第98話 オリンポス山に登れ
アキという男が決闘の肩代わりを申し出る。
だが、
「必要ない」
レンテレイシアの声は冷たい。
「俺たちはこの島を守る仲間じゃないか? 遠慮はいらねえよ」
アキは言うが、
「決闘を申し込まれたのは、私だ。モノリスの塔を守るのも神殿騎士の務めというものだ。あなたには関係ない」
レンテレイシアはつれない。
「俺だって、守りたいものを守りに来たんだ」
意地だと、アキは言った。彼が進み出ると、踏み出す戦士の迫力に、道を譲らない者はいない。いないはずだが、レンテレイシアだけは可憐な花が一輪その場所に残るように、澄ました顔だった。
「こうなりゃ、目の前で納得させるしかねえ」
続けてアキは、ヒルズパリスを挑発した。
「お前も男なら、女を相手にしようとするな。さっさと俺の前に出てこい」
名指しされた貴族は、舌打ちするしかなかった。声の大きな人間に、挑発されて黙っていては、貴族の名が廃るというものだ。だが応じてやるのも屈辱だ。
「誰かあいつの相手をしてやれ。興がそがれた」
乱暴者の相手をするのは、貴族ではなく戦士だ。
ヒルズパリスは背後の部下に命令した。白薔薇騎士団は貴族ヒルズパリスが抱える名門騎士団である。もとより大陸からの選りすぐった戦士で構成されていた。ゆえに、この騎士団の中で功績をあげることは、出世に直結するとも言える。
白薔薇騎士団、千騎長とも言える大柄な男が名乗りをあげた。
これで貴族にたてつく生意気な相手戦士は、どうなるか。
「血をみるぞ」
とヒルズパリスは笑って眺めるだけだ。
啖呵は、アキからだ。
アキは剣に手を掛けず、両手を広げて空を見上げるように群衆の前に躍り出た。
「俺はつい先日、オリンポスの山頂を目指して山登りしてきたんだが、ああ、ひどい雪だった。寒いなんてものじぇねえ。しかも目の前が真っ白になりやがる。話のネタになるかと思ったんだが、行くんじゃなかった」
「はあ?」
白薔薇騎士団の戦士もそうだが、ヒルズパリスも首を傾げた。何を言っているのか瞬時に理解できなかった。
「お前らはオリンポスの山に登ったことはあるか?」
言われて、対戦相手は、
「知らねえ」
と呟く。そんなことより、剣を抜けとでも言いたそうな目をした。
「俺が教えてやるよ」
アキは言った。「ここは見渡す限りの白い山々だ。辺りは一面吹雪いている。道を見失うと、そこは白い野だ。白い野は崖も沼も一面平らにしちまうんだ。どこが上で下かもわからねえ。だから踏み込めば、あっという間さ。底が抜けたようにバランスを崩して転落するぜ?」
想像してみろ。
「何が山だ。バカバカしい」
「さっさと殺せ」
ヒルズパリスは部下を叱咤した。騎士が戦わずに与太話をするなど、時間の無駄というものだ。
「何時間も歩けば、やっとだ。オリンポスの山頂が見えてきた。尋常じゃない寒さに頭の中も真っ白になりそうだ。余所見なんてするんじゃねえぞ。荒れ狂う風が頭も身体も奈落の斜面に引きずっていきやがるんだ、そこからは断崖絶壁ってやつだ。落ちれば命はねえ。俺たちがいるのはそんな山の上だ」
「だから何だ?」
こいつは頭がいかれている。
白薔薇の騎士は敵を指差し、振り返ってヒルズパリスに笑ってみせた。笑い者にしてやりましょうとでも提案したかったのかもしれない。
「だから」
アキは言ったのだ。
「余所見なんかするんじゃねえよ」
雪崩が起こった。
上から下へ、何かが流れて白薔薇騎士を呑み込んだ。歪んだ光が吹雪いた先で、轟音のようになって衝撃が足元から響いてくる。瞬きしたと思えば、あとには、大きな騎士の体が骸となって地面に転がるだけだ。
レンテレイシアは言葉を失った。騎士として鍛錬を積んだからこそ、わかることがある。
アキは剣を取って、切り払ったのだ。素早く。そして最大威力の剣撃を叩き込んだ。
だが、振りかぶる素振りはあっただろうか。
剣を振るのに威力を持たせたいなら、大きく剣を引いてから勢いをつけるものだ。
それがなかった。
「次の奴、前にでろ」
アキは大きく口を開けた。「いや一人じゃ面倒くせえ。全員でかかってこい」という具合に。
これはヒルズパリスには屈辱の言葉になった。
「貴様っ」と声が出て、すぐにでも報復を与えたいが、見渡す限り白薔薇騎士団の面々には怯えた表情しかない。誰が前に出ても、同じようにして殺されるだろう。もちろんヒルズパリスが剣をとっても同じことだ。貴族の庭で戦うのなら、どんな勇猛な将軍も貴族に勝つなんてことはしないが、そこでは違う。
「覚えていろ」
歯ぎしりから震える声になったのをヒルズパリスは自覚した。自身もアキを前にして震えていた。
白薔薇騎士団の撤退。それ以外の幕引きはなかった。
「貴様らが、貴族同盟に逆らったことの報いは必ず受けさせてやるぞ」
これが味方騎士に隠れるように場を退いたヒルズパリスの捨て台詞だ。
「なんだそりゃあ、仕返しにでも来るつもりか?」
アキは貴族の背中を見て笑う。「というわけらしい」とは、レンテレイシアに向き直ったときの彼の言い訳だった。「あいつらがまた来るようなら、俺を呼びな」
その時は守ってやると言いたい。
この戦士の背中は広い。
「貴族同盟軍の勇猛なパレードを見たが、それとは違って貴族連合の騎士は頼りないと思っていたが、ふうん――」
レンテレイシアは思う。
まともな騎士もいるじゃないか。
「あぁ」
そして、壁の向こうに隠れていたパーンは項垂れるのだ。ナタも同様だろう。
「なんで俺は騎士であるのに、隠れて居なけりゃならないんだ?」
本来なら、そこに立つのはアキではなく、パーンでなければならなかったと彼は考える。だからこそ、余計に恥ずかしい気持ちだと心情を吐露した。
同じようにモノリスの塔で暗がりに隠れるナタは、
「仕方ないだろ。ヒルズパリスが杖を探しにきたんだ。見つかるといろいろとやばい」
冷静だった。
「それで、あいつらは杖を諦めて帰ったか?」
迷宮トラップで痛めた体が動かないと、パーンは首を伸ばした。白薔薇騎士団が去っただろう場所はすでに物静かだ。
「その前に」
ナタは考える。「なんで、あいつら俺たちがここにいることを知っていたんだ?」と。
「誰かがあいつらにばらしたのか」
パーンにはわからない。「あるとすれば、神殿騎士たちか? しかしケリュケイオンのことは話していないはずだ」というくらいだ。
ただ同じ場所にしゃがみ込んでいたリッリには思うところがあるだろう。
「杖を取り返しに来たのに、ガサ入れだとか騒ぎよって。我らがいることを知りならば、素直に杖を出せと言えば良き。それがないということは、杖は方便とみたり」
「ん?」
「杖を取り戻すとか言うて、他の物を盗りに来たと見えり。つまり杖を出せと言っても、出せないことがわかってりや。なりゃ、あとは強引に杖を探すふりをして、別のものを探しやり」
「他のもの?」
ナタは吐息をひとつ。
「すまん」
パーンは「神殿騎士が裏切ったかのようなことを言って悪かった」とそこを謝った
リッリはこの時まだ決断できてはいなかった。
とは、
「神殿騎士が味方かどうかはまだ観察してみなきことにはわかりぬ」だ。
ナタはまだ正体を神殿騎士たちには明かしていない。これは相手が味方か敵かがわからないからだ。
「どういうことだ?」
「パーンには言うてなきが、ヒルデダイトが単独でイザリースを落とせるはずもなき。協力者がかなりいると見や。ひとつ見分ける手段があるとすりゃ、協力者はヒルデダイトと仲が良い。つまりヒルデダイトの侵攻が及んでいない場所は怪しかろ」
「ヒルデダイトが襲っていない場所があって、そこに居る奴らはヒルデダイトの協力者だってことか」
「アマゾンの中にあって、ヒルデダイトに襲われて無きやは?」
「アマリアか」
パーンは呟いた。神官たちが加勢に出張ってくるということは国はまだ無事で侵攻される気配がないということ。
ただナタは違う想定もしている。
「アマリアはイザリースからは遠い。オーディンが常駐しない場所だ。ヒルデダイトが後回しにしているだけということも考えられる」
「敵だった時が怖きや、それの名前やシロの場所まで特定されれば、たちまちヒルデダイトが全てを火の海にしやり」
「確証がないのが辛いな。あいつらが敵か味方か、どうやって確かめればいい?」
ナタはもうしばらく口を閉ざすだろう。
それはそうとして、さし当たっての脅威は外にいるヒルズパリスだ。
「ところで、ヒルズパリスは一体ここに何をしに来た? 何か探しに来たのか」
それがナタの次の関心事だった。
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