第3話 オレのマスカットティー
「神木君、トキちゃんが来て待ってるよ」
深月が戻って来たのに気づいてユミちゃんが声をかける。オレの時とは違って深月のところへは行かず、廊下側の机に友達と集まったまま。オレには接近戦だったのに深月には恐る恐るって感じだ。
最初は深月がこわいのかなと思った。深月はあんまり人と群れないし笑わないし髪の毛黒いし、寝不足の日とか血走った切れ長の目で睨まれたら背筋が凍る。だから深月がこわいって言う女の子もいる。でも、ユミちゃんは違ったみたいだ。
深月が「ああ」と返事をすると、俯くユミちゃんを友達が含み笑いしながらつつき、ユミちゃんはやめてよと言うくせに嬉しそうな顔。心の機微に敏いオレには事の次第が手に取るようにわかって、こっちが照れる。
青春だなァなんて思いながら、深月がユミちゃんと仲良くなって、たちまち明菱のベストカップルなんて噂が広まるところを思い浮かべた。
「常葉、もう来てたのか」
「うん、すごい待った」
「嘘つけ、俺そんなに長時間席外してないぞ」
そう言って深月は手に持っていた袋を自分の机に置く。
「見て。待ってる間にしょーやんと友達になったんだー」
スマホ画面に表示されたカタツムリのアイコンを自慢げに見せると、
「そりゃよかったな。そこ俺の席だ、どけ」
と言って椅子の脚を蹴ってくる。さっき思い浮かべたユミちゃんとお似合いの深月とはえらい違いだ。
「酷いなァ、人を待たせておいてその態度?」
オレは渋々席を明け渡し、ひとつ前の席に移動する。椅子に後ろ向きに座り、背もたれを抱きかかえて尋ねる。
「で、どこ行ってたんだよ」
「見ればわかるだろ? コンビニ」
見ればと言われても、机にはレジ袋じゃなくて学校で配られたエコバッグ。CO2削減キャンペーンの公募で学生がデザインしたものだから、わざとらしい笑顔のキャラクターではなく黒地に蛍光グリーンで Go GreeeeN の文字が躍っている。サイズがちょうどいいから体育館シューズを入れるのに使っている奴もいて、だからこれも中身が靴でない保証はない。
深月はさっきまでオレが座っていた席に身を投げ出すように座り、「暑い」と言いながら臙脂のネクタイを緩める。
「暑いならブレザー脱げよ」
「脱いだら寒い気がするんだ」
「そんなはずない。今日の気温30度近いんだぞ。もし寒く感じるとすれば気化熱のせいだ。汗かくくらい暑いってことだよ。熱中症でぶっ倒れる前に脱げ」
深月は疑心暗鬼にブレザーを脱いで椅子にかける。痩身のくせに骨格はちゃんと男で、周りにギャラリーがいたら黄色い声が飛びそうだ。
「あのさ、まさかとは思うけど、体育の時も長袖だったのか?」
「走ってる途中で脱いだ」
「マジかよ。周りに長袖誰もいなかったろ」
「どうだったかな。よく見てないから覚えてない」
「お前、気温音痴なんだから、今度から周りの服装に合わせてみたら?」と言うと、「音痴じゃない」とかぶせ気味に返してくる。
「なあ、聞いたことあるとは思うけど、音痴が言う『音痴じゃない』は信憑性ないからな?」
「ほぅ」
と低く言って深月はエコバッグに手を突っ込み不穏な空気を醸し出す。
「常葉がそこまで言うなら、俺が気温音痴であることを背理法で証明して見せろ。もし証明できたらお前にこれをやろう」
「あ、それ!」
オレが体育のあと自販機で買おうと思って売り切れだった期間限定マスカットティー。深月はもう1本、250mlの紙パック飲料を取り出して宣言する。
「制限時間は俺がこれを飲み終わるまで。じゃ、始めるぞ。The game is on.」
「げ、ちょっと待て! オレそのなんとか法ってやつ知らねーし! ずるいぞ深月!」
喚いても深月は既に紙パックにストローを刺している。
オレはノートにぐちゃぐちゃと言葉や矢印を書き込むけれど、これでどうにかなっているようには思えない。章也が深月の後ろから気の毒そうに見つめる中、打開策を見出せずに苦しむオレ。
「ヒントねーのかちきしょー!」
と頭を掻くオレに、深月が一旦ストローを放して付け加える。
「しょうがないな。そんなに欲しければヒントをやろう」
デタ、俺様上から目線。
でも構ってられるか。オレは今喉カラッカラなんだ。
「俺はAかBのいずれかでしかない。AじゃなければB。BじゃなければAだ」
オレは頭をフルに回転させる。
「神木深月は A.気温音痴じゃない B.気温音痴である。AじゃなければB。BじゃなければA。ええー⁉︎」
パ二くるオレを見かねて章也が深月の後ろでカンペを出してくれる。肩の上でノートを掲げる章也がオレには四角い羽根をした天使に見える。しかし天使はあまり国語が得意ではないらしく、コミュニケーションは困難を極める。ただひとつわかるのは矢印が深月を指しているってことだけだ。
【 ↓ が気温音痴じゃなかったら変】
オレもそう思う! ……じゃなくて!
そっからどうすれば⁉︎
【 ↓ が音痴じゃないを否定】
否定を否定⁉︎ ……思考停止!
【音痴じゃないと仮定しておかしければ音痴】
深月が気温音痴じゃないとしたらおかしいこと――。
次の瞬間ハッとなる。
深月の紙パックはもう残りわずかだ。
オレは早押しクイズみたいに机をたたき息巻く。
「深月が気温音痴じゃないとしたら気温30度の中ブレザーを着てまわるのはおかしい。矛盾してる。矛盾が生じるのは最初の仮定が間違っているから。深月が気温音痴じゃないってのは間違いだ。AじゃないならB。BじゃなければA。気温音痴じゃないなら気温音痴! どうだ!」
深月が最後に思い切りストローを吸っていたから、口を放した時、スコー……とバカにしたような音がした。
「言いたくないけど正解」
あれ? 今こいつ自分が気温音痴って認めなかったか?
初めから素直に認めればいいのに。憎めない奴。
オレがにやにやしていると、
「ほら、約束通りこれやるよ」
と言って、深月がオレのマスカットティーを章也の机に置いた。
「あーッ! それオレの!」
オレは章也の机に向かって手を伸ばす。が、いくら手足が長くても流石に章也の机にまで手が届くわけがない。
章也は突然の出来事に目を白黒させている。無理もない。特に親しいわけでもない深月にカンペがバレて、なのになぜか褒美を与えられた。しかもその褒美は本来、たった今できたばかりの友達がもらうことになっていたのだ。人間関係に不慣れな章也にとっては十分ややこしい状況だ。オレと深月が言い合う中、章也は百面相になり必死で適切な対処法を探している。
「証明できたらくれるって言ったじゃんか、深月のうそつきぃ」
「後ろの眼鏡に教えてもらったんだろ? 俺を挟んで交信してたの視線でバレバレだったっつーの」
「しょーやんだよ。人のことアイテムで呼ぶな、面と向かって」
「やっぱり頼ってんじゃねーか」
「オレも頑張ったから救済措置ー」
「そんなものはない」
「けちぃ」
「あの、僕は大丈夫。常葉君にあげて」
章也がやっと解を見つけて口を開く。割って入るのは勇気がいったか、体が硬い。
「しょーやんマジ天使!」
快哉を挙げるオレを深月は一瞥し、嘆息する。章也の机に置いた紙パックを再度つかみ、
「本当にいらないのか?」と聞き、章也を見る。
残念そうな目。
やめろ、プレッシャーだろ。
「ほ、ほんとに、大丈夫」
章也は申し訳なさそうな顔で言う。
「わかった」
頑張ったな、章也。よく耐えた。
と、感心したところへ、パシッと手のひらに結露した立方体が飛び込んでくる。
「ホラよ」
「投げてからゆーな」
やっと手に入れたオレの飲み物。そのパッケージにはフレッシュなマスカットとグラスに注がれる琥珀色のティーが鮮やかにきらきら輝いていた。
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