第8話 四章
やってしまった。 彼は離れた樹上で初めて人を殺した事実に身を震わせていた。
殺人は彼の常識に照らし合わせても絶対の禁忌。 現代日本の倫理観で育った彼の中にはしっかりと刻まれている。
それにより強い嫌悪感と恐怖心、困惑など様々な感情が渦を巻く。 ようやく転生した体に慣れ、これから楽しい異世界ライフが始まるんじゃないか?
そんな期待感は冒険者と遭遇し、それが齎した最悪の結果の前に消え失せた。
どうしよう。 どうすればいい。 いくら悩んでももうどうしようもないと思っていた。
冒険者を殺してしまった以上、冒険者達は仲間を殺した彼を許さないだろう。 姿も見られている言い訳もできない以前に言葉が通じないので何を言っても無駄だ。
ぐるぐると殺人に対しての後悔が押し寄せるが、彼の度量では自身が悪いと認める事もできずに思考は言い訳へとシフトする。
あんな簡単に死ぬなんて思わなかったんだ。 ちょっと叩いただけだぞ、普通は驚くぐらいだろ? 殺すつもりはなかった。
自分でも通ると思っていない言い訳はやがて殺した相手の落ち度を責める形で転嫁する。
そうだ。 俺は友好的に振舞ったのにそれを無視して斬りかかって来るあの連中が悪い。 これは正当防衛だ。 俺は悪くない。
第一、俺は誰にも迷惑をかけていないのだ。 殺されるいわれはない。
確かにその点を切り取って日本の常識に照らし合わせれば多少は酌量の余地はあったかもしれない。
だが、彼は異世界転生というワードは多用するが、その言葉が持つ意味を深く理解していなかった。 ここは「異世界」つまりは異なる世界なのだ。
異なる以上、彼の常識が通用する訳がない。 特に人間離れした異形を前にすれば真っ先に殺害が選択肢に上がる事までは想像できなかったようだ。
彼は自分が殺す事に関しては正当化するが、自身が殺される事に関しての察しは悪い。 その結果、こうしてやってしまった事をいつまでも消化できずに言い訳を繰り返すだけだった。
無為な行動ではあるがいつまでもは続かない。 やがて彼は自分は人間の世界では生きていけない事を理解してしまった。
コミュニティに参加できない事実は彼の胸中に強い寂寥感を植え付ける。 今までは最終的にはどうにかなるといった楽観もあったが今の彼は寂しくて仕方がなかった。
誰かと話がしたい、言葉を交わしたい。 そんな強い欲求に突き動かされて彼は冒険者達が来た方向に向かう事にしたのだ。
人間との接触は危険だが、きっとどこかに自分の事を理解してくれるヒロインが居るに違いないと。
ヒロインに限定したのは彼が未だに主人公願望を捨てきれないが故だろう。 彼は胸の寂しさを埋める為に人里へと足を向けた。
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