第5話 お前は蛇じゃない

 初瀬衿パセリがオレを蛇と呼んだ日の放課後、マキとチカは委員の説明会があり、オレはクラスメイトに付き合って部活の体験入部へ行った。深月みづきも来ないかとメールで誘ったが、あいつの性格からして返信を見なくても返事は予想できた。


 ✉ 俺先帰るわ


 やっぱりな。


 体験入部は予定通り六時に終わった。空はまだ明るいが、すぐそこまで薄暗がりが迫っている。


 一人で帰るのは退屈だ。地元まで電車で約四十分。車内は帰宅ラッシュの一歩手前。座席と手すりは埋まっていたが、人が通れる程度の隙間はあった。オレは一つだけ開いていたドアの傍に立ち、ドアの窓に肩を預ける。


 電車は高架橋の上をカーブを描きながら走る。黄昏時の街並みを眺めるなんてことをしてみた。けれど、変わり映えのしない景色にはすぐ飽きてしまって、気が付くと初瀬衿パセリのことを思い出していた。なぜなら今日イチ、オレ好みのエキセントリックな出来事だったからだ。


 蛇、ね。


 これまでにヒツジと呼ばれたことは何度かあったが、蛇と呼ばれたのは初めてだ。オレが蛇なら何蛇だ? マムシ? アオダイショウ? ニシキヘビ、ボアコンストリクター、クロコダイル……は蛇じゃねーや。


 マンションに帰って自室の勉強机に鞄を置き、二、三歩先のベッドにダイブして白い天井を見ながら手足を伸ばす。オレはズボンのポケットからスマホを出して深月に電話をかけた。

 深月は机に向かっていたんだろう。「どうした常葉ときわ」と言う声に今まで頭を使っていた勢いが残っている。

「深月、今日オレね、女の子と友達になった」

「よかったな」

 一切興味ないと言わんばかりの平坦な相槌。そのまま「じゃ」と言って切られてもおかしくないから、そうなる前に言葉を継ぐ。

「でさ、オレその女の子に蛇って言われた」

「ふうん。なんで蛇?」

 電話の向こうで硬いものがペン立ての底を突き、椅子の背もたれが軋む音がする。どうやら興味を持ったらしい。少なくとも今すぐ電話を切られる心配はなさそうだ。

「今日の放課後のことなんだけど」


 オレは自分のクラスでの出来事と初瀬衿パセリに言われたことを極力正確に話した。


「……というわけなんだ。初瀬衿パセリに言わせれば、 オレのしたことは失楽園の話に出てくる蛇なんだってさ」

 そこまで話すと、深月はひと間置いた後、

「お前は蛇じゃない」と軽く無罪を言い渡す。

「え、違うのか?」

「ああ、違う。それは言ってみれば濡れ衣だ」


 濡れ衣――?


 深月には今、オレに見えていないものが見えている。全然違ったものが見えている。濡れ衣なんて言葉、そうでもなければ出てこない。


 でもオレは、そんなもの着せられた覚えがない。あいつだって着せたつもりはないだろう。オレには見えない。あいつにも見えない。たぶん深月以外の誰にも見えない。


 その濡れ衣は透明だ――。


 オレはベッドから体を起こして尋ねる。

「濡れ衣って、どういうことだ?」

 深月はオレに言われて自分の発言を顧みたらしい。

わりい、気にさせるようなこと言ったな。別に大したことじゃないから気にするな」と発言を引っ込める。

「そんなこと言って。気になるに決まってる。聞かせろよ。お前にはオレに見えてないもんが見えてるんだろ? なら、オレはそれが見たい」


 オレは深月のように賢くない。元々平均以下の頭だ。深月の頭ん中はどうなってるんだろうっていつも不思議に思ってる。説明してもらってわかるものなら理解したい。深月と同じものが見てみたい。オレはこいつの親友なんだから。


「わかったよ。何がどう濡れ衣か説明すればいいのか?」

 深月は諦め混じりに言う。

「オレにもわかるように頼む」

「じゃあ、お前も一緒に考えろ。じゃあ始めるぞ。The game is on.」

「げ、マジかよ」


 通話口を通して聞こえた微かな金属音は、深月が天体模型のシャフトを爪で弾く音。あいつの机の上で天体模型がくるくる回り出す。深月にとってこれはゲーム。時間制限を決めてその間に問題を解く。今回は天体模型が止まるまで。それを今日はオレもやれと?


 正直ややこしいのは苦手だ。これがN天堂なら一旦ホームボタンを押して、やめる・続ける を選び直せるのに。


「お前が蛇じゃないってことを証明すれば同時にそれが濡れ衣だってこともわかるだろう。常葉、お前の問いはなんだった?」

「なんで一学年一校舎にしないのか」

「その理由として返って来た答えは?」

「レベルに合った教育をするため」

「それ聞いてなんか違和感ねえ?」

「違和感……?」

「一連のやり取りは既にそっから噛み合ってないんだ。一学年一校舎にしたってレベルに合った教育は可能だろ?」


 そう言われても頭の中に無数のハテナしかない。


 こいつは何が言いたいんだ? だって、レベルに合った教育をするために、校舎を南北に分けてるんじゃなかったのか? そのせいで南北格差が生まれて、南であることは恥で、モチベーションは駄々下がりで、堕落の一途を辿って、だからそれを示唆したオレは蛇。そうゆう理屈だったはず。


「すまん、深月。早速ついて行けてない。助けて」

 呆れられるかと思ったが、返って来たのは相変わらず頭の切れる偉そうな声。

「南北って言葉に騙されるな。南北に分けるからレベルに合った教育ができるんじゃない。明菱ではもう一つ、南北に分ける前にやってることがあるだろ?」

「南北に分ける前に?」

「明菱のクラス分けはどうやって行われる?」

 あ――。

「学年を成績の上下で真っ二つにする」

「そうだ。成績で二分すれば学力差はその時点でハッキリついてしまう。あとは南北に分けようが東西、つまり一学年一校舎に分けようが学力差は依然として存在する。クラス配置を変えること自体は学力差とは何の関係もないんだ」

「配置が学力差に関係ないってことは、『なぜ一学年一校舎にしないのか』ってオレの質問も学力差のことには触れてない。オレは学力差を示唆してない。だからオレは蛇じゃない 」

「そうゆうことだ」


 知らぬ間に着せられていた濡れ衣を、透明な濡れ衣を、深月はいとも簡単に見破って剝ぎ取ってしまった。


 いつもそう。ガキの頃から変わらない。

 オレはこいつといると飽きることがない。


「ありがと、深月。なんかスッキリした」

「それはよかったな。じゃあ、切るぞ」


 一つ聞くのを忘れた。

 オレは天体模型が止まる前に答えにたどり着いただろうか。


 深月に見えてるもの、今日みたいに見せてもらうんじゃなくて、いつか同時に見てみたいもんだな。


 同じものを同時に――。




――――――――

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

このあと第6章まで幼馴染と高校でできた友達との物語。

第7章は事件簿。

第8章は数学の謎解きです。

この後もどうぞお楽しみください。

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