第4話 一章②

  長い青みがかった髪を綺麗に結い上げており、服装こそ動き易いものではあるがその顔は見間違えようがない。 いや、ライアードに属している者が知らないなんて事はあり得ない。

 ファティマ・ローゼ・ライアード。 この領を支配するライアード家の令嬢で、次期領主と名高い才媛だ。

 「ファティマ様? どうしてこちらに? 確か所用でオラトリアムへ向かったと聞いていますが……」

 「えぇ、本来ならもう少し向こうに滞在する予定でしたが、事情があって急遽戻る事となったのです」

 おかしい。 アランの中で警戒心が持ち上がった。 立場上、雇い主であるライアード家の人間の動向はある程度ではあるが把握している。

 特に外出に関してはかなり気を使っているのでこのような予想外の場所で遭遇する事は考え難い。 仮に緊急で戻ってきたのなら領境を通っているはずなのでアランの下に報告が届いて迎えを遣る流れになる。

 報告が来ていないという事はファティマは何らかの手段で人目に付かずにオラトリアムから戻ってきた事になる。 それに一人というのも不自然だ。

 出立した際には護衛兼世話役のメイドが同行している。 彼女達は何処へ行ったのだ? ここまで不自然だと怪しむなという方が無理な話だった。

 「戻られたという事ですが随分と急ですね。 領境の者から特に報告は受けていないのですが、何か問題でも?」

 言いながらアランは自然な動作で手を剣の柄に乗せる。 警戒していると悟らせないように気を使いながらゆっくりと近寄っていく。

 徐々に距離を詰めながらアランは考える。 真っ先に疑ったのはファティマを騙る偽物だ。 魔法技術の発展に伴い、幻影で姿をごまかす手段などいくらでも存在する。

 見た目こそファティマそのものだが一皮剥けば全くの別人の可能性も大いにあり得るのだ。 確かに疑ってはいた。 だが、ファティマの立ち振る舞いは記憶にある本人そのもの。

 姿はごまかせるが、普段から見に纏う雰囲気までここまで再現できるものなのだろうか? だからこそ判断に迷っていた。

 偽物と断じるなら騙された振りをして近寄り、そのまま捕縛すればいい。 だが、もし仮に本物だった場合、アランは職を失うどころか最悪、命まで危険に晒される。 

 ――どっちだ……。

 本物か偽物か。 判断が付かない。 状況は高確率で偽物と告げているが、記憶は本物だと囁く。 もう五歩もしない内に剣の間合いに入り、更に一、二歩進めば触れられる距離だ。

 それまでに結論を出さないと不味い。 どちらなんだ? それ以前に何故俺は帰り道でいきなり人生の岐路に立たされているのだ? 

 アランにはどうしてこんな状況に陥っているのかがさっぱり分からなかった。 どうしよう。 どうすればいい。

 葛藤を悟られないように表情を引き締めて歩くが、あと一歩で剣の間合いに入ろうとした瞬間だった。 ファティマが薄く笑ったのは。

 普段ならあまり表情を変えない彼女の貴重な瞬間を目の当たりにできたと喜ぶ所だが、アランが感じたのは強い恐怖だ。 表面上は笑みだがその裏には悍ましい何かがあった。

 ――違う!

 これはもう理屈ではなく本能だ。 この女は危険で自分に致命的な害を齎すと。

 もう偽物か本物かなどの葛藤は置き去りにし、この危機から逃れる為に彼は最も確実な行動を取ろうと剣の柄を握り――

 「判断が少し遅かったようですね?」

 ――建物と建物の間の路地から伸びた手が彼の頭を掴むと薄暗いそこへと引き摺り込んでいった。

 路地からは抵抗するような物音が響き、ややあって静寂が戻る。 少し遅れて少しぼんやりとした表情のアランが路地から顔を出した。

 「お父様とメルヴィの所在は?」

 「お二人とも屋敷に居られます。 メルヴィ様はそろそろ就寝されるお時間かと」

 「結構、では詰所まで案内しなさい」

 アランは「分かりました」と頷くと歩き出した。 ファティマと路地裏からぬっと姿を現したローがその後ろに続く。

 分厚い雲が月を完全に覆い隠し、夜の闇が一層深くなっていった。

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