第97話 喧嘩なら任せろ

 アキに転機が訪れたのは小一時間もしてからのことだ。


 それまでモノリスの塔を見上げて動かなかったのは、レンテレイシアたちの話し合いが長引いていたからだった。それが終わってくれないことには、気になる彼女に声をかける隙もない。


「そちらの騎士団長殿とスパルタの姫を攫ったのは、本当に貴族同盟だったか?」

 レンテレイシアが問えば、

「ヒルズパリスという奴だ。貴族同盟の盟主を叔父とか呼んでいた」

 パーンが答える。

 アキレスミハイルが耳を澄ますと聞こえてくるのはそんな声だった。


「ヒルズパリスという名は確かに、大貴族ブランアーモスの一派にある。まずはそちらに当たってみて、スパルタの姫が本当に拉致されたかどうかを確認することになる」

「確認してどうなる?」

「本当なら、連れ戻す方法を考える」

「言っちゃあなんだが、貴族たちが他人から奪ったものを返すとは思えない。俺たちは力ずくでも姫を取り返すつもりだ。場合によっては貴族同盟と争うことになるかもしれない。俺のこの傷だってあいつらが姫を攫う時に俺を殺そうとしたからだ。まともな話し合いで解決するならこんなことにはなっていない」

「それでわたしにどうしろと? 一緒に貴族同盟軍と戦えとでも言うつもりか?」

「表向きは戦わなくていい。ただ俺たちを助けてほしい」

「見くびるな。我らテンペスト神殿騎士は卑劣な悪に対して、手をこまねくような真似はしない。ただ我々は事実を把握して動く必要がある」

 レンテレイシアの言葉を待つまでも無く、アキにも状況は呑み込めていた。ヒルズパリスという貴族とアンドロメダ騎士団が喧嘩しているといったところか。


 どうやらヒルズパリスというのが悪者らしい。

 この悪者を喧嘩で倒せば、アンドロメダ騎士団もレンテレイシアもアキに感謝することだろう。彼女の気持ちをアキは独占できるだろうか。


 だがヒルズパリスという男がどんな顔だか思い出せない。昼間にパレードを眺めていたが、その貴族同盟の行進に思い当たる顔がなかった。

「大貴族だと聞いたことがある。じゃあ一番派手な奴か。俺が会ったことのない奴か?」

 もともと、アキがパレードを見に行ったのはラズライトアトリーズという最強とされる騎士団を見るためだった。だが結局のところ、その騎士団を遠くに見ただけ。「他の奴なんて見ても仕方ねえだろ」と愚痴を言ったのは親友のパトロという男。「それより面白いものがある」とアキとパトロはその後繁華街での遊びに夢中になったのだから、その他の騎士たちを覚えているはずもない。


「困ったな。代わりに喧嘩しようにも、顔がわからねえ」

 アキはため息をついた。

 喧嘩で名声が得られるならこんな早い話はない。レンテレイシアが困っている相手ならばこそ、喧嘩するなら任せろと言いたいところだ。だが顔がわからないのでは、後で恥をかく。

「私がヒルズパリスだが?」

 そんな風に名乗り出てくれればどんなにいいだろう。


 思った矢先——。


「なんだありゃ?」

 アキが二度見した相手が、まさにヒルズパリスだった。

 大貴族の御曹司は、手勢をつれてモノリスの塔を占拠しようとやってきたのだ。

「私の叔父上である盟主ブランアーモスの杖を盗んだ輩がここに来たと聞いてやってきた。中を検めたい」


 貴族ながら、馬上で剣を手繰る姿は騎士にも見える。

「お前は誰だ?」

 アマリアの衛兵にそう聞かれて、貴族は名乗った。

 配下の騎士は白薔薇騎士団と言って、ヒルズパリスの自慢の手勢たちを集めた部隊だった。それがヒルズパリスを取り囲んで侮蔑の言葉を付け加える。

「我ら騎士団はヒルズパリス様直轄である。この白薔薇の紋章が見えないか。野蛮な女戦士が、大貴族ブランアーモス様の御曹司の行く手を遮るか」

 これでその場はたちまち騒然となっていた。


「わかったら、そこを退け」

 冷徹なヒルズパリスの言葉には、違和感があった。杖を盗んだ人間を探しに来たというが、「これからは、モノリスの塔は我らの管轄とする」と宣言し、アマリアの戦士たちに断ることもなく、勝手に手下に入れと合図する。


「おいおい」

 アキは呆れた。


 アマリアの戦士が入り口を封鎖し、ヒルズパリスの白薔薇騎士団と対立したのは自明の理だ。

「貴族同盟の高貴なヒルズパリス殿とお見受けするが、これは一体どういうことか?」

 レンテレイシアは顔を出すなり、声を荒げた。

「叔父上の宝物を盗んだ者がいる。噂話には知っているであろう。このところ我らはずっとそれを探していたのだ。そして私は、それがここにあると確信している」

 聴衆の手前、ヒルズパリスは答えた。


「このところ世間を騒がせていた噂話は知っている。杖を盗んだ犯人がここにいるとでも言いたいのか? わたしは貴殿がアンドロメダ騎士団の団長や姫たちをさらっているという噂も聞いている」

 噂とは、さきほどナタやパーンから相談のあった内容だ。そのナタやパーンはどうやら隠れてしまったらしいが、レンテレイシアが質問するこの成り行きには注目していることだろう。


 レンテレイシアは、この機会にまずは事実をヒルズパリスに直接確認をしようと考えたわけだ。

 ヒルズパリスは否定しなかった。

「我らに徒なす者を懲罰するのは、我らの権利だ」

 言ってのけた。


「彼らが何をしたというのか」

 懲罰の根拠によっては、テンペスト神殿騎士たちにも危害が及ぶ。レンテレイシアは口元をきつく結んだ。

「理由をお前らに教える必要はない」

 今さら理由を考えるのが面倒だと、ヒルズパリスは言った。


「ここを退かなければ、お前らも懲罰の対象になる」

 とヒルズパリスは決別を口にしながらも、次には言い直すことになった。状況が傾いたからだ。彼の目の前では、非番だったアマリアの神殿騎士たちが集まり、遠くを囲っていた男騎士たちも距離を詰めている。白薔薇騎士団が如何に権力を持つとしても状況は悪化の一途だ。


「お互い言い合いをしていても時間が経つばかりだ。礼節にのっとって、一騎打ちを申し入れたい」

 ヒルズパリスが剣を抜いて、その切っ先を向ける。相手はレンテレイシアだった。彼女の態度からそれが騎士団を束ねる中心人物だと察したのだろう。


 ヒルズパリスの相手は、武装していても体の細い線がわかるような女性剣士だ。

 姿勢ばかりが良いだけで、体格はやはり女。負けるはずがないと思っただろう。

 そして一騎打ちであれば、相手が何人増えようともこの力関係が変わることはない。

 ヒルズパリスは鼻息を荒げた。


 対するレンテレイシアは静かに目を閉じて、それを聞いていた。

「レンテレイシア様、あたいがやるよ。あたいが死んでもあいつを追い返してやる」

 神殿騎士の取り巻き、その中でも一回り大きな女たちが声をあげるが、ヒルズパリスはレンテレイシアを指名している。

「これは貴族の威厳をかけた決闘である。誰でも相手にできるわけではない。その血筋を認めたから私はその者に決闘を申し込んでいる」

 誰でも貴族と戦えると思ったら大間違いだと、ヒルズパリスは豪語した。「決闘が怖いのなら、道をあけることだ」とも言葉を重ねる。


「好都合だ」

 皆はそこで見ていろと、レンテレイシアを右手で仲間たちを制していた。その右手は、ヒルズパリスに道を譲らないという意思表示でもあった。


「なんだと?」

 意外だとヒルズパリスは思った。綺麗な飾りのような女剣士がわざわざ殺されるために決闘に応じる理由を知らない。しかし剣を握りしめてレンテレイシアを睨むと、逆に背筋が凍えるような感覚があるのはなぜだ。

 少なくとも、相手は決闘に勝つことを夢みているだけの女だ。

「こしゃくな」

 ヒルズパリスの震えは怒りによって止められた。


「ちょっと待ってくれ」

 ここで声をあげたのがアキだった。「一騎打ちなら、俺の出番じゃないか。その喧嘩、俺が引き受けるぜ」と、まるでアキに都合のよい舞台が目の前に用意される結果となっていた。

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