第六章 MAISON DE QUAD へようこそ

第1話 CAFE BLOOKLYN レシートの謎

 駅から歩いて10分の住宅街。公園に面した4階建ての建物がオレたち4人の暮らすマンション。なにげに高校の友達が遊びに来るのはこれが初めてだ。深月んちは4階、東側403号室。オレは両手にスナック菓子の詰まったスーパーの袋を引っ提げてチャイムを鳴らす。


 オレたちにとっては行き慣れた深月の家だが、初めてここへ来る女の子三人は遠巻きになって興奮気味に互いをつつき合っている。ユミちゃんは顔を赤らめて、ドアが開いた瞬間にダッシュで逃げ帰りそうだ。


「大丈夫? 落ち着いて」


 こう言ったところで落ち着けるものでもないだろうが、とりあえずへらりと笑って見せる。


  ガチャ、


 ドアに出たのは深月ではなく、ひまわりみたいな笑顔のチカ。

「待ってたよ、みんな! いらっしゃい!」

「家族かお前は」

 玄関の奥から深月の声。

 オレはスーパーの袋を持ったままの手でチカが支えるドアを大きく開き、玄関に足を踏み入れる。ちゃんと挨拶も忘れない。

「深月、ただいまー」

「お前んちじゃねーよ」

 そう言って、深月がふらりと廊下に姿を現す。黒の上下にミリタリーグリーンのパーカー。珍しく気温に適した服を着ている。

「神木君って家ではこんなキャラなの? ツッコミがモグラ叩きでウケる」

と、荒木さんが肩を震わせる。

「るせー。周りに人住んでんだからあんまり騒ぐんじゃねーぞ?」

「はーい!」

 みんなの元気のいい返事に、深月がチッと舌打ちをしながら玄関のドアを閉めた。




 普段殺風景なリビングはガーランドと風船で飾り付けられ、ダイニングテーブルとソファ前のローテーブルに人数分のグラスと皿が並べてあった。


 オレがスナック菓子を皿に盛ったあとは、チカの作ったバースデーケーキに感嘆の声があがり、深月がロウソクを立てオレが火をつけて、マキ以外の全員でハッピーバースデーを歌った。マキがロウソクを吹き消すのと同時におめでとうの喝采。いつもより賑やかな誕生日。たまにはこうゆうのもいいだろ? とマキに視線を送ると、こっち見ないでと言わんばかりに涼しげな目を座らせる。


「じゃあ、切ってくるね」

と言ってチカが席を立ち、

「私も手伝う」

と言って主役まで抜けてしまった。


 リビングにオレと深月とユミちゃんたちという新たな組み合わせが残る。いきなりぎこちない空気がリビングに充満する。


 たぶんこの空気の発生源は主にオレの左側。ソファの端に無言で座す深月とその向かいに正座してグラスに視線を落とすユミちゃんだ。


 校舎裏に呼び出されたイケメン男子と、告白したくてできずに俯く女の子って感じの雰囲気。オレはここにいていいんだろうかと迷う。まさかここで告白はないだろうが、見てるとこっちまでドキドキしてくる。


 空気がジリジリと焦げ付き始めたその時、パンッと手が鳴り、


「あ、そーだ!」


と荒木さんが声を上げた。


「私、ツツジ君にカフェのお金払わなきゃ」


 荒木さんに続いてユミちゃんとキヨちゃんも「わたしも」と言って自分の鞄から財布を取り出す作業に取り掛かる。


 見事なアイスブレイク。強い。

 今この瞬間から荒木さんのことは荒木女史と呼ぶことにしよう。


 オレも、そうだったそうだったと言いながら財布からレシートを取り出し、次の瞬間絶句する。



【CAFE BROOKLYN】


CAKE 400×2

DRINK 480円×

    430円×


TOTAL ¥3,580.-


 ドリンク、商品名も数も書いてねぇじゃん……。


「どーした? いきなり固まって」

「深月、どーしよ。レシートがザッパ過ぎる。ドリンクの値段2種類あんだけど数わかんねぇ」

「こんなん計算で簡単に出るだろ。頭使えよ」

 深月は軽く言ってのけ、グラスを傾ける。

「ええーっ、どうやって!?」


 オレは瞬間的に、しまった!と思ったが、もう遅かった。


「じゃ、千夏たちがケーキを切ってくるまでに解け。解けなかったらお前のケーキは俺のもんな。はい、ザ・ゲーム・イズ・オン」


「ぅおいまてよ! お前はいつも急すぎる! ふざけんな!」


 オレが喚いてもキッチンではチカとマキが、「7等分って難しいね」などと話しながらのん気に包丁をふるっている。


 オレは選択の余地なく深月の差し出した紙とペンを引っつかむ。


 総額からケーキを引いてドリンクだけの値段は

 3580-400×2=2780

 2種類のドリンクが 2780 になる組み合わせは、えーと、いちいち書いてくのめんどいな。X と Y でいけんのか?


 480×X+430×Y=2780


 お、なんかそれっぽいのできた。

 けど、あれ?

 これって X か Y どっちか1つでもわならないと解けねえじゃん! 他に式もねえから連立方程式も使えねえ。どうする⁉︎ ちくしょー、こんな時に章也がいてくれたら……。ああ、オレの四角い羽根カンペの天使……。


 移行すればなんとかなる? なるワケないよな。移行したってXとYは謎のままだ、埒が開かねぇ。


「真紀すごい! ちゃんと等分に切れてる!」


 くっそ、このまま迷宮入りか⁉︎

 どうやったらこっから抜け出せる⁉︎


 頭を抱えた瞬間、脳裏で章也が歌った『迷宮入りのフィボナッチ』が蘇る。あの妙にリバーブの掛かった目眩を催すような曲はまったくもって意味不明だったが、この式は意味がわかっても答えが出ねぇ。どん詰まりだ。ただそれっぽく見えるだけじゃんか!


「はーい、ケーキ切れたよー!」


 チカの明るい声が、倒れたオレを墓に埋める。

「あれ? 常葉、具合悪いの? わたし食べてあげよっか、常葉の分!」

 両手にケーキを乗せた小皿を持ってチカが喜ぶ。

「好きにしてくれ……。残念だがそれはもうオレのもんじゃない」

「悪いな、千夏。常葉の分は俺がもらった。こいつから正式に」

 深月はチカの両手から皿を受け取り、自分の前のテーブルに並べて置く。

「あー深月、また常葉をいじめたんでしょ。もう! かわいそうなことしないで」

「いじめてないし、かわいそうじゃない」

 マキが氷の視線で深月を刺す。

「無慈悲」

「わーったよ。ちゃんと教える。ケーキは受講料にいただく。それならいいだろ?」

「そんなに食べたいの?」

「甘党」

「好きに言え」


 みんながケーキをつつく間、深月はオレに解き方を教えてくれた。オレの分のケーキを食いながら。


「いちいち組み合わせすんの止めて式で表そうとしたのは正解だ。実際にやったら手間も時間もかかる。それを小手先でやっちまおうってのが数学だからな」

 ぐすんと洟を啜る。

「だが、未知の数字が2つあったら X と Y って発想は陳腐だ。気付いたと思うが、それじゃ永遠に答えは出ない。必ず答えは存在する。他の表し方を検討しろ」

「他の表し方? そんなのあるのか?」

「文字が2つあると答えが出ない。なら1つで表せないかやってみろ」

「1つの文字で?」


 確かに文字が1つに出来たらX=って形にできるから数字が出そうだ。だけど、どうやって文字1つだけで表せるって言うんだ?


 オレのハテナを押しつぶすように、深月はオレの立てた式を指差す。


 480×X+430×Y=2780


「X と Y はそもそもなんの数だ?」

「ドリンクの数」

「ドリンクの総数は?」

「6」

「じゃあ、480円が X 個なら、430円は何個? Y って言うなよ?」

「わかってるよ。6からX引いた数だから6-Xだろ?」

「上出来だ」

「……あ、これならいけっかもしんない」


Yは(6-X)と表せるから、

Yのとこに(6-X)を代入して

480×X+430×(6-X)=2780

カッコ外して

480X+430×6-430X=2780

430×6 計算して

480X+2580-430X=2780

X同士を計算、2580を右にもってきて

50X=2780−2580

50X=200

X=4


X=4ならY=4


480円が4個、430円が2個


 やった……!

 ついに答えが出た!



 同じことを別の方法で表すだけで、それまでどう頑張っても開かなかった解への扉が開く。解への扉を開けるには、ちゃんと鍵穴に合った鍵を選ぶ必要があるんだ。


 深月はどんな問題でも解いてしまう。それってすげー数の鍵を持ってるってことなんだろうな。オレも深月みたいに、どんな扉でも開けられる鍵の持ち主になりたい。


「解けた! 解けた、深月!」

「よかったな、おめでとう」


 オレはひととき感動に浸る。


「褒美だ、これやる」


 そう言って深月がくれたのは、チカの作ったレモンレアチーズケーキ。


 皿に乗ったそいつは、最後の一口だった。

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