第3話 一章①

 「今日も異常なし、か」

 そう呟いたのはライアード領私設騎士団の団長を務めるアラン・モル・ディロップだ。

 全身鎧に腰には剣。 今日も無事に業務を終えて帰路についている最中だ。 少し雲の多い夜で月光が遮られるので普段よりも一際暗い。

 代り映えしない毎日ではあるが彼は今の生活に概ね満足していた。 ライアードは私設の騎士団を抱えるだけあって比較的、潤っている領といえる。

 その為、騎士団長ともなれば一般平均よりも高い給金を得ていた。 アランは元々グノーシスの聖騎士を目指していたが、己の才能の限界を感じて道半ばで諦めてしまったのだ。

 聖騎士は入団自体のハードルはそこまで高くないが出世するのが難しい。 上位の聖殿騎士になるにはそれなりに高い倍率の試験を突破しなければならなかった。

 聖騎士として上を目指したいのなら最低限の学は必要ではあるが、個人の武勇が強く求められる。 剣術、魔法技能と何でもいい。 抜きんでた何かがあれば聖騎士として大成するだろう。

 だが、アランにはそれがないと感じてしまったのだ。 幼い頃から剣には自信があり、小型ではあるが魔物を討伐した事もある。

 そんな実績もあって彼は少しだけ自惚れてしまったのだ。 当時の自分を彼はそう振り返る。

 狭い世界しか知らなかった彼の自負は聖殿騎士の姿を見て亀裂が走り、聖堂騎士を見てぽっきりと圧し折れた。

 彼女・・は非常に美しかった。 流れるような長く、白に近い灰色の髪に均整の取れたプロポーション。 その表情と相まって人間というよりは人形的な美しさを備えた人物だった。

 アランはその美しさに見惚れはしたが、その美女が聖堂騎士の肩書を持っている事を知って大きく眉を顰める。 聖堂騎士は容姿で選ばれるのかと思ったからだ。

 グノーシスも清廉な印象を周囲に与えている割にはこんな俗っぽい事をするのだなとまで考えた。 それだけ彼女の存在は数多の人間の目を引き、同時に戦いの場に身を置く事が場違いに感じたからだ。

 彼の考えが下衆の勘繰りだったと分かったのはその聖堂騎士の模擬戦を見た瞬間だった。 数名いた聖殿騎士が瞬く間に叩きのめされ、地面に倒れ伏していたからだ。

 鞘に納めたままの剣で文字通り殴り倒した彼女は汗一つ流さずにその場を後にした。 その瞬間、アラン・モル・ディロップの聖堂騎士への夢は終わりを告げ、翌日から現実と向き合う事となったのだ。

 世界の広さを知り、身の程を知った彼は生まれ故郷であるライアードへと帰り、そこで職を探す事にしたのだ。 その際に運よく私設騎士団の募集を目にして入団。

 グノーシスと比べれば全体的な水準が低かった事もあったが、彼自身の才覚もあってそうかからずに騎士団長へと就任する事となった。

 仕事の内容もそう難しい事ではない。 ライアード領内の村や街を巡回して治安の維持に努め、領の境――特に南のメドリーム領との間にある関所の管理。

 人数もそこそこ多い事もあって族の類も現れず、彼が騎士団長となってから目だった問題も事件も起こっていない。 毎日、決められた仕事をこなし日常を消化するルーチンワーク。

 繰り返しになるが彼はその生活に満足していた。 確かに刺激は少ない。 それでも定期的に懐に入る給金は生活に向上を齎し、決まった日に休みがあるのでその前日に少々の深酒をしても許される。

 後は妻を娶り、子供を作れば言う事ないだろう。 アランの懐事情なら子供が二、三人いても問題なく養える。

 自身の経験を活かして剣を教えてもいい。 そうなればきっと穏やかで楽しい老後が送れる。

 「――なんてな」

 アランはそう自嘲気味に呟く。 空模様の所為か変な気持ちになってしまった。 将来について考える事は時間が空いた時にふっと考えはするのだが、老後まで思いを馳せるのは珍しい。

 こういう日は酒でも飲んで寝てしまうのが分かり易い対処法だ。 少し酔えば気持ちよく眠れる。

 何だったらそろそろ目を付けていた酒場の娘にモーションをかけてもいい。 不安な気持ちは楽しい事で打ち消すのだ。

 アランはこんな不安は一過性のもので明日になったらまたいつもの毎日が始まるのだと信じて疑っていなかった。

 ――その女が目の前に現れるまでは。

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