第96話 風変わりな男と神殿騎士

 大貴族であるブランアーモスの眷属が街を闊歩すれば、アンドロメダ騎士団は隠れることしかできなかった。リュデック騎士団長が捕まった今となっては、その隠れ家にも監視の目がついている可能性が否定できない。ゆえに現在ナタたちが身をよせる薄暗い部屋は、街からさらに離れた場所にある。


「ねえ、貴族たちと交渉しにいかないの? アンドロメダ騎士団の人たちずっとその交渉でヘレネブリュンさんを取り戻すの期待して待ってるんだ。僕、もう見ていられないよ」

 ヘルメスは時々外に出ては、部屋に閉じこもるナタに詰め寄った。

 ナタはこのところ動かない。怪我をしたパーンや、薬を作るリッリの姿を見ながら敵を警戒していた。

「パーンが怪我してる」

 置いていけないというのがひとつめの理由だ。

「パーンも行ってくれって言ってなかった?」

「最悪の場合は、船で逃げる算段だから、ユッグ・ドーが戻って来ないと動けないだろ」

 それがふたつめの理由だった。


「でも、こうしてる間にもヘレネブリュンさんは……」

 ヘルメスはそこで口を閉じた。結局のところヘルメスが焦る理由は、少年たちが囁く言葉にある。オレシオやピュロスはあることないことを想像して震え上がり、ヘルメスをせっつくのだろう。

 ナタにもそれくらいのことは理解できた。


 結局、

「ヘレネブリュンがどこにいるのかがわからないし、向こうに何人の護衛がいるのかわからない。せめてそれくらいのことがわかれば、他にも作戦がたてられそうだが」

 ナタはため息をつくだけだった。


 そんな時だった。

 大貴族が動き出したという情報があった。


「大貴族の連中が明後日にパーティを開くらしい。盛大な祝い事だそうだ。みんなそう噂してる」

 騎士団の少年兵がヘルメスを追いかけて来ていた。ヘレネブリュン親衛隊を名乗ったオレシオという兵士だ。「貴族同盟の奴ら、ご自慢の軍事パレードに拍車がかかっていて」と疲れた声で彼は続けた。


「こんなんじゃ貴族の別荘にも船にも近づけない。どこにヘレネブリュンさんを監禁しているのか、まるでわからない。俺たちは早くあのひとを見つけなければいけないのに」

 少年たちが攫われた姫を探そうにも、街にいる騎士団は敵だ。軍事パレードを眼前にして弱小騎士団の出番はない。せめて彼らに見つからないように街を徘徊するのがオレシオの精一杯だった。


 そんな少年兵を見て、ナタは尋ねた。

「祝い事って何だ?」

 すると返事は次の通り。オレシオが答えようとすれば、ピュロスが答えて、それをオレシオが否定する雑談のようなやり取りだ。

「知るかよ」

「あいつらいつもパーティしてるんだ」

「それとは違うんだって」

「じゃあ何か特別にめでたいことでもあったのかな?」

「めでたいことなんて知らねーし」

「ヘレネブリュンさんを攫っていった連中って、ヘレネブリュンさんと結婚しようとしているんだよね?」

「アホか、それとは違うんだって。そんなの俺が絶対緩さねー」

「パーティってそういうことなのかな?」

「それ以上言うな、言ったら殴る」

 オレシオは腕まくりをして、ピュロスにつかみかかっていた。


「喧嘩はやめろ」

 と慌ててナタが少年たちを押さえなければ誰かの頭にたんこぶが出来ていたことだろう。


「パーティが開かれるなら、貴族たちが集まる可能性がある」

 通りを往来する騎士たちを横目に、ナタは思う。

「結婚式をするにしても、みんな呼ばれるのが普通だよね。もともとみんな集まってるんだし。結婚式じゃなかったとしても、みんな集まると思うよ。それこそ貴族はプライドを大切にするからさ」

 ヘルメスはオレシオを警戒しながら、その言葉を紡いだ。前のめりになるのは、これが具体的にヘレネブリュン奪還作戦になるかもしれないと思うからだ。

「ヘレネブリュンもそのパーティに出てくるかもしれないし、彼女を攫った連中もその時だけは彼女から離れてパーティには参加するかも」

「そうだよ。ナタが言う通りだ。パーティが開かれている時がヘレネブリュンさんを取り返すチャンスってこと」

「それは事前に彼女の居場所がわかっていればだろ。最悪パーティに出てきたヒルズパリスとかいう奴をつけていけば、彼女の居場所がわかるかもしれない」

「それでもいいよ。今よりはずっとマシさ」

 ヘルメスは希望を得たと明るい表情になっていた。


「最後のチャンスだ」

 このとき、パーンが足を引きずりながら出てきた。「その時は俺も行く」死んでも体を動かしてやると言わんばかりに唇を噛みしめる。

「パーン……」

 ナタにも止められない男の意地がそこにあった。


「全てが俺が不甲斐ないばかりに起きたことだ。俺が責任をとる」

「無理はするな。身体が治ってからでも責任を取る方法はあるよ」

「貴族同盟の連中が集まった目的は、ここで決起集会を開くことだと言われている。それが終われば、あいつらはそれぞれの国に戻っていくだろう。俺たちに時間はない」

「今度のがそのパーティってことか?」

「それはわからないが、時間が有限であるのは事実」

 パーンは迷わなかった。


「パーンだけじゃないぜ。俺たちもやるときはやる。俺もピュロスも剣くらいはできるし、ヘレネブリュンさんから数学だって教えてもらっているんだ」

 少年も集まれば騎士だ、とオレシオは威勢を吐いた。


 全員が無理に無理を重ねるのがアンドロメダ騎士団だった。彼らの熱い気持ちはナタにも止められない。


 だがナタが想定しているのは、

「やるとしたら俺とシェズとミツハで走る」ことだ。

「俺たちは?」

 とオレシオが憤慨するのも当然か。

「相手は騎士だぞ。腕がない奴が出て行けば殺されるだけだ。少人数でできるだけ見つからないようにやるのがいいだろ」


 かくして、

「お前ひとりでヘレネブリュンさんを助けようってのかよ。そんなのムシが良すぎるんだ。あの人は俺たちのものだ。俺たちで助ける。どこの誰だかわからないような奴が、良いかっこして横取りしようとするんじゃねえよ」

 そんな言葉がオレシオから出る騒動になっていた。ヘレネブリュンに憧れるオレシオのような少年にとっては、彼女を攫った貴族も敵だが、それを助けようとするナタも恋敵という敵なのだろう。

「ナタさん、あんたも大貴族を甘く見過ぎている」

 そんなパーンの声で場が静まり返るまで、部屋はぎくしゃくした雰囲気だったかもしれない。


「しかし、パーン。あんたはそれなりに強いが怪我をしている。その身体で走るのは無理だ」

 ナタは冷静に考える。それでも言うべきところは言わなければならない。パーンや、オレシオが出てきたところで、貴族たちと戦うことなどできるだろうか。


「神殿騎士たちの力も借りようと思う」

 パーンが出した結論がそれだった。


「神殿騎士?」

 ナタには聞き慣れない言葉だ。「クレタ島の神殿を警護している連中がいるのか」と言えば、そうではない。

「いや、クレタ島のではない。クレタ島の王が、アマゾンから呼び寄せた神殿騎士たちが来ている。彼女たちは調和のために来ているから、貴族同盟の味方というわけでもない。だが、スパルタの姫が攫われたということなら、彼女たちも調和のために協力してくれるかもしれない」

「神殿騎士?」

「アマゾン海にアマリアの国があって、そこにヒッポリュテの治める大神殿がある。そのヒッポリュテを守っているのが神殿騎士たちだ」

「知っている。ヒッポリュテとか言ってるが、ヒモリテのことだろ。神殿騎士って、あそこのヴァルキリーたちが来ているってことか」

「神殿騎士たちだが」

 パーンはすこし驚いた様子だった。「知り合いか?」と疑問はすぐに出てくるだろう。


「いや、俺は直接会って彼女たちと挨拶したことはないけど、知り合いからはいろいろ聞いたことがある」

 イザリースにおいて、ナタは役職をまだもらっていなかった。だからこそヒモリテやヴァルキリーたちに会う機会はない。

「僕たち丁度アースガルドに行く途中だったんです」

 ヘルメスは、「まさか向こうからこっちに来ている人たちがいるなんて思いませんでした」と嬉しそうに言う。


「アースガルド?」

 パーンはもう何がなんだかわからない様子だった。これには少しばかりヘルメスの説明が必要になる。

「アースガルドわかります?」

「それもアマゾンのひとつか?」

「アマゾンってどういう意味か知ってましたっけ」

「アマゾンはアマゾンだろ」

「アマゾンって、アマの領域って意味です。領域をゾノとかゾンとか言います。ギリシャだとゾネって言ってますよね。だからアマゾンもアマゾネもアマの国の領域ってことですよ。アマゾン海だとアマの領域海です」

「あの海の周辺、全部アマとか言う国だっていうのか?」

「はい。アマの国の真ん中にイザリースがあって、第二の都市がアースガルドです。アマリアはさらに辺境の都市になります」

「アマリアが辺境の都市?」

 パーンは何が何だかわからない。


「アマリアってよく女王の国って呼ばれますけど、居るのはヒモリテっていう巫女です。イザリースみたいにオーディンがいないでしょ。根の国、つまり首都じゃないんですよ。あそこ」

「ちょっと待て、首都じゃないのに、大神殿があるのか?」

「その大神殿って創造主の印とかありますよね?」

「そう、創造主の言葉をもたらす者たちがアマリアの神殿騎士だ。だから調停役をしている」

「その創造主ってアマリアにはいないでしょう? 創造主がいる場所が首都というか、根の国です」

「創造主がいる場所か。なんかとんでもない話だな」

 パーンは遠い目をしながら、「まるで神話の世界のエデンの話を聞くような気持ちだ」と呟いた。


 それこそ話が繋がる瞬間だった。

「そのエデンって、イザリースの別名ですよ。そこであってます。イザリースは直接外国と取引しないですからね。ギリシャと交易するのはアマリアがやっていたはずです。だからパーンさんが知らないのも当然なのかもしれませんけど」

「エデンの創造主。アマリアの神殿騎士たちが仕えているのも同じ創造主だったのか」

「はい」

「じゃあ、お前たちはその、アマリアに行くところで、アマリアの神殿騎士たちとは顔見知りだっていうのか」

 パーンは再度ヘルメスの言葉に頷いた。


「顔見知りっていうか。僕は一度も会ったことないんですけど。それでも仲間っていうか」

 ヘルメスはここでしどろもどろになる。会ったこともない相手が味方かどうかなんてわからない。


「ナタやヘルメスがいるなら心強い。彼女たちの力を借りたい」

 パーンには他に頼れる者がいなかった。

 貴族同盟の敵であるところの貴族連合にも問題が多い。まずは貴族連合の権力者であるミュケルナーやスパルタの王たち貴族は、ヘレネブリュンが嫌っている通りで一癖のある者ばかり。勝手にヘレネブリュンの夫になっていたりする。パーンとしては、これ以上彼らに振り回されたくはない。


 かと言って、街ですれ違う兵士たちの質にも問題があった。

 貴族たちがこぞって騎士団を立ち上げているが、もともと騎士が余っているわけではない。だからその中身は、農夫であったりならず者であったりする。


 たとえば、ふらふらとモノリスの塔にやってきた、その男だ。


「女だらけの国から来た騎士団とはこいつらのことか。男より凶暴だとか、未開の民族だとか聞いていたが、なんか拍子抜けだな。意外にまともだ」

 乱れた金髪をそのままにして男は口笛を吹いて、アマリアの神殿騎士たちに挨拶をする。彼がもっぱら話しかけるのは友人となる隣の男で、こちらは姿勢良く構えたまま神殿騎士には見向きもしなかった。

 これは、

 ナタとパーン、リッリが中心になって、日暮れの頃にモノリスの塔を訪れた時のことだ。

 

 場所は変わって、ナタとパーン、それにリッリはモノリスの塔を訪れていた。隣接する騎士団の事務所がアマリアの神殿騎士たちのものだった。

「神殿騎士殿とお見受けする、そちらの騎士団長に相談があってきた。俺はアンドロメダ騎士団の副団長パーンだ」

 神殿騎士に申し入れをすると、貫頭衣を着た女兵士が対応に出てきた。神殿騎士装束と呼ばれる白色を主体にした法衣の神官だ。

「アンドロメダ騎士団なら、リュデックという方が騎士団長でありましょう。騎士団長でない者を直接こちらの騎士団長、つまりは大神官様に引き合わせることは――」

 パーンは闇にまぎれるような格好で、しかも怪我をした騎士だから足を引きずる状態だった。怪しいと言われても仕方ない。


「その騎士団長が貴族同盟軍の手の者に攫われてしまったのです。貴族同盟の襲撃にあって、俺もこのざまだ。それについて相談したいことがあるのです」

「攫われたとは?」

「貴族同盟の連中に連れて行かれたのです。俺たちの騎士団長と姫が。俺たちで探しているのですが、どうにも俺たちだけでは手に負えない。騎士団長と姫をすぐに連れ戻したいのです」

「アンドロメダ騎士団と貴族同盟の間にどんなトラブルがあったのでしょう」

 攫われたと言ったところで、アマリアの神殿騎士のほうは未だ半信半疑だった。


「偶然顔を合わせただけだ」

 パーンは憤った。「俺たちは必死になって、仲間を探している。あいつらは姫を見ると目の色を変えていた。スパルタという国の姫で、ヘレネブリュンという人だ。男が女を攫うのに他に理由などあるか」

 大柄な戦士が瀕死の傷をいきなり負わされて、姫がさらわれていく状況。アマリアの神殿騎士たちには共感できる内容だっただろう。


 女性だけの軍隊や国というものは、外の世界では嘲笑の対象になる。男の態度は状況次第で獣に変わる。だからこそ、ここに神殿騎士団がいた。女性を狙う男を許す彼女たちではない。

「すぐに大神官を呼んで参りましょう」

 そんなやり取りがあった。


 黒いモノリスの塔が星のない夜空と同化する真下で、灯火にゆられる闇と光があった。不穏な空気は最初からそこにあったのかもしれない。

 そんな時、その男が現れた。


「なあ、女王って奴は来ているのか、どんな美人だか見てやろうと思っていたんだ」

 ならず者だろう男はアマリアの警備兵に睨まれるとへらへらと笑った。


「盗み聞きしたわけじゃねえけど、俺は貴族同盟のほうじゃないぜ。つまり敵じゃない」

 男は味方だと言う。

 彼の印象をパーンは語らないが、ついてきたオレシオは膝をわらわせていた。

 敵かと一瞬思えば、騎士なら相手に構えるだろう。たとえ手が動かなくても気持ちはそうなる。そんな気持ちをオレシオがその男にぶつけた瞬間にはもう折れた。


 相手の男、名をアキと言う。


 アキはこの時恋をしていた。

 美女に会いにきて美女に会うなら、それは運命の神の思惑通りだ。誘惑する美女なら世の中に無数にある。毎夜のそれを恋と呼ぶのなら、今日のことを彼は何と呼べばいいのか。


 ここには未知の民族との邂逅を求め、見聞を広めるために来ただけだった。


 女だけの部族が世の中にいて、貴族連中相手に張り合っているらしい。せっかくクレタ島まで来たのだから、見に行ってみよう。そんな気持ちでアキという男がいたところ――。


 神殿騎士の装いの異なる三人が隣の宿舎から歩いてきた。

 なぜ、この時代のこの場所で彼女たちが女性だけで国を造れたのか。知らない人間は皆それを知ることになる。


「アマリア神殿騎士団、テンペスト大神官、レンテレイシアだ」

 凜とした声で名乗ったのは、鉄の胸当てに白いローブをマントのように羽織った美しい戦士だった。神殿騎士の正装であろうが、両端に立つ同様の戦士が七枝の燭台で照らすのだから、それは夜の中で幻想的な白になる。

 しかも若い。

 レンテレイシアは、アマリア大神官の中でも最も若く美しい。何より強かった。


 アキが不用意に近づいた時に、周囲の騎士たちは身構えた。そこにはどこかオレシオと似た震えがあったが、レンテレイシアにはそれがない。


「お前がわたしに用事があると言うアンドロメダ騎士団の者か」と逆に聞き返してくる所作は威風堂々としていた。

 アキが心惹かれたのは、彼女が美しいからだけではないだろう。異端だからだ。


「アンドロメダ騎士団? それは俺じゃねえ。なんだか騎士が集まっているっていうから、応援に来てやったんだ」

 アキは投げやりな言葉で返した。

 アキは好きでクレタ島に来たわけではない。もともと住んでいたところの地元貴族たちは、この強すぎる奔放な男に困っていた。そこでクレタ島の件を利用して彼を遠地においやったのだ。


 美しい女性剣士が敵地に乗り込んでくるところにも同じ空気がある。

 権力者なら、自ら危険に跳び込むようなことはしないだろう。異端だからこそ、危険な場所に派遣されている。

 そしてアキはレンテレイシアの横顔を見た。


 とはレンテレイシアはこの時アンドロメダ騎士団と向き合っていた。


「俺がそのアンドロメダ騎士団副団長パーンだ」とイノシシ顔の男が名乗り出れば、アキは彼女にとっては路傍の石も同然だ。レンテレイシアの目には映らない。


「おい」

 石はそこにある理由を考えない。アキは騎士団のいざこざに興味はないと言った。そうなると、おそらく彼女は、石とアキを区別しなくなるだろう。


 これは言い方を間違えた。

 どんな言い方ならば、アキは、レンテレイシアの気を惹くことができただろう。


「あきらめきれねえ」

 他に方法があるはずだとアキは思う。

 レンテレイシアとパーンたちがモノリスの塔に消えてしまうと、ひとり外に残されたアキは腕を組んで考えることになった。

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