第2話 1年A組 深月の席にて


 オレは深月みづきの席を引いて窓を背に座り、数学のノートを開く。世間の惚れた腫れたに振り回されることのないオレでも、複雑な因数分解には終始振り回されっぱなしだ。カッコの内外を行き来する数字と記号のラリーは1つミスをすれば致命傷。


「数学?」

 突然声をかけられて驚いた。

「あ、ああ」としどろもどろに答えて顔を上げると、さっきまで席を外していた深月の後ろの席の奴がいつの間にか戻っていた。

 フチなし眼鏡をかけた少年サイズの同級生。座ってると言うより着席してるって感じがする。どこかで見たような顔だと思ったが、席が深月の後ろなんだから見たことがあって当然か。机には定規で計ったようにきちんと勉強道具が配置されていて、科目は何かと思えばやはり数学だった。ノートには数字と英字とグラフが行儀よく並んでおり、その中でとりわけ卍みたいなXと音叉みたいなYが存在感を示している。

「今、なに勉強してるの?」

 眼鏡少年が面談みたいに質問する。

「展開因数分解」

「え? それこの前テスト終わった範囲だよね」

「そう。だけど、深月がやめんなっていうから続けてる。どの問題をどのやり方で解くかピンとくるようになるまでやれってさ。今授業でやってるところと並行で。あいつ容赦がないんだ」

「うわぁ……。神木君って自分は余裕でこなしてるけど量とか半端ないでしょ」

「よく知ってるな。結構仲いいのか?」

「いや、席が近いってだけで僕なんか神木君の友達にはとても」

「そうか? 数学好きならあいつと話し合いそうなのに。いいなァ数学出来るって。かっこいいじゃん。オレはさ、あいつが息をするようにできることが自分にはできないから、あいつの頭ん中ってどうなってんのかなって、それが知りたくて言われたことはとにかくやってみてんの」

「偽りても賢を学ばんを賢と言うべし、だね」

「今なんかいいこと言った?」

「徒然草。たとえ偽りであっても、賢人を真似てそれに近づこうとする人を賢人と言うべきって意味」

「オレのことじゃん」

 眼鏡少年はあまりこうゆう冗談に慣れていないらしく、そうそうなんて肯定するから拍子抜けした。嘘と冗談は突き通さなくちゃバツが悪い。

「知らなかった。オレって賢者だったんだな。サンキュー、なんか元気出た」

 眼鏡少年の小さな頬が少し嬉しそうに微笑む。

「そういえば、名前なんつーの?」

章也しょうや

「しょーやん」

常葉ときわ君だよね」

「そ。躑躅ヶ浦つつじがうら常葉ときわ

「え?」

「えって?」

「ごめん、僕、常葉君のノートの名前見て、ずっと髑髏ドクロだと思ってた」

「マジか。しょーやん、オレは海賊でも墓荒らしでもないぞ」

 詰め寄ると章也は両手でオレを落ち着かせながら「ごめんよ」と言い困ったように笑う

「別にいーけど。しょーやんは上の名前なんつーの?」

初瀬はせ

「初瀬? オレのクラスにもいる。えりってやつ」

「この辺に多い苗字だからね」

「そうなんだ」

 ふうんと会話がフェイドアウトするとき、オレはいいことを思いついた。

「なあ、今度ユミちゃんと遊ぶことになったんだけど、しょーやんも来ないか?」

「え? 僕?」

 章也は瞬いてうろたえる。女子と遊びに行くという以前に友達に誘われること自体少ないのかもしれない。

「嫌か?」

「嫌……じゃないけど、いつ?」

「そういやまだ決まってない。日程の連絡するから連絡先教えて?」

「う、うん」

 いそいそとスマホを取り出す章也。その顔はなんだか、その日に風邪を引く予定でも入れているみたいだ。無理矢理承諾させたんじゃないかと心配になる。

「あの、本当に嫌なら断っていいぞ? 無理やり誘うつもりじゃなかったからさ」

「大丈夫。行くよ。行きたい。誘ってくれてありがと」

「じゃあ決まりな」


 QRコードの出し方も読み取り方もわからないという章也に操作方法を教え、オレは慣れた手つきでぱぱぱと友達登録する。画面に表示された章也のアイコンは、蝸牛カタツムリの殻の写真だった。

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