなかったから、誰かの為に何かをしたのが、これ、生まれて初めてだったわけです。とはいえ、誰かって言ってますけど、相手は死体なんですけどね。

 尻を拭き終わってやりましたら、新しいズボンとパンツを履かせてやって、よっこいしょとまた両腋を抱えて、ズルズルと引きずって部屋を出る。

 部屋を出た瞬間、まずいことが起きる。まずいことってのは大体重なりますからね。



 隣の部屋の住人が帰ってきたところだった。隣の住人ってのが、中年に差し掛かった男で、彼は独身の一人暮らし。仕事は工場で夜勤をやっている。

 朝帰ってきたら、隣の大学生が男を抱えて出てきやがった。ってな具合でさあ。

 さあ、丸尾くんは一瞬フリーズする。部屋に帰ろうとする男と、部屋を出ようとする丸尾。二人は目が合う。じーっと二人は見つめあう。

 「いやー、こいつね、昨日、僕の家に来て、しこたま酒飲んじゃって、気が付いた時にはひっくり返っちゃってたもんだから、これから、僕がこいつの家まで車で送ってやろうなんて思っているんです。あ、いえいえ、僕はお酒なんて一滴も飲んじゃいないんですがね」

 なんて、聞いてもいないのに、口から出まかせが出るわ出るわ、ベラベラベラベラと話しちゃう。

 こんな話、信じるわけねえよな、しまったな。バレるバレる、うわー、捕まっちまう。



 と思ったけれど、その隣人ってのは、はい、そうですか、お気をつけてと言ったらば、部屋に入っちまう。

 なるほど、鈍感な人で良かったと一安心して、アパートの廊下をまたずるずると引きずって歩いて、階段なんて死体の足が一段下りるたびに、どんどんと跳ねちゃいますから、おっとっとなんて言いながらなんとか引きずる。

 それで、外に出ましたら、もう、朝日が地平線の向こうから見える。これは急がなきゃと丸尾くんは自分の軽自動車の後部座席にいじめっ子をえいやと載せる。

 で、後部座席でひっくり返ってうつ伏せになって足を少し折って寝っ転がるいじめっ子を見た時、なんとなーく収まりが悪い気がした。

 なんかなあ、これじゃ物みたいだなあ。

 いえいえ、丸尾くん。法律上、死体は物だからその感じ方で合っているよ。と言ってやりたいですが、しかしそんなこと、私に出来るはずもないですよね。うんうん、と唸っている丸尾くん。

 そうだ、と彼は閃いて、よっこいしょとまた死体を車から出したらば、次は助手席にその死体を載せてやったわけです。

 それで、ちゃんと座らせて、シートベルトも締めて、ね、うん、なるほど、これならいいと一人呟いた。



 これならば、誰かに見られても眠っているように見えるし、椅子からずり落ちそうになったら片手でグイっと直してやればいいわけですね。ほら、馬鹿でしょ?でも、何度も言っておりますが、こんな状況で冷静でいられる方がおかしいってもんですから、彼にとってはそれが現状の最善であると思ったわけですな。

 よし、これで、すべてオッケーだ。

 つって、ブウンとエンジンを唸らせて夜明けの町を一人、いや二人ひた走り始めました。

 やはり、夜更け前と言うこともあり、人通りも車通りも少ない。しかし、車を走らせ始めた丸尾くんをまーた不安が襲う。

 「あー、どうしよう、こんなの上手くいくわきゃねえ」

 なんて、目には涙なんか溜めちゃって、情けねえことに、鼻水まで出そうになっちまいまして、赤信号で止った時になんか、こいつ、ハンドルに頭埋めて、うーうーうーうー泣き出しちまいやした。すると、


コンコンコン


車の窓ガラスを叩く音がする。音がする方を見やれば、立っているのはコンビニの店長。彼がタコみたいに顔真っ赤にして窓ガラスをね、コンコンコンと叩いてやがる。

 丸尾くん、パニックってやつですわな、こいつも、本当に気が弱くって駄目だね。ビーっと窓ガラス開けちゃうもんだから。

 「あの、なんですか」

「なんですかもへちまもあるかい馬鹿野郎、お前、バイトサボって何やってた。俺はお前、二人とも来ねえからこーんな朝まで仕事しなきゃって、お前、助手席にアイツいるじゃねえか。二人で一体何をしてやがったんだ。ん、なーんか二人とも死人みてえに顔色悪いな。特に奥の、本当に死んでるみてえじゃないか」

 これには言葉が詰まっちまう丸尾くん。



 へー、こいつが俺の部屋に来るもんだから、頭かち割って、その後テレビ見て大笑いして、うんこ出させてやってからね、今から海に捨てにいくところなんです。

 なーんて言えるわけない。だからね、またこいつ口から出まかせ言うんです。

 「いや、こいつが家に来た時にね、腹を割って話したんです。そしたら、ついつい盛り上がっちゃって、僕は酒なんて飲めないんですけれど、こいつが、もう今日は飲もう。俺たちの友情に乾杯!なんて言って朝まで二人で話していまして。そしたら、もうべろんべろんになっちゃって、今からこいつを家まで送るところです。はい、あ、バイト行かずに本当に申し訳ございませんでした」

 普通なら、こんなこと言われたら激怒するもんだが、この店長ってのも気が良い。

 この店長も普段から、いじめっ子が丸尾くんをイジメることを気にしていて、注意なんかもしていた訳で、そんな二人が腹を割って話して、朝帰りなんか結構なことじゃねえかと。うん、だって、もしも二人が仲良くなってくれたのならば、今後のシフトも随分と組みやすくなる。ここは二人の友情に免じて許してやるか、なんて思いましてね。



 「お前」

 「はい」

 「酒は本当に飲んでないんだな」

 「はい、僕は下戸なもんでして」

 「なら良かった。いいか、この世には許されることと許されないことがある」

 「はい」

 「バイトをサボる。これはいけないことだが、友情も大事。今回は許してやろう。でもな、いいか、飲酒運転だけはいけない。これは許されないことだ」

 「はい、ありがとうございます」

 「それから、運転気をつけろよ。いいか、若くして死ぬ。これも許されないことだ。いいな親よりも先に、いや年長者よりも先に死ぬ、これほど不義理なことはない。絶対に気を付けて運転して、また元気にバイトに来い、二人とも。いいか絶対に死ぬな」

 

まあ、既にひとり死んでるわけですがな!


よしよし、なんだかわけがわからんが、とにかくごまかせたぞ、ふーっと胸をなでおろした丸尾くん。

「はい、気を付けます」

なんて言って、また車をブーンと走らす。

ここで、うん?とおかしなことに気が付いて、隣の死体を見る。

真っ青な顔、どう見たって死んでいる。それなのに、隣人もバイトの店長も死体だって気が付きやしない。もしかして、他人は俺が思っているほど人のことを見ていないのではなかろうか。

まさしくその通りでございやす。ね、大人の皆様は既にお気づきでしょうし。お子さん方には是非とも知っておいて欲しいことなのですがね。


『人っていう生き物は、自分が思うほど他人のことを見ていない』


と言うことです。

若い時分はこれで悩む。自意識過剰になってしまう。

皆様も経験おありでしょ、体育の体力テストなんかで、誰も聞いていないのに、

「あー、なんか今日は調子悪いわ、ダリ―、力抜いてやろ」

 なんて言いながら、五十メートル走を全力疾走したことなんてあるんじゃないですか。

 そうなんです。人はね、他人なんかに興味ありませんから、だから大抵何か起きてから大慌てしたりするわけですね。

 そんな世の真実に丸尾くんは少し気が付いたわけですね。

 そしたら心が少しスーッとしてくる。

 なんだ、俺がこれまで気にしていた人の目と言うヤツは本当はなかったんじゃねえのか。



 人なんて、他人のことを結局見てねえじゃねえか。

 うん、そうだ、そうに違いない。

 人のことキュッと目ん玉丸くして四六時中見張っているヤツなんかいないんだ。もしもいたならば、どうして俺が中学生の頃、体育館の裏で素っ裸でリンチに合った時、誰も助けちゃくれなかったのか。見ていないからだ。誰も気がついちゃいなかったからだ。誰も他人なんざに興味はない。どれ、少し試してみるか。

 丸尾くん、なんだか、少し強気になれたみたい。



 だから、彼、ブーっと車をぶっ飛ばしてね、高速道路の入り口まで来たらね、係の人にお金を払いながら言うわけですよ。もう、ビクビクなんかしていませんからね。

 

 「いやー、困っちゃったよ。こいつが朝まで酒飲んで、いや、俺は飲んでないんだけどね。そんで今からこいつ送るところなんだよな。まったく、大学生はツレエ」



 なんてことをね、口角なんか上げちゃって、肘をこう、ガラス窓のところにどーんとおいて偉そうに言うわけですよ。

 ハリ倒してやろうか、このガキってなもんですが、係員さんは偉い。

 あーそうですか、お気をつけて。なんて仰るわけです。

 この係員さん偉い人だよ。五十年間ひとつの会社で勤め上げ、二男一女を立派に育   

て、今じゃカミさんと二人暮らし。苦労させたカミさんに少しでも贅沢させてやりたいと、年金だけじゃ足りないってんで、最近高速道路で仕事を始めた。


「あんまり無理しちゃいけないよ」とカミさんが言ってもね。

「まあ、まあ、家にいたってやることないし、それにね、僕の方が先に死ぬだろ、その時少しでもお前に金を残してやりたいのさ」

「その気持ちは嬉しいけれど、あたしはお前といれるだけで幸せなんだよ」

「おまえ」

「あんた」

「四人目作るか」


なんて惚気てからこの人仕事に来てますが、まあ、そんなこと丸尾くんは知らない。

高速道路を走りだした時にはね。



 「しめしめ、あの爺い、てんで俺のことも死体のことも見ていなかった。間抜けな爺だ。大した人生送って来なかったんだろう」



 なんて見下しちゃってるわけだから、悪いよね。

 若者にはありがちなことですが、他人をすぐに値踏みして安い値段をつけるってのは、絶対によした方がいいですよ。うん、人に歴史ありとはよく言ったもんだ。

 それでですね、高速道路に乗った丸尾くんは車を走らせていたら、山の奥から、グ ググッと太陽が顔を出してきて、ピカッと輝きだした。

 それを見たらね。なんだか楽しくなってきちゃった。

 なぜかって?なんでなんだろう。とひとり物思いに耽ったりする。

 なんでなんだろうね。

 と死体に話しかけてみますが、当たり前ですが、死体はお話しませんからね。

 でも、死体は返事をしませんが、死体に話しかけた時に気が付いたわけです。

 あ、そう言えば、俺、旅するの初めてだ。

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