第104話 昼の女神と夜の女神

 貴族たちを乗せた船は災いの地を離れ、大きく揺れた。

 大船団が一斉に動きだせば、大きな波が立つ。さらに言えば港に広がる狂気と言える混乱が波をより大きなものにしていくようだった。

「何が起きているのか、教えてほしいものだ。我々はモノリスの塔を焼いただけだぞ。どうしてそれがこんなに大騒動になるのか」

 これを言ったのは、ヒルズパリスだ。彼のような大貴族ならば、全てを知る権利があると言いたい。

 だが部下に問いただしたところで誰も答えない。


 それならば叔父である貴族同盟軍盟主であるブランアーモスの心の内を知る人物に聞けばいいだろう。

 その時、同じ船でヒルズパリスを待っていた人物がまさにそれだった。

「誰が街を焼き、誰が我々大貴族にあだなす敵を虐殺しているのか?」

 ヒルズパリスは、傍らの女剣士を見た。


 踊り子のような装束に、男性を引きつける魅惑な微笑みを湛える剣士だ、旅装束のアフロディーテ。彼女は、迷宮の奥で消えたかと思えば、怪物の徘徊する街を手引きして貴族を助けてくれる。大貴族ブランアーモスを赤子のように扱えば、ラズライトアトリーズも彼女の前では子犬のようなものに見えた。


「随分とゆっくりしていたじゃない? もう少しであなたも消し炭になっちゃうところだったわよ」

 アフロディーテは、クレタ島を離れる船上に居た。「勝手に動くと、悪魔に目をつけられるわ」となじる相手は、ヒルズパリスだ。


「忠告はありがたい。船に乗り遅れるようなことがあっては、まずい状況だったこともわかる。だが、私は貴族の威厳を守るために立ち上がったまでだ」

 ヒルズパリスにもわからないことがある。彼は図書館を燃やしたが、街を燃やすつもりはなかった。

 なのに、結果は大きく違っている。


 貴族騎士が甲板に出てアフロディーテと肩を並べる。と、滅び行く街が一望できた。あちらこちらから火の手があがって叫び声が溢れている。抵抗できる勢力はなく、ただただクレタ島の上にあるものが消滅するのを見るばかり。

 そこでアフロディーテはヒルズパリスに答えた。

「あなたと同じように盟主様のために暴れたい若者は多いわ。暴走しちゃったんじゃないかしら。わたしはちょっと知り合いから聞いていただけ」

「私の他にも何かやった奴が?」

「あなただって、他の貴族達には何も相談なんかしてないでしょう? 盟主のためを思って動いた。そうでしょう」

「それはそうだが」


 すべては盟主のためなのだと言う。

 他の若者と同じように独断で動いたヒルズパリスには痛いところだった。返す言葉がない。


 このとき、ヒルズパリスは迫ってくる船団に気がついて体の向きを変えていた。貴族たちの船がクレタ島から四方に逃げるように散らばる中で、一筋にクレタ島に向かう船がある。大貴族の集会に遅れて来る貴族の話は聞いたことがないが——。

 逃げなければいけない状況は海からでもわかるだろうに、逆にその地獄ような場所へと向かう船。

 赤く塗られた船体に、ヒルデダイト帝国の紋章であるキマイラが刻まれる。

「あれは?」

 ヒルズパリスは息を呑んだ。


「若い貴族達がいろいろと動いているわ」

「あれはヒルデダイトの軍船ではないか? 今頃になってなぜ。この騒動、誰かが連れてきたのか。いや、この騒動を聞いて来たにしては、すでに到着しているのがおかしいか」

「動いているのは貴族だけではないってこと」

「どういう意味だ?」

「さあね」

 アフロディーテは口を閉ざした。


 その理由を彼女は端的に告げる。

「あれはアンバーリッター連隊の船、乗っているのはヒルデダイトではちょっとした有名人よ」

 彼らがやってきた目的をここで喋ってしまっては、彼らに睨まれる可能性がある。

 アフロディーテは流し目で、それを暗に示した。


 五隻の船団はヒルデダイトの軍船。鉄の船首を持ち、帆を広げた勇壮な姿は貴族の船とはまるで雰囲気が異なる。ヒルズパリスをも黙らせる迫力があった。

 アフロディーテは、「彼らが来ることを知っていたわ」という素振り。

「アンバーリッター連隊の連隊長は、ヒルデダイトの獅子将軍と言われるアロケルに喧嘩を売った唯一の戦士だって話だわ。そのせいで、首都を追い出されたわけだけど。それはそれで困ったものよね」

 権力が相手でも一歩も引かない戦士がいる。

「聞いた事がある。百獣の王将軍アロケル。そんな男に刃向かった者がいるのか」

 海洋を回る遊撃部隊をやっているのは、ヒルデダイトでも最強を争う戦士団だと言う。「それがなぜ、今になってやってくるのだ? もう叔父上の開いたパーティは終わってしまったのだぞ。確かあの場所にヒルデダイト帝国は来ていなかったはずだ」

 ヒルズパリスはそこを疑問に思った。


「さあ、難しいことを考えても仕方ないわ」

 アフロディーテは背伸びした。「あとは彼らに任せておけばいい」

 クレタ島がこのまま滅びるかどうか。


 クレタ島では今から何が起きるだろう。


 アンバーリッター連隊の船はこの時、ざわめきの中にあった。船の甲板には連隊員がずらりと並んで、それぞれがクレタ島沿岸を眺めていた。沿岸部はすでに夜なのに、延焼する赤い輝きが眩しいほどだ。全てが焼ける匂いは煙のない海原まで流れている。耳を澄ませば誰かの叫び声が地響きのように聞こえてくるばかり。


「こりゃ酷い」

 連隊指揮を担当する男、オリオンは今後の作戦について悩んでいた。「作戦も何もあったもんじゃないね」と言う。「貴族同盟軍がクレタ島の住民を襲っているという話だったか。クレタ島でのこの虐殺を鎮圧しようにも、もう必要がないってくらいだ。必要がないってのは、敵がいないって意味じゃない。鎮圧してももう何も残っていないんじゃないかってことだよ」

「人助けをしなくていいなら気が楽だ。片っ端から敵を排除するだけのほうがいい」

 隣で、「面倒くさいことを考えるのはなしだ」と言うのは、豪奢な金髪の美女だった。手足を覆う戦闘装束は騎士のそれではなく、各所に鉄板を仕込んだ先鋭的な衣装だ。


 この美貌の女性こそ、アンバーリッター連隊長であり、オリオンが最も頼りにする戦士であり、アンバーリッター連隊の代名詞でもある。獅子将軍に喧嘩をふっかけたという英雄だった。その名前をルナアルテミスと言った。


「せっかく間に合うように急いで来たのに」

 隣で、ケラケラ笑う者がいる。「どうやら暴動が早まったようだね。僕が言った通りだったでしょう。貴族同盟軍って言っても、やっているのは下っ端さ。ヒルデダイト帝国って一応貴族同盟軍を支援してるんだから、こういうの見過ごすとまずいんでしょ。でも、ぎりぎり間に合わなかったっぽい?」

 笑うのは奇妙な道化の仮面をした青年だ。

「アポロン、お前は相変わらずだな。こんな時にも笑っている」

 ルナアルテミスは仮面の道化師をアポロンと呼んだ。

「その名前で呼んでほしくないね。僕はこうして仮面まで被っているんだ。そろそろポラリスと呼んでくれないかな? 一応これがコードネーム」

「私にとってはお前はお前だ。悲惨な状況を見て笑うのも昔からじゃないか。それを隠すためにわざわざ仮面を被っているのかと思っていた」

「え? 僕が笑うの不愉快?」

「不愉快だ」

 言ったが、ポラリスの舌はまだ回っていた。

「実の兄にそんなこと言う? 僕より不愉快な人間はいくらでもいるのに? 見てよ、あのクレタ島の悲惨なこと。貴族同盟って酷いことするよね。たぶん皆殺しだよ。世界中の人がこれを見たら、どう思うだろうね。貴族同盟軍って怖いって思うかな。ブランアーモスの機嫌を損ねるとこうなるぞって震え上がるかな?」


 ルナアルテミスは答えない。

 代わりに口を開いたのは、参謀のオリオンだった。

「世界に力を誇示することが目的なら、こいつは失敗だ。クレタ島を崩壊させるメリットよりデメリットのほうが大きい。貴族同盟軍は世界を敵にまわすぞ」

「だよねぇ。それを止めるためにわざわざ僕たちが来たのに。僕たちはむしろ世界を救ってあげようとしたのに」

 ポラリスはそしてケラケラと笑う。


「間に合わなかったぁ」というのが笑いどころらしい。


「狩る敵がいるなら、わたしにとっては間に合っている。連隊戦闘準備、着岸するぞ」

 ルナアルテミスは笑うポラリスを一瞥した。そして身を乗り出す。

 クレタ島へと。


「ねえ、知ってる?」

 ポラリスは再度ルナアルテミスに語りかけた。「怪物のこと」と。

「聞く必要がない」

「何も知らないのに、怪物だと思っただけで殺しちゃうの。それ正しいんだけど」

「今暴れている怪物の素性がどうだろうと関係ない。叩きつぶして全てを終わらせるだけだ」

 敵の命乞いは無用だ。ルナアルテミスは船から港へと渡されたハシゴへと飛び降りた。大人でもよろめきながら、降りるところ、彼女は妖精が飛ぶようにするりと渡ってしまう。

 まるで重さがない。

 立ち止まる気配もない。


「情報は必要さ」

 ポラリスは仕方なくそのまま話した。「貴族同盟軍が使っているのは石の怪物たちだよ。太古の文明の異物さ。月の女神の化身である君には雑魚かもしれないけれど、そもそも人間が勝てる相手じゃない。そんなのがわらわら出てくるっておかしいよね。石が動くなんてどう考えてもおかしいよ。そう、セイズで操っている奴がいる。わざわざ古代の遺跡から魔法の人形たちを掘り起こして暴れさせている奴がさ。そしてそいつらだけは絶対に怪物に襲われたりしないんだ」

「何が言いたい?」

「生きて居る人間は怪しいってことさ。そいつを優先的に殺しちゃうべきだね」

 ポラリスは人間を殺せと言った。

 それともこれは道化師の妄想だったか。


 ルナアルテミスはポラリスが苦手だった。信用していいのかわからない。実際に彼女はポラリスのことが時々わからなくなる。今回の件は今のところ、彼の言う通りになっているが——。


「武器を――」

 ルナアルテミスは片手を宙にさげた。仲間に武器をよこせと要求した。

 信頼できるのは力だけだった。

 ポラリスは、あるいはこの事件の真相を知っているのかもしれない。黒幕は本当に貴族同盟軍なのか、または別の誰かなのか。


 考えるのはやめだ。

 ルナアルテミスは怪物の影が蠢く大地を睨む。

 彼女の前に身長ほどもある片刃の大剣が運び込まれると、刃に潜む光が思考を奪っていた。目の前に敵がいて、戦闘装束が揃えば、あとは戦うだけだった。


 確かなことはひとつだけ。

「アンバーリッター連隊で、クレタ島を掌握する」

 ルナアルテミスはそれだけを宣言した。

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