第111話 月明かりの銀貨

 滅亡したイザリースの墓から掘り起こされた月の剣がひとつ。

 巨大な斧のようにも見えるそれは、重さによって自身の柄が曲がってしまった失敗作だと言う。これを打ち直すことができる鍛冶屋とは、イザリースで修行したドギという男以外にはいない。


 必要なのは情報だった。

「まるで月の灯りを頼りに、足元に落ちた銀貨を探すようなもんだ。ドギって奴をどうやって探したもんかな」

 ナタはその苦労を呟いた。

 改めてシェズが「めし」の催促をする中、リッリやユッグ・ドーなどの仲間たちを集めてみたが、話題は堂々巡り。


「さて、そうなれば月明かりに集まるのがドギの情報だけとは限らん。見つかるのは銀貨か狼か——」

 お気に入りの赤頭巾を被る小さな賢者がいた。リッリは、そこからは口に出せない考察を呑み込むように頬を膨らませていた。

「月明かりに集まる情報?」

 ナタには賢者の考えはわからない。

「狼って食えるのか?」

 シェズにもわかってはいないだろう。


「剣のことも気になりが、ヒルデダイトの動向を押さえり」

 リッリは海風に晒される港の荷物置き場に座っていた。仲間が集まったところで、商人から情報を漁ってきたというユッグ・ドーとの打ち合わせも始まっている。

 ナタはいつしかユッグ・ドーの話にも耳を傾けていた。

「さっきの銀貨が剣のことなら、狼ってのがヒルデダイトのことか?」

 聞いてみれば、

 ユッグ・ドーは深く頷いた。

「歴史の表舞台が昼なら、裏舞台の夜を暗躍してるのが狼だ。なにかしら足跡くらいは見つかるかもしれん」

「足跡を見つけてどうするつもりだ?」

「お前はもっと緊張感を持ったほうがいい。お前ら一応揃いも揃ってヒルデダイトから指名手配されてただろ。ヒルデダイトの連中がお前らに気付いて追いかけて来ないとも限らない。それに鍛冶職人を探してアースガルドに行くにしても、その前にまたクレタ島のようなトラブルに巻き込まれてはかなわんだろ」

「そっか、ドギを探す前にそれを考えなきゃいけないわけか」

 ナタは腕組みをする。

 リッリ曰く、

「脅威に備えておくこと、それが最優先なりや」だ。


「で、その件だが、ちょっと調べてきた」

 ユッグ・ドーは、首元の肌着を乱した格好で荷物置き場の柱に寄りかかる。この男は貴族が着るようなきらめく衣装を着たかと思えば、だらしなく振る舞った。

「さすがはキリーズの商人だな。キリーズならどんな情報も揃っていそうだ」とナタは思う。

「いやその辺に出回っている剣を調べてみた。鉄の剣なんて高価なものを買うのは結局貴族だが、盗品や錆びて使い物にならなくなった剣なら広く流通している。銅製のものにしたって鉄を扱う連中が作るものは根本的に純度も異なる。商品を見れば仕入れ先やものの程度は予想できる」

 自分は商人なのだと彼は言った。


「仕入れ先と剣の材質?」

「今日見てきた剣のことだ」

 ユッグ・ドーは、商人たちを訪問して、剣について情報を交換していた。「そのドギという職人が本物なら、そいつが打った剣は見ればわかるはずだろう。まあ他にもたくさん剣はあるわけだが、どこからどんな剣が流れているかがわかれば、周辺諸国の事情がわかることもある」だからまず、彼は商品として店先に並ぶ剣を見たと言う。


「カグツチが言うには、ドギの腕は確かだ」

 ナタは布を巻いた杖を肩に当てて座り込んでいたが、ユッグ・ドーに頷いてもうひとつの剣を目の前に置いた。普段使っているそれを、「アマのオハバリ」と言う。「ドギならこれと同じものくらいは造れるはずだ」それがドギの腕前を物語る。

 イザリースで作られていた一般的な剣だった。


「高級品だ。そんな高級品なら、見つけるのは簡単なはずなんだ」

 ユッグ・ドーは唇をひん曲げた。オハバリもそうだが、イザリース製ともなれば、貴族の間では宝剣になる。何よりユッグ・ドーも扱ったことのある高額商品だ。それぞれの仕事の違いは、ひと目で見分けがつく。「だが、ここらにあるのは、黄ばんでいたり、黒ずんでいたり。触ると柔らかい。剣の形をした何かだ。聞けば、どうやらギリシャにあった工房もヒルデダイトに移ったらしい。今では仕入れ先はヒルデダイトを経由した一カ所になってしまって、こっちには高価な剣は一本も回ってこないそうだ」


「ほうヒルデダイトが剣を集めてりぃ?」

 リッリはそこで声をあげた。

「工房までごっそり持って行くのがわからん。製鉄技術を独占する気なのかもしれない。アリーズって奴が何をしでかすのかわからないが、それくらいのことはやってきそうだ。製鉄技術がコントロールできればそりゃ戦争をコントロールするのも同じだからな」

「ドギも連れ去られているってことか?」

 ナタにはそのようにも聞こえていた。


 ユッグ・ドーが説明するところでは次のような言い回しになる。

「ドギのことはわからないが、ヒルデダイトが鉄の取引を支配しているように見える。ドギはその鉄の鍛冶師だからな、鉄のあるところにドギはいるだろうし、同じ場所にヒルデダイトの動きも出る。それは期待してもいいだろう。まあ、もしドギって奴がまだ生きていたとしたらってことになるが」

「逆に言えば、ヒルデダイトの動きを読めば鉄の流れがわかるってことか。ドギにも辿り着けそうだな」

 ナタは納得した。


「話が早くて助かりん」とはリッリの褒め言葉か。「ただし優先すべきはドギではない。ヒルデダイトは各地で戦争を仕掛けておりや。ミツライムの件といいクレタ島の件といい。この動向を見誤れば、シロに集まったイザリースの民、ミツマの民、その他大勢の生死に関われり」賢者はそう付け加えた。


 言われるとナタにも思うところがある。

「そろそろめしか?」

 シェズはそんな期待をするだろうが、ナタはふと次のことを閃いた。

「ヒルデダイトが剣を集めているなら、欲しい剣でもあるんじゃないか?」

「ヒルデダイトが欲しがるとすればトラキアの工房くらいだろ」

 ユッグ・ドーが言うにはトラキアという国に鉄を扱う工房があると言う。

「アリーズは天剣を持っている。天剣が他にあるとすれば……」

「そりゃあまずいな」

「まずい」

 ナタのは、そんな懸念だ。


「天剣、剣の国最強のあれか」

 ユッグ・ドーは噂に聞いた天剣を思っただろう。

「太陽の剣と火の剣はすでにやつらに奪われた。太陽が隠れたのもその影響だろ」

 ナタは言う。

「これ以上の天剣が悪魔に渡れば、世界は終わるってか?」

「わからない」


「他にもその天剣ってのがあるのか?」

 ユッグ・ドーに言われて、

 ナタは頷いた。今のナタたちが知っている天剣は、太陽、火、雲、月の四本だ。

「月の剣はユッグ・ドーが知っている通りで、まだ息吹がない状態だけど、一応あれも天剣だ」

「そうじゃない。俺が言っているのは、俺たちが把握してない場所に他にも俺たちの知らない天剣があるのかってことだ。もし仮にヒルデダイトが天剣を探しているのだとすればどうだ。あいつらが根拠も無しに動くとは考えられない」


「俺たちの知らない天剣?」

 ナタは過去の記憶を辿ってみる。だが天剣の話など他に聞いたことがあっただろうか。「ないとは言い切れない」最後はそんな歯切れの悪い返事になった。


「どんな剣なんだ?」

「俺よりも、カグツチやタケミカヅチのドギって奴のほうが詳しい。ドギに打ち直してもらう月の剣のことだって、俺は言われるまでは知らなかったし」

 つまり、続けて言うとこうなる。

「俺たちにはわからないことばかりだ。俺たちはやっぱりドギを探すのに専念したほうがいいかもしれない」



 上空には薄い雲が並んで、どこまでも流れていく光景がある。「あんなに雲は遠いのに、ドギも同じ雲を見ているかもしれないなんて、不思議だな。遠いのか、近いのか」そんなふうにナタには思えた。


 さてここでやっと「メシか?」

 シェズは立ち上がる。だが、まだ少し会話は続く。


「どちらにしろ急いだほうがいいってことか」

 ユッグ・ドーはナタの前に出た。催促するようにステップを踏めば、ナタにも言いたいことがあるだろう。

「急ぎたいけど、情報がなかったら俺たちは動けない」

「情報ってのはあるところにはあるものさ。闇雲に探すというならば、俺に一人こころあたりがある。確実に会える奴だ」

 ユッグ・ドーには心当たりがあった。気難しい顔になるのは、「この先の国に変わり者で他の人間と群れるのを嫌う連中がいる」という相手の素性に理由がある。

「変わりもの?」

「そいつらを束ねるのが大賢者と名乗る奴だ。あいつに話を通すにも面倒くさい手順がいるが、一度あんたたちにも会わせておきたい」


「それは誰なりや」

 赤頭巾にも彼の言い方は気になるところだ。

「あんたたちも知っている相手だ」と言うのだから——。


「ほう?」

 赤頭巾が首を傾けたところ。

「あんたたちはちょっと前にザッハダエル城塞を落としただろう。あの時にザッハダエルの連中は港のほうに軍隊を出していたが、その軍隊を退けた傭兵団がいたのを覚えているか」

「お」

「いた」

 赤頭巾もナタも思い出した。ザッハダエルの城塞を拠点にした極悪非道な軍隊を最後に追い回していた傭兵団がいる。それはナタたちがユッグ・ドーに用立ててもらった傭兵団のことだった。


「狼の旗印を使う連中がいた」

 挨拶をするのも、馴れ合いになる。馴れ合いなど生きるのに邪魔なだけだと、顔を合わせることもなくその傭兵団は立ち去ってしまった。だからナタやリッリも、相手の顔を知らない。


「その狼の傭兵団が大賢者でありや?」

 リッリが狼印の傭兵団を語るところ、たしかにあれは賢い傭兵団だったと言う。ザッハダエルの騎士団を相手に数少ない狼印の傭兵団が一方的に追い回す展開になったのだから――。

 力の差なのか、軍師の目利きなのか。

「ミツライムで大船団を率いて、俺たちが追われている間、ファラオの軍隊を足止めしてくれていたってのも、そいつなんだろ?」

 ナタはそういう話をまさにユッグ・ドーから聞いたことを思いだした。


「本人は、古代より名が知れた大賢者エンリルの生まれ変わりだと言っている。かなりの変わり者だ」

 このユッグ・ドーの言葉に、赤頭巾が揺れた。シュメールセンサーが反応した。

「エンリル……」

 聞いたことがあるような――。

 古いところでシュメールの風の神とされた名前ではなかろうか。


「俺も最初それを聞いた時は、なんていうか、意味がわからなかった。大賢者エンリルってのは東でも西の国でも時々聞くことはあるが、五〇年ほど昔にそんな爺さんがいたって程度のことだ。まあ生まれ変わりと言われて納得できるくらいには賢い奴だ」

「ほほうぅ、シュメールのとは違う者かや?」

 リッリはここで相づちを打った。


「大賢者エンリルの生まれ変わりとは、変な奴だな。それで何ていう名前の人だ?」

 ナタが問えば、

「今はフェンリルと名乗っている。俺たちでドギを探すのもいいが、そいつの知恵を借りたい。腐れ縁という奴だ。俺ひとりでそいつに会いにいこうかとも思ったが、今後のことを考えれば最初からみんなであいつを頼るほうが手っ取り早いだろう」

 ユッグ・ドーの言葉は、ひとつの希望になった。月明かりに輝く銀貨のようにナタの耳の奥で閃いた。

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