第112話 竪琴と道化師

「あのぉ?」

 ヘルメスは久しぶりに青空を見た。さっきまで寝ていたせいか瞼が重くて、まだ足元がふらついていた。船の上で釣りをしているナタを見つけたのは、運が良かったのかもしれない。そこにナタがいなければ、すでに船には誰も残っていなくて残されたヘルメスは途方にくれていただろう。

 ナタはちらっとヘルメスを見たが、水面下の魚と駆け引きでもしているのだろう。黙り込んだままだ。

「みんなどこに行ったの?」

 こういう時はシェズやリッリが頼りになるだろうか。ヘルメスは周囲を見渡してから、彼らの居場所をナタにたずねてみた。


 長閑な昼下がり。

 ナタの返事は短い。

「知らん」

「だよね」

 ただナタのほうも魚に逃げられてからは暇だったのだろう。少し時間を置いたところで、次のような話があった。

「リッリは昼頃に出て行ったが、ユッグ・ドーなら知り合いの大賢者に話をつけてくるって出かけたぞ。ユッグ・ドーが帰ってきたら、俺たちもその大賢者って人のところに行く予定になってる」

「いつの間に?」

「昨日みんなで話し合った」

「あれ? 僕は何も聞いてないけど」

「だってヘルメス。お前ずっとふさぎ込んでたから、そっとしておいてやろうって思って。ほらクレタ島でいろいろあったし。お前ずっと泣いてたし」

 

 ヘルメスの友人アリアドネが死んでしまったのはまだ数日前のこと。そのことを思い出したんか、ナタはまた無口になった。

「もう泣いてないよ。へんな気を遣わなくていいから」

 ヘルメスはおおきくため息をついてみせた。「やせ我慢とかじゃなくてさ。僕たちにはやるべきことがたくさんあるんだよ。ヘレネブリュンさんも助けにいかなくちゃいけないでしょ?」そして咄嗟に構えるのは、ヘレネブリュン親衛隊からのグーパンチ。こんな時、いつもなら少年たちが恋敵だとヘルメスに襲いかかってくるはずだった。


「あれ?」

 ヘルメスにはそこで気づいたことがある。「パーンさんは? 他のみんなは」アンドロメダ騎士団の姿がない。

「あいつらは、ここからアルゴスまで歩くって出て行った」

「じゃあ、ヘレネブリュンさんはどうするの?」

「アルゴスの貴族たちがコネで交渉するんだってさ」

「ナタはそれでいいの?」

「手を出すなって睨まれたぞ。それに向こうにはラズライトアトリーズの奴らがいる。あいつらが調べて、場合によってはこっちへ送り返すって言ってただろ」

「それって信じていいの?」

「ほかにやりようがないし、俺たちには俺たちの目的があるし」

 ナタにとっては、目の前の釣りのほうが大事だっただろうか。


「ふーん」

 ヘルメスはナタの横に並んでみた。「僕たちの目的はドギって人を探すことだっけ?」少し前にそんな目的を共有していた気がする。

「まあそんなところ」

 それにしてはナタはずっと釣りをしている。

「目処がついたの?」

 そう思いたくなるのは必然だった。


「見つかるかどうかは、ユッグ・ドーが紹介してくれた大賢者次第だ。それで駄目なら諦めることになるかも」

「その大賢者って?」

「あれだ。狼の傭兵団とかを仕切っている人らしい。狼の傭兵団はザッハダエルの時に俺たちを助けてくれたところだ。ユッグ・ドーの知り合いなんだってさ。そういうわけでドギのこともその大賢者に知恵をかりたほうがいいだろうって話になった」

 大賢者と会うには手順が必要だった。

「ふーん、その人って人間嫌いっていうか、誰とも会わなくて挨拶もしなくて、どういう人だかわからないって言ってなかったっけ?」

「だからユッグ・ドーが事前に打ち合わせに行ってる」


 そこでヘルメスはまた「ふーん」と相づちを打った。ここのところあまり寝ていないのは事実で、だからこそ瞼が少し重くて目が赤くなる。これを、

「ところでヘルメス。お前本当にもう大丈夫か?」と問われるのは心外だった。

「やだなぁ」

 と思う。「僕はただ楽器をつくっていただけなのに。だってなんか音楽とかで盛り上げたいっていうか、そういうのが必要かなって思って」というのが最近はまっていたことだ。

「部屋の隅でなんか作ってるのはわかってたけど、あれってお墓とかに供えるものとかじゃなかったのか」

「違うよ。楽器だよ」

「楽器っていうとハープとか? それにしては小さいような気がするけど」

「旅をするのに持ち運べるサイズのハープを作ってみたんだ」


 ヘルメスは一度船室に戻ると、「見てよ」と木から削り出した小脇に抱えられるほどの船、そこに糸を張った道具を持ち出した。これが後の世で言うところの竪琴と呼ばれる弦を張った楽器になる。


「それで音楽が奏でられるのか? 昨日から変な音が鳴っていたのはわかっていたが」

「できるよ、音が鳴るって重要なところじゃん」


 ヘルメスが糸を弾くと、心地よい音が鳴った。空洞のある弓のような構造に長さの違う弦が張られていた。それぞれの糸が違う音階を奏でる。これを左右から順番に指で弾くだけで、ナタの心も浮きあがるような居心地になる。

「すげーな」

 ナタは釣り竿を置いて立ち上がっていた。

「おかげで寝不足だけどね」


「それ貸してみ」

 ナタが楽器をよこせと要求する。なにしろ初めて見る道具だ。

「こういうの弾けるの? ナタが楽器演奏してるの見たことないけど」

「全然無理だけど。やってみたい」

 さわりたい。

 もしかしたら弾けるかもしれないと淡い期待を抱いて、ナタは竪琴を手に取ることになった。


 ポロロポロ、

 ポリンポリン。


「いい音だね」

 ヘルメスは笑った。褒めるところがそこしかないのだから、苦笑いだ。


「順番にゆっくり糸を弾くと、なんか気持ちいい」

 どれくらい没頭したか、ナタが下手な音楽を奏でていると、野次馬が集まっていた。白い船が見える港の荷物置き場がナタのお気に入りのスポットだ。この時代の誰にとっても竪琴を弾く人間なんてめずらしいことこの上ないだろう。


「ちょいと貸してごらんなさい」

 話題のついでに触ってみるのもいいだろう。

「これはどうやって使うものかね?」

 賢い人間なら、使い方を尋ねるはずだ。何しろ新しい道具なのだから。


「知らなくて、適当にやってみました」

 という人間もたまにはいるだろう。


「でも、俺気づいたよ」

 ナタは主張した。「右から順番に糸を弾くのと、左から順番に弾くのは、なんか印象が変わる」その程度のことでも新鮮だ。


 白い船と、

 竪琴。

 こんな目立つ旅人が世の中に居ただろうか。


 それを探しにきた狩人にとっては拍子抜けな出来事になっただろう。


「ところで、白い船は君たちのものかい?」

 貴族たちが噂をする白い船を追いかけてきたという青年が一人、野次馬の中にいた。


「あ」

 ナタの知っている道化師だ。奇妙な仮面と出で立ちを間違えることはない。

「また会ったね」と彼は隠れることもなく前にでてくると、ヘルメスに並んでいた。背丈はヘルメスとほぼ同じだろうか。小さく見える物腰だが、意外に体格が良い。

 ロキの道化師と名乗る笑い顔の仮面をした男、

「あの時の占い師」だとナタは彼を指摘した。前に一度彼と出会ったときに、ナタは運命を占ってもらったことがある。


 瞬間ナタとヘルメスは構えた。


「ロキの道化師」

 ヘルメスもそれを覚えていた。

 仮面の道化師はナタを占って去っていっただけではない。ノウルの古城で王様を殺したのも彼ならば、ザッハダエルの城塞にてアンドロマリウス王の妃を殺して水の中に沈めたのも彼だったはずだ。ヒルデダイト帝国の元で殺人に手をそめる闇の住人。


「どうしたのさ、僕はロキの道化師だよ?」

 彼は大げさに跪いて片手をゆっくりと空へとあげる挨拶をする。腰を曲げると流暢な貴族のようにも思えた。

 だがそんなものに欺されるナタではない。

「ロキの道化師なら知っている。ザッハダエルの人を殺しまくって脅していた人間がそう名乗っていたことも知っているぞ」

 ナタは、「あんたを探していたんだ」と彼を凝視した。

「うん、僕には心当たりがないね。君とは、確か山の中の居酒屋で会っただけだと思うけど? そのザッハダエルの話はどこで聞いたんだい?」

 とは、仮面の男の言いぐさだ。


「ザッハダエルの人から聞いた」

「ふうん」

 そこで仮面の彼は大げさに考え込む仕草だ。これでは例え仮面の男が悪魔だったとしても、野次馬が集まる中で、この礼儀正しい仮面の男に突然斬りかかるというわけにはいかなくなる。


 そして彼が言うには人違い。

「そもそもロキというのは魔術師の称号だよ? ロキの道化師、ロキの魔術師、ロキの呪術師。ロキというのは名誉ある名前なんだ。僕以外にもたくさんいるんだよ。それにロキの名前を知っている盗賊たちがさ、わざとロキの名前を使って悪さをすることもよくある話さ。僕にとっては迷惑な話だけどね」

「ザッハダエルのは、あんたじゃないと言いたいのか?」

「僕が人を殺すわけがないじゃないか。人を殺したって僕にはメリットがないよ。なにしろ僕は道化師。人を楽しませるために旅をしているんだ。それとも何か証拠でもあるのかい?」

「いや……」

 ナタはそれを言われると何も言い返せなかった。


 そうとわかると仮面の道化師には遠慮というものがない。

 彼は船を指差した。

「随分新しい船だね」

 どこの貴族のものか、あるいはどこの国が派遣したものか。道化師は詮索しただろう。その正体を見極めるために追跡してきたのだから。


「あれは、貴族同盟の人が作っていたものらしくて、もともと彼らに引き渡す予定だったそうだ。だけど、船の持ち主が貴族たちにひどいことをされてさ。紆余曲折あって俺たちが使うことになったんだ」

 ナタは無言でいるわけにもいかずに、疑心暗鬼なまま答えていた。

「そう、クレタ島で大変なことがあったんです」

 ヘルメスは言うが、これは放っておいても広まる情報。道化師に隠しておくことでもないだろうと思う。相手は笑顔というわけでもない、笑う顔の仮面だ。仮面のせいで彼の表情はいまいちわからない。話しかければ、なにか人間とは違うものにでも話しかけている気分になった。


 道化師はクレタ島の話にこくんと頷く。

「大虐殺だったね。貴族同盟軍による虐殺ショー。あんなに酷いことは世の中にはそうそうないよ」

「知っているのか?」

「僕は道化師だよ? あんだけ人が集まっていれば僕だってクレタ島へは行くよ。稼ぎ時ってものさ。だけど急に怪物がやってきて慌てて逃げてきたんだ、僕は槍を使うのが苦手だからさ。怪物だとしても殺すのは気味悪いことだしね。だから逃げることしかできなかったんだけどね」

 仮面の道化師は知っていると言った。「貴族同盟の盟主ブランアーモスが世界を支配しようって宣言したんだ。ミノアの王様や貴族連合軍は猛反対さ。でもそれはブランアーモスの予定通りだったんだろうね。最初からあいつらは自分たちに敵対する勢力をクレタ島に集めることが目的だったんだ。島に閉じ込めてしまえば逃げられないからね。あとはクレタ島の住人ごと皆殺しさ」これはナタだけではなく、周囲の誰もが知ることになる現実だった。


 ただナタの認識は少し異なる。

「……」

 大虐殺の裏にヒルデダイト帝国があるということだ。事件の全貌はわからないが、道化師の言っていることと現実が何か違う気がしていた。だが、それは根拠のない想像のこと。この時のナタは、肯定も否定もできないで沈黙するしかない。


 仮面の道化師はなおも笑い顔で語った。道化師から見れば、ナタの態度は道化師を疑っている姿にしか映らない。これではいささか道化師には都合が悪かった。

「僕は洗礼を受けているからね、ロキの道化師と便宜上名乗っているけれど、君たちは無理に僕をそう呼ばなくてもいいよ。他のやつらと僕を区別する必要があるだろう。僕だって風評被害を受けて迷惑をしているんだ。だからそうだね、僕のことをアポロンと呼んでくれていいや」

 それは嘘ではないが、ロキの道化師にとっては悪ふざけも同じ。


 ひとときのショーだ。


 ロキの道化師が求めているものは、情報以外にもある。

「僕は世界を旅してきたけれど、君が持っているその楽器、それって初めて見るタイプの弦楽器だね?」

「これか?」

「小さなハープみたいだ」

 道化師はナタの持つ竪琴に興味を持っていた。「僕に弾かせてくれないかい? これでも街角ではよくハープを弾いていたものさ」と言えば、このまま路上演奏会だ。


 道化師は片腕で竪琴を構えて、右手指で弦を弾いた。ひとつひとつの弦から出る響きを確認すれば、あとは指の腹で弦を押さえながら音を変化させたりといったハープの奏法がそのまま使えることを確認する。

「手つきがそれっぽい。お前凄いな」

 ナタが思わず褒めたところで、道化師も気分がよくなっていた。「この楽器の使い方がわかったよ。君たちに本物の音楽というものを聴かせてあげようじゃないか」そんな声が歌うように出た。

 

 ゆったりとしたバラードを披露すれば、涙する者が周囲に表れる。初めはゆっくりと指をならしていく。

「良い曲だな。クレタ島の死者たちの魂を沈めるような穏やかで優しい調べ。俺はお前のこと誤解していたかもしれない」

 ナタはそんなふうに言うが、それはどうでもいいことだった。


「いいんだよ」

 仮面の道化師は言った。

 指が動いてきたところでテンポをあげて、指で押さえて弦を跳ね上げる奏法をしてみる。楽しい楽曲はダンスに使われる曲だった。ナタは踊らないが、野次馬の中には手拍子を打つ者、踊り出す者が出てくる。

 仮面の道化師は声には出さないが、それこそ歌うように唇を動かした。

「どうせこれから殺すつもりだった。でもこんな素晴らしい楽器を発見してしまったんだ。どうしても弾いてみたいじゃないか。そして僕が演奏している間、僕の奏でる調べを賞賛するオーディエンスは必要さ。だからまだ殺さないでいてあげる。君たちが生きて居られるのはその間だけ」

 声には出さない。


 美しい調べに陶酔したところで殺されるなんて運がいい。

 仮面の道化師が奏でるのは、そんな音色だ。


 ただ曲は最高潮になったところで転調する。それまでと違った興奮。

「すごいよ。すごい。僕は各地で大道芸人を見てきたけど、こんなに楽器を使うのが上手な人は初めてみたかも。天才って言うのかな?」

 ヘルメスの賞賛の声。そして竪琴の響きにロキは酩酊するように足取りを崩していた。

「そうだ。僕は天才。わかってるじゃないか」

 こんなに気分が良いのはいつぶりだろう。「この楽器、僕がもらってもいいかい? 小気味よい音に使い勝手。これ、ちょっと気に入ったかもしれない」と思う。これは相手に拒否する選択のないロキの欲望だった。

 

 ヘルメスが嫌がるような素振りを見せれば、それが地獄のショーの始まりになるだろう。感極まる観衆が、一瞬で血の雨に濡れ阿鼻叫喚する世界になる。そんな妄想がロキの頭の中で膨れあがっていた。ロキの手品は大道芸ではない世界そのものを自在に替えてしまう優越する力そのものだ。

 そしてそれをやるとき、ロキはいつもの口癖を出してしまう。ここに神託がある。

「神託さ。君たちは僕にこの楽器を譲るべきだ。そうしなければ災いとなって、神罰が君にくだるだろう。僕の占いにはそうでているよ。そんなわけでさ。これ、僕がもらってもいいかい」


 だがここでもロキは「拍子抜け」と呟くことになった。

「いいよ。それあげるよ。アポロンさんが持っていてくれたほうがたぶんいいんだ。こうやって街のどこかで音楽を奏でてくれていたら、きっとみんなの表情も明るくなるだろうしね。僕は音楽を奏でるほうは自信ないから」

 ヘルメスは屈託無い笑顔だった。まるで友人に接するような自然な姿勢では、ロキの道化師も殺気が削がれるというもの。

「いいのかい?」

 竪琴を譲らなければ神罰が下るというからには、逆に言えば竪琴を譲れば神罰がくだらないと言うのと同じだ。これが神託であるならその神託が実現されるようにロキ自身も振る舞う必要がある。つまり、殺戮ショーはなし。


 そしてロキの道化師は、「ありがとう」と言って、次に当然あるべき会話を思い出す。ロキの道化師が殺戮者でないならば、竪琴を譲ってもらったお礼をするのが一般的であろう。

 だからこれはあくまで普通の人間に成りすますための口上。

「じゃあ、仕方ないな。何かお礼をしなくてはいけないね。お金でいいかい? お金はいいよね。何でもこれで解決してくれる。都会じゃ、こいつで買えないものはないよ。ご馳走だって奴隷だって、あるいは隣人の恋人の愛だってなんだって買えちゃうよ」

 そんな誘い文句。

 ヘルメスがお金で夢に思うのは、ご馳走か、奴隷か、愛か。それを知っておけば後々ヘルメスという人間を操る時に役に立つかもしれない。ロキはそんなことを考えていた。


「お金はいいんです。世界中の人を勇気づける才能を持った人からお金なんて貰えません。それに旅をするのにはお金って大事です。アポロンさんにも必要でしょう?」

 友人からはお金なんて貰えないとヘルメスは言った。

「僕は占いをしたりして、旅先でちゃんと対価は貰っているよ」

「じゃあ、さっきの音楽の対価ってことでいいです」

「つまらないね」

 ロキはヘルメスの欲望を知りたいと言ったが、彼はそれを顔に出さない。だからつまらない。ある意味それは次のナタの質問にもあてはまっていた。

「芸人さんも旅をしているのか? だったらさ。ドギって奴のこと知らないか?」

 これに対して、「どうして僕が君に教える必要があるのさ」と言いたいところだが、

「そうそう、僕たち人を探しているんです。凄い剣を作る人で、ドギって言うんです」

 ヘルメスにこう言われるとロキの道化師は返答を断ることができなかった。


「ドギなんて人は知らないね。剣を作るなら鍛冶職人だよね。でも、そういう名前は聞いたことがないね」

「じゃあ剣のことでもいいです。凄い剣の噂って聞いたことがないです?」

「剣?」

 ロキの道化師は、ここでひらめいた。


 丁度良い話を知っていた。

「この近辺で噂があってね。船に乗っていると、美しい歌声が聞こえてくるんだ。歌っているのは綺麗な妖精で少女だとも言うね。この歌声には魔力があって、聞いた男はみんな魂を抜かれてしまうらしい。そうして男が虜になったところで少女は怪物に変身して襲いかかるそうだよ」

「怖い話ですね。少女が怪物になるんです?」

「セイレーンと僕たちは呼んでいるよ。その怪物は男を殺した後で船の荷物を持っていってしまうんだ。セイレーンの国にはそうやって集めたお宝が山のようにあるらしい。そんなセイレーンの国にたいそうな剣があると聞いたことがあってね。君たちが探しているのは、たぶん、これのことだと思うんだけどな」

 セイレーンが強奪した荷物の中に剣があるかもしれない。


「ほう」

 声をあげたのはナタだった。


 そこでロキの道化師は言い方を変えた。ナタに対しては次のように話した。

「この近くに岩礁があってそこでセイレーンを見たって話もある。行ってみたらどうだい。攻略法を特別に教えてあげるよ」 

 笑い顔のピエロはやはりどこか笑っていた。


 ナタにとってみれば、これは思ってもみない情報だ。特別な剣があるという。

「攻略法?」

「セイレーンの声を聞いたら魂を抜かれてしまうんだ。だから彼女たちが歌っている間は近づけない。でも歌を聴かなければ彼女たちにも会えない。だよね?」

「その通りだ」

「だから、誰か一人、男がいいね。そいつを船に縛りつけるんだ。他の船員は羊の毛を綿のようにして耳に詰めておく。彼女たちの歌は人間以外の動物には効力がないからね、羊の毛で耳を塞いで歌を遮断するのが効果的だね。音が聞こえないように詰めるのがポイントさ。もしセイレーンが歌えば、縛りつけた男だけがその歌声に反応する。あとは、それを見て舵を切ればいいってわけさ」


「歌うのをやめたときに反撃するってことか」

 ナタは良いアイデアだと頷いた。

「まあそんなところさ。柱に縛り付けた男を見ていれば、セイレーンが歌っているかどうか、歌を聴かなくてもわかる。そこがポイントになるだろうね」

 もっともな作戦だった。


 さらにロキの道化師は次のような提案もした。

「柱に括り付けられるのは君がいいよ。セイレーンの歌はそれはそれは高尚で雅な響きなんだ。あれは音楽を理解できる知性がなければ廃人になる可能性だってある。君は賢いから魔力にもあらがえるさ。気をつけないといけないのは、君が暴れてもほどけないようにしっかり縛ってもらうことだ。さもないと、縄がほどけて勝手に海に落ちてしまうことになるからね」

「なるほど」


 ナタは「魔法の歌」を聴いてみたいし、セイレーンという少女にも興味がある。占い師が言うには、ナタならば大丈夫だと囁くのだから、これに乗らない手はない。

「歌さえ攻略できれば、勝ったも同然か」

 耳栓をしてセイレーンに近づく方法は、歌を聴く係と連携して行動する以外にない。そして近づいたところで、こちらも剣を抜く。


「あくまで剣の情報を貰うのが目的だからね」

 ヘルメスは戦う必要はないと力んだ。想像する美声の少女はまさに妖精だ。これを斬り殺すなんてとんでもない妄想だった。「ナタは柱に縛られたままじっとしてて、僕が交渉してみるから」


「すぐに行くかい?」

 ロキの道化師はいつの間にか指の間に水晶を挟んで、五色の虹を地面に映し出していた。「そら、見てごらん」と手をひろげる様は魔法の儀式のようだった。「すぐ動くのが吉。光が催促しているんだ。僕の水晶は嘘をつかない」


 時に人は危険へと挑戦する。それは死へと誘う言葉ほど楽しげに聞こえるものはないからだ。退屈な日常から誘い出す言葉がロキの道化師にあった。

「僕の占いでは、今セイレーンたちが居る場所。その場所はね。ここから近い」

 彼が目を閉じれば、その場所までの経路が見えてくるのだそうだ。

「右の峰を越えて一時間もしないうちに、岸壁が見えてくる——」

 

 殺してあげるよ。

 ロキの道化師が見ているのは、柱に括り付けられた者の死だ。彼の奇術は殺人術に通じている。

「もっと詳しく教えてあげる」

 君たちがどうやって死ぬのかを。


 この時、ロキの道化師の仮面はやはり笑っていた。

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