第3章 – 毒された者
作者:コソン 翻訳:山城
Keys:
*** - 新しい場面・キャラクターへの切り替わり
○○○ - 状況やキャラはそのままにわずかな場面転換
~ - 語尾が伸びている
> < - 異なる言語が話されている/読まれている
+ - 会話の同時進行
*__* - キャラクターの動作を表す 例)*ゴホン…* = キャラクターが咳をしている
名前のない引用 - 無名/無名のキャラクターが話している(背景キャラクターも含む)
「誰かに見られた?」
「いや」 メイヴに聞かれ、ヌリは答えた。
ヌリは背後のボロボロなドアを閉め、肩に鞄を背負った状態で部屋の中央まで通れるようにした。彼が歩いているところを周りの奴隷たちは見つめつつ、彼についての意見をひそひそと交し合う。
「すごく弱そうだ」
「感情が感じられない」
「こんなに頑張れば自由になれるとでも思ってるなら、妄想が過ぎるよ」
ヌリは彼らの冷笑を無視する。 表情を地面に向け続けることで彼らと視線を交わさないようにもした。 中央まできたヌリは鞄を静かに落とし、その中身を探る。取り出した高価なガラスのワインボトルには、コルク栓がされていた。
奴隷たちの目はそのワインボトルに日の光が輝く様を遠くから眺めながらもくぎ付けになり、ヌリの悪口を囁き合うこともやめる。
「ほら」
ヌリは手を伸ばして、メイヴにそのボトルを渡した。 メイヴは即座に積まれた木箱から俊敏な動きで降り立ち、その両足を簡単に、そして完璧に地につける。 メイヴはヌリの手からボトルをひったくると、コルク栓を回して外し、高価なワインを一口、口にする。
「ふーん、ワインって、こんな味なのね?」
メイヴ・ライトニングテールの反応は、嫌悪と好奇心との中間だった。 彼女のそんな反応を見たほかの奴隷たちはワインがたくさん入った鞄に駆け出し、引き裂くようにそれを開くと、ボトルを掴もうと躍起になる。
「俺のだ!」
「手を離せ!」
「どけよ!」
「放して!」
ヌリはそんな彼らをじっくり観察した。今の今まで味わったことのないワインのために戦いを繰り広げる彼らを、じっと見つめる。 混乱して、言葉少なになる。 飲み物のためにプライドを喜んで手放し、理性のないハイエナのようにすらなってしまう彼らの精神性を、ほんの少しも理解はできなかったのだ。
「ねえ、それはただのワインだよ」
「野暮なことを言わないでよ、ヌリ。
少し飲んでみたら?」
メイヴはヌリの顔でワインボトルを誇らしげに振って見せる。そういった不注意な振る舞いによって彼をそそのかしているつもりだったが、ヌリはメイヴからボトルを取り上げようなどとは思いもしなかった。この部屋に最初についたときのように、顔を背けるだけだ。
「自分の仕事はした。
今度はそっちの番だ」
「はいはい、わかったわよ」メイヴは呻くように返事をする。
「じゃあこっちにきて」
○○○
ヌリたちはワインボトルに夢中な奴隷たちから離れていく。 彼らがある言っていた場所は小さく物静かで物置の後ろにあり、メイヴがさっきまで座っていた木箱類の隣でもあった。
「戦争中に何があったのか教えてくれ」
「ちょっと待ってちょうだい」
メイヴはボトルにもう一度口をつける。ワインの甘さ、そして香りを最大限味わおうとしていたが、アルコールの強さは彼女の気に召すものではなかった。 彼女はボトルにコルク栓を戻し、木箱の端に置く。
「うぅ、大人たちってどうやってこんなもの飲むの?」メイヴはワインに嫌悪をむき出しにした。
ヌリは時間を無駄にされていることを喜ばしく思えなかったが、彼女が本題に入るまで忍耐強く耐える。
「おっけー、あくまで私が聞いたことだけど。人類勢力はオーグランの城にだいぶ近づいてきているわ。死傷者はたくさん出しているけれどね」
メイヴは話し始める。
「不思議な生き物に出会ったしたくさんの魔法を発見して、自分たちで唱えようともしたのよ。でも結局、何も変わらなかったわ。グレートファイブのおかげで人類は有利になって、彼らは戦争に実際に勝てるだろうし、その場ですぐに悪魔の王を討伐できるでしょう。あらゆる方向から攻撃して、そしてその攻撃はまったく勢いが止まる気配もない」
メイヴは腕を組んだまま後ろの壁にもたれかかり、けろりとふるまう。ヌリが嬉しくなさそうなのを見て、すこしだけ落ち着かないようだった。 彼女が今提供した情報は彼にとって、交渉の場で約束されたものと等価ではなかった。
「それだけか?」ヌリが尋ねる。
「ほら、今のは私が集めることのできた情報の最後のひとかけらだったのよ。カオス領のマナのせいで通信が完全に邪魔されたんだから。 これまで誰も彼らとやりとりできなかったのよ」
「そりゃいいな」ヌリはため息をつく。
ヌリもまたメイヴと同じように周りにある木箱にもたれかかって空を見上げると、どうしたものか、とこれからの計画に関して思いを馳せる。手に入った情報に価値があまりにもなかったのだ。
「そんなにがっかりしないでよ。私の情報源がもしまた何かあれば知らせてくれるわ」
「やめとけよ。そいつはただの新人なんだ。あんまりたくさん彼らに質問したら、尋問されてしまうぞ。だからそいつはもう切った方がいい」
「この街の人間はとても残酷だって思ったわ」
メイヴは木箱によりかかったヌリの隣、距離を詰める。 そしてヌリと同じように落ち着いた空を眺め、心地よい空気を味わってからすぐに注意をヌリに戻した。
「どうして戦争なんかに興味を持つのよ? 何が起きているか知ったところで、私たちの状況は変わらないわ」
「計画を思いついたんだ。王家と残りの兵士たちが戻ってくる前に、実行できるかどうか確実にしないといけない」
「計画?」
ヌリは空を見つめ続け、視界の端を雲がゆっくりと過ぎていくのを眺めると、地面に視線を移した。 彼の表情が変わる。罪の意識にかられ、メイヴに返答をするまでにじっくりと考えるための時間を要した。
「祭りの日に、母さんとようやくこの場所を出ていく計画を立てているんだ」
「待って、何?」
メイヴは思わず笑い出し、その笑いを止めることができなかった。 抑えようとはしたものの、ヌリがたった今言ったことを頭の中で繰り返し、もっと笑いだしてしまうのだった。
「ま、まだそんなこと言ってるの?」メイヴはげらげらと笑う。
「さすがにもう彼女の子宮から出られるくらいには成長していると思ったんだけど」
ヌリはメイヴの目を見ながら、自分が本気で言っていたのだと表情で示した。彼女はヌリのいかめしい表情に気圧され、ついに笑うのをやめた。
いつもだったらヌリはコドリアンやそのほかの奴隷たちに母親を助けたいという気持ちを笑われたとき、言い返したりしなかった。しかし今回は何か違うと、メイヴは感じた。
「わかった、つまり……どうやってやろうっていうの?」
ヌリは使い古された上靴を脱ぎ、ひっくり返した。 そして靴に空いた小さな穴を広げ、二本の指で、半分折れてしまっているマッチ棒を取り出し、メイヴに手渡す。
「野営地全体に火をつける。皆がすっかり酔っぱらって心の底から歌ってみたりしている間にね。 兵士たちが煙草休憩で離れてる間に、このマッチをこっそり集めてたんだ。あいつら、僕がワインをとってきたメインのテント以外にもアルコールを貯蔵してる。 そこがちょうど火の付け所だよ。 計画中に街の門がきちんと開くかどうか、今のうちにはっきりさせないといけない。そこで君の出番だ、メイヴ」
「ええっ?!」メイヴは思わず叫んだ。
ヌリの危険な脱出計画を聞いて、メイヴの心配は一気に増長する。 周りに少し目を向け、周りで誰も聞いていないことを確認した。
「まず最初に言っておくけど、私はあなたを助けないし、そのせいでトラブルに巻き込まれたりもしないわ。それから二つ目。もしこの計画がなんとかうまくいったとして……それからどうするの? あなたのお母さんは外に出ても生き残れないわよ。他の街に行ったとして、彼女はまた奴隷として扱われるのよ。それに、アドララのことは忘れちゃったわけ?」 メイヴは続けて尋ねる。
「彼女はこのこと、どう思うかしら?」
「わかってるよ。だから君と彼女に、僕のいない間母さんの傍にいてほしいんだ」
「冗談でしょ。いい? 私はあなたを助けたりしない。……お断りよ」メイヴは最後の言葉を強調して答えた。
「それなら守衛たちに誰が盗みを働いてきたか教えようかな。一緒に監獄で過ごすことになるだろうね」
「え?! 待って、待ってよ!」メイヴは懇願するように叫ぶ。
ヌリは振り向いて彼女に背中を向け、錆びたドアに向かってその場を離れようとした。そのまま数歩歩いたところで、怯えたようなメイヴが手を掴む。メイヴは気が付いたのだ。ヌリはこのために計画をすでに前々から立てていたのだと。
「これが友達同士でやることってわけ?」メイヴはため息をつく。
「わかってたことだろ。いったいどんな人間が何の代価もなしにあんな親切をするっていうんだ? 君が女の子だってだけで、世界がみんな君にひざまずくわけじゃあないんだ。 それに、君はいつも誰かが騙そうとしているのをわかるほうだ、そうだろ?」
「そうね、ただ、近しい人間からそんなことされると思ってなかったんだけれど……」
「近しい人間こそ、敵がだまそうとしているだけっていうこともあるよ」
「良いから黙ってよ、バカ!
メイヴが思考を整理して落ち着くのに、少し時間が必要だった。コンクリートの床に尻をついて座りこみ、脚の間に頭を埋め込む。
「なんで私なの?」
打ちひしがれた様子のメイヴを見下ろして、ヌリは気が乗らないながらも、違う方法で彼女の助けを得ることにした。 彼女がこれほど長い間傍にいたのはヌリだけだったし、いくらか彼女に共感しないでもなかったのだ。
「母さんとアドララをのぞいたら、君しか信用できる人はいないんだ」
「なんですって?」
「君は他の奴隷とちがう。信じてもらえないかもしれないけど、君は自分の命を活かす才能が十分にあると思うんだ。君はただ、目的を理解して方針を定める必要があるだけなんだよ」
「ふふ、本当にそう思う?」
「君は……有能なんてものじゃない。そうでなかったら、死んでるだろうね」
「わあ、ありがとう」メイヴはあざ笑うように答えた。
彼女は顔を壁の方に向ける。 ヌリの優しい言葉を耳にして、メイヴは僅かに頬を赤らめていた。
「でも、本当に……ありがとう、ヌリ」
「母さんとアドララと一緒にこの場所を出て行ってから感謝してくれ」
「まだそんなこと言ってるの?」
ヌリはメイヴの方に歩き、彼女の前に立つ。そして手を伸ばし、じっと彼女の同意を待った。
「助けてくれる?」
彼女は顔を上げた。 ヌリとその手を交互に見比べ、メイヴは決心をつけるまで時間をしばらくかけていた。 ヌリが仕掛けた罠から抜け出すことなどできないと知っていながらも、これ以上の文句を言うことをやめ、メイヴはヌリの手を握る。
「もう、なんでもいいわ!」メイヴは冷笑する。
「やることはやるけど、あなたは殺されないようにしてよね。 アドララがひたすら泣きだすのに対応しないといけないのは嫌だわ。 あなたが死んだって知ったら、彼女、そうなるんだから」
「ああああああああ!」
○○○
ヌリとメイヴの傍で、他の奴隷の慌てふためいた叫び声が聞こえた。 二人は急いで奴隷たちのもとにもどり、何が起きているか確認した。 奴隷たちが一人、また一人と崩れ落ち、何か黒いインクのようなものを吐き出しているその様子を目にして、二人とも恐怖に目を見開く。
この症状にかかっていない奴隷たちは、近しい友人たちに何が起きているのかを目にしながらも、恐怖のままにその場から走り去る。
「この黒いの、なに?」
「ゴプトン病だ……」
「でも、どうして?」
「あの兵士たちが盗まれたときのために、ワインに混ぜていたに違いないよ」
「あいつら!」
「おい!」
コドラの兵士たちが近づいてくる声を耳にして、二人は戦慄する。 兵士たちは数人で、奴隷たちがその場から逃げていくのを止めようと声を上げた。
「この馬鹿ども! ここでいったい何をしているんだ!? あいつらを逃がすな! 俺たちはここを調べる」
「了解です!」
兵士たちは命令をきいて逃げて行った奴隷たちを追いかけ、二人がその場を調べるのに残された。
「ああ、やだ!」メイヴが声を出す。
「た、た……助けて……くれ」
その奴隷のうめき声に思わず彼らの目はくぎ付けになった。 彼の目からは黒いインクが滴り落ちている。 まだ生き残ろうともがいているようだったけれども、ヌリとメイヴには彼に希望を感じることはできなかった。
ゆっくりと死んでいくばかりの奴隷たちを助けようとしても、兵士たちに捕まるだけだとわかっていた。彼らにできるのは、見つからないように静かに戻っていくことだけだ。
ゴプトン病のせいで静かに命の灯が消えようとしている奴隷の最後の瞬間をヌリは見つめていた。奴隷の目はぐるぐるとして、口からはあぶくの音が聞こえていた。
その瞬間、ヌリはとある考えを思いつく。 ゴプトンの症状を見せているのは、あのワインボトルを口にした奴隷たちだけだ。 そしてすぐ、彼はメイヴが最初にそれを口にして、そして彼らにボトルを戻したことを思い出した。
「メイヴ?」
彼女は角で上半身を壁に預け、両手を壁と木箱に置きながら立っていた。
「えっ?!」
メイヴも他の奴隷たちのように吐き出し始め、膝をつき、四つん這いになる。
「うう……」
ヌリは彼女を助けようとしたが、コドラの兵士たちが近くにいる足音を耳にする。 出口の扉のすぐ近くに立っている兵士たちを見た。助けようとするには遅すぎた。今できるのは、兵士たちに見つからないように隠れることだけだった。
「馬鹿ね……行って……隠れなさい……ぐっ!」
メイヴは繰り返し咳き込み、両手で口の中から零れ落ちるゴプトンを抑えようとしたが、指から零れ落ちるばかりだった。
ヌリはメイヴが手遅れだと信じたくなかったし、何においても彼女を助けようと思考を巡らせた。彼は素早く彼女の隣で膝をつき、彼女の体をこちらに向ける。
「何を……?」
ヌリはメイヴの喉の中を覗き込み、このインク病を引き起こしているゴプトンの寄生生物を見る。 時間がもうないことを自覚していた彼は、これ以上考えることをやめた。
「えっ?!」メイヴはもごもごと口ごもる。
ヌリは乱暴にメイヴに向き直り、唇に唇を重ね、彼女の口から黒いインクと寄生生物を吸いだそうとする。突然の行為にメイヴは驚いたが、声を上げて兵士たちに位置を知らせることがないように努めた。
幸運ともいえるが、ヌリはなんとか彼女の口の中の寄生生物を捕まえることができた。 ヌリはすぐに寄生生物を外に吐き出す。ぐずぐずしていれば彼の喉に戻ってきかねないからだ。 寄生生物はそこらを飛び跳ねていたが、自身の生み出したゴプトンの泥だまりのなかで死んでいった。
ヌリの口は完全に黒いインクで汚れてしまったが、メイヴの命より気にかかる事ではなかった。
「げほっ……結局……あなたは他の人のことを気にかけてしまうのね……」
「静かに!」
彼女がもう平気だとわかって、ヌリは兵士たちから隠れるための場所を探してあたりを見回す。 そして蓋のしっかり閉まっていない小さな木箱を見つけ、そこに駆け込んだ。 箱は二人が隠れるのに十分であることを確認し、彼は蓋を開ける。
ヌリは元の場所に戻り、メイヴを持ち上げる。 そして急いで自分よりも先にまずメイヴを中に入れ、そして蓋をもとどおり閉める。
「ちょっと!」
ヌリは手でメイヴの口を抑え、静かにさせた。 兵士たちの会話に慎重に耳を傾け、そしてまた、自分たちがどれほど近い位置にいるかを痛感する。
二人の兵士たちは病気にかかった奴隷がたくさんいるのを目にして、それぞれの体をひっくり返して彼らの瞳と開きっぱなしの口からゴプトンだと知る。
「一体ここで何が起きたんだ?」
「ああ、くそ!」
「なんだよ?」
兵士は奴隷たちの傍に置きっぱなしにされたワインボトルを拾い上げ、仲間の兵士に見せた。
「くそ、あいつら、混ざりもののワインを飲んだのか?」
「あのクソったれども!」
「これじゃ、どうやって司令官と補佐官を排除すればいいんだ?」
「司令官?」ヌリはつぶやくように口にする。
彼らが司令官をひどく嫌っているのを耳にして、ヌリは興味をもった。 兵士たちの中には司令官とうまくやっていない者もいるとは知っていたが、逆らおうと試みているのを耳にするのは初めてだった。
「怒ったって仕方がないさ。今は隊長に報告して、新しく計画を立てるしかない」
「それは賢い選択かな?」
「なんだって……?!」
悪魔的とも言えるほど低く深い声を聴き、兵士たちは慌てて顔をそちらに向け、首が外れてしまいそうなほどだった。 彼らの光彩が縮みあがり、顎がぐらぐらとしてしまったのは、その強大なる司令官、バルドルフ・フェデリックの存在によってだった。
王の右腕として、バルドルフは毅然とした、またよく鍛錬をされた男であり、他の兵士たちからは恐れられていた。 ノクタス家およびコドラに数世代も使えてきた彼は、その戦略性をもって戦争の流れを変え、他のものなら救えなかったであろう窮地を救ってきた。
「あれが司令官?!」メイヴは小声で尋ねる。
「戦争があるからここにはいないと思ってたわ」
「しーっ!」
ヌリはメイヴに静かにするように言う。 司令官がいるともなれば、より注意深く会話を聞いていたかった。 この遭遇で手に入り得るどんな有益な情報も逃したくはなかったのだ。
バルドルフは入り口の前に立ったまま、部下たちを見下ろしていた。兵士たちは片膝をついて、何の非の打ちどころもない敬礼をする。
「司令官殿!」
「お前、立て!」
「はい、司令官殿!」
言われた通り、兵士は即座に立つ。バルドルフと視線を交わすだけで緊張しているのが顔から見て取れた。
司令官はマントの下につけていたロングソードを素早く抜くと、その卑怯な兵士に突き付けた。
「ま、待ってください! お願いです!」
兵士が命乞いの言葉をさらに繰り出す前に、その磨かれた鎧を貫いて剣が兵士の銅を突く。 兵士の命の抜けた体が地面に落ち、二つに分かれてそこらに血をまき散らす。
もう一人の兵士はバルドルフの剣から血が滴り落ちる音を聞きながら跪いたままだった。茫然自失としたまま、他の方向を見ないように努める。コンクリートのヒビに沿って血が流れていく音を聞きながら、唇は震え始めていた。
バルドルフはその兵士に視線を向ける。 バルドルフの冷たい視線が体を突きさすのを感じながら、自身も残忍に殺されることを思って汗に衣服を汚し、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「お前」司令官が口を開く。
「は、はい、司令官殿!」
バルドルフは剣を振って血を払い、その兵士の首の傍で振って見せる。 その挙動の一つ一つのたびに、兵士の息がだんだんと激しくなる。 彼は自分の盲目的とも言えた自信のせいでこうなったのだと、自責した。
「まだ少しでも誇りが残っているのなら、武器を取れ」
「な、なんですって?」
「俺を殺したかったんだろ? 最後まで目的を果たそうとするところを見せてみろ」
兵士は首元に押しあてられたバルドルフの剣を感じながら震えた。 全身がこの状況を逃れるためのあらゆる言い訳を探せと警告していた。
「司令官、私の考えではなかったんです! 他の者達が街を出たがったんです」兵士は懇願するように言う。
「私もですが、彼らは王家が領域から生きて帰ってこないとわかっていました。それがわかったら、他の国々が我々の領土を手に入れる好機と見たでしょう。 それはあなたもわかるでしょう?!」
勇気を振り絞り、死の恐怖と戦いながらも、兵士はバルドルフに向き直る。 バルドルフの視線を感じる間もなく、兵士は突如胸に微かな圧迫感と温かみを感じた。
「えっ?」
兵士は見下ろし、バルドルフがすでに自分の胸を刺していることに気が付く。しかし、それは剣によるものではなかった。 痛みがゆっくりと走りだし、死にかけの兵士は慎重に、何が自身を殺したのかを目にする。
「なにが……?」
青いスマルトで包まれた、伸びたドラゴンの翼を兵士は霞んだ視界にとらえる。 その腕はバルドルフのマントから現れ、彼の本来の腕の代わりに生えているようだった。 兵士が身に着けていた防具を完全に破壊し、その尖った爪で腹を貫いたのだ。
「ぐっ……!」
バルドルフはゆっくりと兵士をそのドラゴンの腕で持ち上げ、兵士の胸から引き抜く勢いで兵士を地面に投げつける。兵士からは、血と腸が零れ落ちていく。
「ああああっ……」
兵士が最期のうめき声をあげるのを、バルドルフはただ見ていた。 そしてバルドルフはその恐ろしい腕を剣でしたのと同じように振り、爪に絡みついたままの肝臓と血を振り払う。
「愚か者どもが」バルドルフはつぶやく。
○○○
いくらか待ち、兵士からも司令官からも何も聞こえなくなると、ヌリとメイヴは木箱から出ても安全だろうかと考え始めた。
「今何が起きているの?」メイヴが囁く。
「知らないよ!」
「聞こえているぞ、そこの二人。出てこい」
バルドルフの声を聴いて二人の心臓は高鳴る。 見つかっていると知り、隠れたままでいる意味がないと感じた二人は、木箱から姿を現す。
バルドルフはそこに立って、ヌリが吐き出した、千切れた寄生生物をドラゴンの手で持っていた。 ヌリとメイヴは彼の身長に圧倒され、何とか落ち着こうと試みるので精一杯だった。
「おまえはヘンリエッタの子供だな。地獄の淵を歩いて己の母親の心を勝ち取ろうとしているのか? 彼女が前にしたように? とはいえ、魔女の息子からは何も期待していないが」
バルドルフは手に握っていた寄生生物を握りつぶし、ヌリを真剣に見つめる。 ヌリは何も言わず、しかしバルドルフに向き直る。同一のエネルギーを持った者同士の対面に後ずさる事はなかった。
終わり
作者:コソン
ツイッター: https://twitter.com/Koson_san
パトロン: https://www.patreon.com/Kosonsan
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます