第30話「生徒のための井戸」
俺たちは早速学校に来ていた。学校では休日ということで校庭を使って遊んでいる数人を残して、あとはユン先生くらいしか居なかった。
「ありがとねえ……増えた生徒の中には綺麗な水が飲めない子が居てねえ……何とか安全な水を飲ませてあげたいと思ってたのよ」
先生の鑑だなこの人。結構な人格者だ、町長や自警団の連中のように自分の名誉や欲望ではなく生徒のことを考えている。そういう考え方はなかなかできる物ではない。シャーリーはこの先生から一体何を教わったら困っている人からぼったくる精神を育んだのだろうか? 教育に必ずしも精神面で立派になる作用があるわけではないことの証明を見ているようだった。
「ところでアポロくん、井戸はどこにでも作れるの? 本当? そんなことが出来るとは急に信じられないのだけど……」
「お兄ちゃんを信用してください! お兄ちゃんのスキルなら余裕で水のないところから水を湧かせることが出来るんです!」
シャーリーはそう言うが、俺に対する完璧な信頼は多少重たく感じる。嘘はどこもついていないのだけれど、本当のことをペラペラなんでも喋るやつを信用出来るかといえばまた別だ。
「シャーリーちゃんがそこまで言うなら信じるわ、あなた、アポロくんと結婚すると言って聞かなかったけれど、あの言葉は未だに嘘じゃないみたいだしねえ……」
チラと俺の方を見るユン先生。昔のことをよく覚えている人だ。教え子のことなら全員覚えているのではないだろうか? そして明らかに歪んでいる妹の夢を否定しない姿勢は子供に諦めないことの大事さを語りかけているようだ。諦めた方が良さそうなことでも生徒の夢なら全肯定する、結構な先生じゃあないか。
「それで、先生のご希望はどこになるんですかね?」
先生は少し気まずそうな顔をする。一体何を言おうとしているのだろうか?
「実は……生徒達に使って欲しいのだけれど……教室の中に井戸とか……無理よね?」
「できますよ」
「お兄ちゃんにかかれば余裕です!」
先生はあっけにとられた顔をして『え?』と驚いていた。そりゃまあ教室内に井戸を作ろうなんて発想は思いつかないわな。
「じゃあ教室に入ってくれるかしら」
そう言って案内された教室は涼しくて寒くない、ほどよい気温になっていた。
片隅に机を置いていない角があった。おそらくここに作って欲しいのだろう。井戸としてのサイズは小さくなるが子供が汲み取れて飲めれば良いのだから十分なスペースだろう。
「ここに作ればいいんですか?」
「え、ええ……そうなのだけど……本当にここに井戸が作れるの?」
その言葉にシャーリーが噛みついた。
「お兄ちゃんを信用出来ないと? 校舎まで軽く建てたのに井戸くらいで失敗すると本気で思っているんですか?」
「い、いえ、そういうわけではないのだけれど……」
まあそりゃそうだ、床は薄くコンクリートで覆ってあるのだからここに井戸を掘れなんて一見無茶としか思えないだろう。実際スキルがなければ不可能だしな。
『井戸を制作します』
ゴリゴリとコンクリートは削られ、浅い穴が開き、そこに水が溜まっていく。その井戸の囲いが出来て汲み取るための桶もきちんと生成した。スキル側が配慮してくれたのか、屋根は元々校舎の屋根が存在しているため井戸と一緒に出来ることは無かった。この細かい配慮が便利スキルというやつなのだろうか。
「まあ! 本当に井戸が出来たわ! ねえ、飲んでみて大丈夫かしら?」
「問題無いですよ。地下水脈では無くスキルで出来た水ですからね。一切の問題の無い水ですよ」
シャーリーがそう断言するが、俺はこの水が完璧だと保証は出来ない。今まで苦情が届いていないからといってこれからも安全と言い切ることが出来るとは言えない。しかしそれでも共有井戸の水を煮沸せず飲んだり、川の水を煮沸せず飲むようなことよりは安全だろうと言うことは確かだった。
「ありがとうね、アポロくんもシャーリーちゃんも私のことを覚えていてくれたのよね? この前は二人とも覚えていなかったのかと思ってたわ、ちゃんと覚えていてくれたのよね?」
シャーリーは深く頷いた。
「ええ、私とお兄ちゃんの関係を馬鹿にしない人の顔は皆覚えていますよ、いい人達でした……」
遠い目をするシャーリーだが、顔を皆覚えられる程度にしか賛同してくれる人がいなかっただけだろう。学校時代に俺の後ろを歩いてきていたのは、俺と結婚すると一滴か無かったのを馬鹿にされたからだろうに……
「二人とも仲が良かったものねえ……あ、そうそう、これが代金ね」
なんだ、シャーリーはまだもらっていなかったのか。真っ先にもらう主義のシャーリーにしては珍しいものだ。それだけ譲歩をしていると言うことなのだろう。
「一枚……二枚…………十枚! 確かに十枚頂きました!」
「井戸が金貨十枚、安いわねえ……」
「私たちは顧客の要望に応えるのが目標ですからね! 先生だからって高くも安くもしませんよ」
ユン先生は頭を下げて俺たちにお礼を言ってくれた。俺たちはその金で何を買うか相談して、ひとまずは貯金と言うことで決着が付いた。
「お兄ちゃん、このお金が自警団から幾らかで多と考えると喜ばしいことですね!」
帰宅時にシャーリーがそんなことを言い出した。
「そうか? 金は金だろ、どこから出ても変わらないと思うが」
「だって先生から金貨十枚も巻き上げて井戸を作ったなんて後味の悪いことにはならないじゃないですか?」
そういえばもし先生が自費で作ると言ったら、いくらか安くしたかもしれない。温情というか感謝というか、そういう何かが満額を取るには躊躇ったかもしれない。
「そうだな、でも自警団がもらったお金がどのくらい入っているんだろうな?」
「一枚ということはないでしょうが、いくらなんでしょうね? 八枚くらいは自警団に払ってほしいものです」
そう断言するシャーリーの横顔は少しだけ優しげだった。
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