第103話 怪物を屠る怪物
アマリアの神殿騎士たちにも動きがあった。
彼女たちは彼女たちで、独自の情報網から現状を把握しつつあった。
「暴動ではないのか。大貴族たちはすでに島から逃げ出したと言うのか。我々も脱出したほうがいい。島の反対側に船がある。しばらくはそちらを防衛拠点にする」
レンテレイシアは、報告を受けてすぐに決断していた。「この場所は守っても無駄だ。放棄する」それがアマリアの神殿騎士テンペストの決定となった。
「レンテレイシア様、アンドロメダ騎士団の方々が街にでて救護活動をするといわれております。我々も一緒に戦ったほうがよろしいのではないでしょうか」
そう言う部下は一人ではなかったが、
「戦うにしても拠点が必要だ。人を助けることができたとして、その助けた者たちを安全な場所に案内できなければ助ける意味がない」
まずは拠点の確保が優先だとレンテレイシアは言った。
つまりここでレンテレイシアとアンドロメダ騎士団はすれ違う恰好になった。
レンテレイシアが一瞬足を止めたのは、アンドロメダ騎士団の先にいつぞやの旅人たちを見た時だろうか。
「気になってはいたが、まさかな」
それはナタのこと。イザリースの言葉を慣れた口調で喋る黒髪、白い肌、そして戦士たちが頼りにする最後の剣士となればレンテレイシアには心当たりがある。直接は面識がなくても、雰囲気はよく知る人物そのままだ。
「どうしたのです?」
と問われると、
「いや、少しケーロン様を思い出していた」
ただそれだけのことだとレンテレイシアは答えた。
「ケーロン様?」
「ケーロンと言えば、それは他ならぬイザリースのオーディン様の名だ。私の剣の師匠でもある」
「イザリースのオーディンなら私たちも知っています。あの方がここにいられたなら……」
「そうだな。だがそれを言っても始まらない。我々だけであってもやれることはやろうじゃないか」
オーディンがこの地に来たのなら、確かに彼の旅人のように真っ先に怪物退治に出て行くのかもしれない。だが、それと同時にアマリアの神殿騎士に挨拶があるだろう。本物のオーディンならそうしただろう。
だがそこにはすれ違う者たちだけ。
「気のせいか」
レンテレイシアはそれ以上考えることなく、モノリスの塔に背を向けた。
神殿騎士たちが街を抜けようとしたとき、蜥蜴の顔を持つ石の化け物に出会った。鎧を着た蜥蜴のようなそれは大股で走ると、すぐに子供を捕まえる。石の体に血を流し込むように、大きな口で小さな体を引きちぎった。そしてまた次の子供を捕まえた。
「報告にはきいていたが、あれがガーゴイルという化け物か」
レンテレイシアはそこで足を止めていた。まるで夢でも見ているようだと誰もが思ったことだろう。レンテレイシア自身、「人間ではないのだな。あんな怪物が今まで歴史のどこに隠れていた?」と言いたい状況だった。同時に、彼女はそれまで勝手な想像をしてガーゴイルに対処しようとした自分に落胆した。
「並の戦士では太刀打ちできません。レンテレイシア様、早く港へ」
部下にそう言われても、
「引けるような状況ではない」
レンテレイシアは剣を抜いていた。
「身体が人間のようにも見えるが、顔は蜥蜴、尻尾は蛇、コウモリのような奴もいる。あいつらは石の武器を使うのか」
冷静に判断しようとしても、未知の敵に対して効果的な対策など誰にも思いもつかない。
それでも、前に出なければならない理由がここにある。
レンテレイシアは号令していた。
「我ら神殿騎士テンペストは、ヒモリテ様を守るためにある。ヒモリテ様は創造主の心の一部たり得る者だ。つまりは我らの戦いは全て創造主と全知全能の主へと捧げられるもの。我らの剣は主の剣である。この状況を見過ごして、どうやってアマゾンへ帰るのか、どんな顔をして主に顔を合わせるのか」
闘争心があった。
だが、
それは怪物による一方的な狩りのようだった。
鎧蜥蜴が走り、神殿騎士を足蹴りにする。そして喰らう。
気がついたときには、仲間のグリュターは足の骨を折って民家の軒下で蹲り、レラジェは逃げる仲間と衝突して馬から転落していた。どちらもアマリアの有能なる騎士達。残るレンテレイシアは、路上に立って、この化け物と最後の決闘をしようかという様相だ。
勝算はない。
「テンペストと呼ばれた我が騎士団が引くことはない」
レンテレイシアは逃げなかった。
鎧蜥蜴が走り寄ってくるのを真正面に見据えて対峙する。斬りつける反動で体をゆるりと回し、怪物の側面に回り、首を狙った。体格差のある怪物相手に、一人で立ち回れる剣士はそうは居ないだろう。
女性の体では、挙動ひとつとってもそこにあるリスクは大きい。女性だけで国を守る神殿騎士団があるとは、つまり男性には負けない騎士がそこにいるという証明だった。これは力比べで勝てるという意味ではない。
「アマリアに伝わるのは殺人術。どこまで怪物に通用する?」
重圧から、レンテレイシアの剣が出たのは過ちだった。
鎧蜥蜴の首が下がったところで、思わず手が出ていた。
レンテレイシアは咄嗟に全力でその顔に一撃を叩き入れた。殺人術など異形の怪物相手には何の役にも立たないという焦りがあった。
気がついた時には、同時に、彼女は蜥蜴の足によって蹴り上げられていた。人間の動きを予想して対処する術であるからこその弱さだ。
「――っう」
利き腕が折れた。
腕を犠牲にして回避したのはいいが、これでは剣が振るえない。
終わったか。
戦う者は、後悔しない。
レンテレイシアはもう片腕に剣を持ち替えて、せめて相打ちを狙えないか考えた。ここでレンテレイシアが倒れれば、グリュターやレラジェの命運も終わる。「せめてあの娘たちだけは」と思った。
歴戦の勇者だからこそ、彼女には自分の死が見えた。
刹那、
槍が飛んできたのは幻だったか。
剣でかすり傷しか突かなかった鎧蜥蜴を貫いた。それは岩をも砕く強烈な一撃だ。
「誰が?」
思うと同時に怪物の陰がそこに重なってくる。双角を有した人間のような怪物だった。その手が鎧蜥蜴の頭を掴み押さえ、槍を引き抜くと同時に握力で潰してしまう。続けて、蜥蜴の体を槍でもう一度貫いた。心臓を貫き、そのまま大地に叩きつけ石の体を破壊する力業だ。
怪物同士が戦っていた。
勝ったほうの青い鬼は言った。
「弟を探している。見なかったか?」
「お前は?」
レンテレイシアは疲れ切っていた。失念していたのかもしれない。兜を取るまでもなく、それはラズライトアトリーズのニスティアヘクタだ。
「敵か?」
レンテレイシアは言った。答えたのは、ラズライトアトリーズの騎士たちだ。特に必死になって相方を探しているのはその原因をつくったハイネイアスという男だった。
「我らは仲間を探している。ニスティアトロイスだ。塔の上から変な男に落とされた。それから見つからないんだ」
ニスティアヘクタの傍で戦士ハイネイアはお守りを握りしめていた。男に泣きそうな顔があった。
「知らない」
レンテレイシアは答えた。「人を探しているようだが、行方不明者が出ているのは我らのほうも同じだ。何が起きたのか、どうしてお前たちはこんなことをするのか」と最後は愚痴になった。
だから、レンテレイシアは言う。
「聞きたいのは我らのほうだ。なぜ貴族同盟軍はこのような暴挙を冒す。この怪物たちは何だ?」
レンテレイシアは剣を落とした。右手が痺れてきて、左手の握力ももうない。涙こそないが、落ちるものは落ちるだけ。
そんな戦士の姿に、ニスティアヘクタは項垂れた。
「この怪物どものことは、俺も知らないことだ」
双角の騎士が見渡す限り、そこは別世界だ。
「知らないとは言わせないぞ。怪物が解き放たれるのを見越して、お前たちの主ブランアーモスは船に乗って逃げただろう。いいやブランアーモスだけじゃない。貴族同盟軍全てが一斉にだ」
「俺たちにも帰還命令が出ているが、こうなると知っていれば断っていた」
「怪物のことだけじゃない。ここで起きているのは虐殺だ。クレタ島の住民を虐殺することがお前たちの目的だったか」
「そのようなことを許す俺ではない。勘違いをしている」
ニスティアヘクタはさらに付け加えた。「それに、弟がこんなことを知っていれば、真っ先に止めに入ったはずだ」と。
「ニスティアトロイス――」
彼の戦士はどこへ消えただろうか。
「あれしきのことで死んでなんかいやしないだろう。探しても死体はなかったんだ。あいつなりにこの状況を理解してどこかで誰かを助けていると思いたい」
ハイネイアスは神に祈った。「なにしろ、あいつは俺より強い。団長の次に強い。死ぬはずがない」
それは絶望の中にあって最後の拠り所のようなものだ。
ここにあるのは、怪物の食べかけと怪物の死骸と、動けない神殿騎士たちだった。
怪我をしながらも捜索を続けるラズライトアトリーズの騎士たち。
どこまで行っても、そんな光景しか見えない。
そして、ニスティアヘクタは振り返った。
「俺たちは本国に戻る。そう命令されている」
「団長!」
ニスティアトロイスを探そうとハイネイアスは提案しようとしただろう。
だがニスティアヘクタは首を振る。
「お前の言う通りだ。弟は生きている。だとしたら、俺たちがここで道草を食っているわけにはいかないはずだ。あいつのことだ、生きていれば勝手に帰ってくる。だが港にいる貴婦人たちはそうはいかない。俺たちには安全に彼女たちを本国まで送り届ける義務がある。ここにいる怪我人のこともある」
言えば、
ハイネイアスには次の言葉がなかった。
「生き残っている者の手当をして、船に運んでやれ」
ニスティアヘクタはそう指示を出した。ニスティアトロイスを探し続けるとは、目の前で死にそうになっている彼女たちを見殺しにするのも同異議だ。それが彼にはできなかった。
ここに来て、レンテレイシアは唇を噛みしめた。
「冗談を言うな」
「死ぬぞ?」
「我々を助けるというのか。お前たちは敵だ。我らのことなど放っておけばいい。我々は貴族同盟軍の言葉など信用しない」
「俺たちはラズライトアトリーズだ。それは嘘じゃない」
「そこに何の違いがある?」
「ここから見えるのは襲いかかる怪物と動けない者ばかりだ。お前が敵かどうかなんて俺にはわからない。敵なら敵らしくしたらどうだ? つまり、もし君が敵なら、まず傷を癒やせ」
「何を言っている?」
「傷を癒やさなければ動けないはずだ。敵として戦えるようなったら、その時に改めて俺の首を取りに来い。決闘ならいつでも受けてやる」
「それまで大人しく従えとでも言うのか? 我らが敵であっても助けるつもりか」
ラズライトアトリーズは最強の騎士だ。逃げも隠れもしない。
それでいいと、ニスティアヘクタは言った。
ニスティアトロイスが隣に居たなら、たぶん同じように言っただろう。彼が生きていると信じるならば、そう信じた男の背中を見せるだけだ。そうニスティアヘクタは語っていた。
探し物は見つかったか?
そんなふうに問いかければ、誰もが首を振っただろう。
迷宮のどこに求めるものがあるのか。
レンテレイシアに選択の余地はなかった。どんなに望んで探したところで、この先に安全な場所などはなく、戦い続けたとしても終わりが来ないのはなんとなく分かっていた。死にかけている仲間たちが目の前にいるのが現実だった。
「わかった」
探すのをやめるのも、ひとつの決断になった。
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