19 フォニーと守護天使
もちろんマイコだって学校から出る宿題はちゃんとやってる。ママとの約束だ。でもそれ以外のことは本当にうるさく言わない。
「今の子供は忙しすぎる。おかしいよ。もっと自由でなくちゃね」
そういうパパの考えもあり、やれ塾だ、おけいこ事だと言われることもない。もともとマイペースなマイコは、お友達と一緒に同じ塾に通いたいということもまったくない。だからおうちで好きなものを食べ、楽しくおしゃべりし、好きな本を読んだり、得意なイラストを描いたりしてゆっくりしていることが多い。だからこそ妖精と触れ合う時間だってたっぷりとれる。その水曜日も、マイコはいそいそと秋島バラ園のレベッカに出かけて行った。ところがその日のレベッカはとても食欲をそそる匂いで満ちていた。
「ああ、今お父さんがカレーに使うビーフシチューの仕込みをやっているのよ」
角切りにした牛のすね肉を、オールスパイスと塩コショウで良くいためて焼き目をつけ、ワインと熟成した甘いバルサミコ酢でコトコト1日煮込むのだ。一緒に玉ねぎ、にんじん、セロリを煮込むので、実はこれだけでかなりおいしいという。トロトロにできたら小分けにして冷凍し、それを毎日カレーソースと合わせるのだと言う。
「カレーソースの方は煮込み過ぎるとスパイスが飛んじゃうから、毎日新しく作ってるのよ。うちはトマトと8種類のスパイスを使ったオリジナルカレー、それと、ビーフシチューを、ささっと合わせてお客さんに出してるの」
そういえば、パパとママがおいしいと言っていたレベッカのナポリタンとカレーライスはまだ食べていない。それを言うと。
「あら、そうだったわね。でもお夕食の前に食べてもらうのも…」
結局今度の土曜か日曜にママともう一度来ることになった。それから数日マイコはカレーを食べるべきか、ナポリタンを食べるべきか、本気で悩むこととなる。
さて、お茶とクッキーの用意をして物置に行く。今日は深紅のバラの小さな花束が飾ってある。
「こ、このクッキー、ただものじゃない…?」
マイコは直感した。なにが違うのか?塩と砂糖のバランスか、使っているバターやクリームが違うのか、それとも特別な隠し味が入っているのか…?
まあ、わからないけど、とにかくおいしい、ミリアの手作りだと聞いて二度びっくりだ。
「そんなにおいしい?よかった。実はお母さんが生きていた頃、妖精に教えてもらったレシピが残っていてね…、それで作ってみたの。やっぱりおいしいわよね」
これは納得だ。でもこのドールハウスにはキッチンの部屋もある。そのうちおいしい出来事がありそうで何かワクワクしてくる。
「あれ、コレクションボックスが光り始めたわ。ミリアがさっそく持ってみると、今までになくずっしり重い。一体何が入っているのだろう」
蓋を開けると、一斉に可憐な音色が響きだす。
「わあ、すごい、これってオルゴール?楽器?不思議なものがいっぱい並んでるわ」
するとあのヨーロッパ風の落ち着いた部屋に指揮者のような礼服姿の妖精が現れた。髪の毛が少し長く、女の子のようにも男の子のようにも見える。
「ようこそ私の部屋に。私、はフォニー」
フォニーは、青い光沢を持つ、きらびやかなモルフォ蝶の翼を持っていた。
「ええっと、フォニーさんのコレクションは、オルゴールでいいんですか?」
「ふふ、ごめんなさい、わかりにくいコレクションで。そうねオルゴールもあれば楽器もある。でもまとめて言えば魔法楽器ってところかな」
ぜひ部屋に来てほしいと言うので、マイコとミリアは木の人形を出し、妖精と同じ大きさになると、あの落ち着いたヨーロッパ調の部屋に入って行った。
「わあ、立派な家具、座り心地もよさそう」
「まあ、ぜひくつろいでほしい。さあ、私のコレクションよ、集結せよ!」
フォニーの言葉で、色々な魔法楽器が空中をすべるように舞い、テーブルやワゴンの上に着地した。先ほどまではコレクションボックスに入っていた小さなオルゴールほどのものが、マイコ達がちっちゃくなったので、ひとかかえもある立派な楽器や機械に見える。
「わあ、この楽器何?ヘビみたい?!」
「ヘビの形をした蛇笛だよ」
そう言ってフォニーは蛇のしっぽを口にくわえて、尻尾を縮めたり伸ばしたりしてメロディを噴きだした。するとヘビの首のあたりが音楽に合わせてにょろにょろ動いたり、舌がちょろちょろ伸びたりし始める。どんな魔法がかかっているのか、動きが妙にリアルだ。
「た、楽しい!」
次にフォニーが取り出したのは、ケースに並べられた小さな金属のバッチみたいなものだった。
「これがストラトス・ゼルキンの白魔術の1つ、精霊の紋章だ。こっちが風の精霊の紋章、
こっちが水の精霊の紋章」
そしてフォニーが次に取り出したのは2つの不思議な魔法楽器だった。1つは浅い水槽の上に小さな屋根がついたような雨だれのリズムボックス、そしてもう1つは長さの違う縦笛のようなものが何本も何本も小箱から伸びている春風のオルゴールだった。
フォニーはまず、テーブルの水差しを持って、リズムボックスの水槽の中に慎重に水を注いだ。さらに水の精霊の紋章をはめ込んで何か呪文を唱えた。
「あら不思議、水槽の水が小さな屋根に昇って行くわ」
そして屋根に水が流れると、それが雨誰になって水槽に落ちて行く。それが一定のリズムを刻み、さらに水槽の中に大きく響き、なんとも心地よいのだ。
風の精霊の紋章をはめ込んで呪文を唱えると、今度は春風のオルゴールの周りで風が渦巻き、笛が順番に鳴り始め、雨だれのリズムの上に素朴で優しい風の縦笛のメロディーが重なっていく。マイコとミリアはおしゃべりも忘れて、その音に聞き入っていた。
「気に言ってもらえたようですね。じゃあ、次はアルラウネと呼ばれる自動人形をお見せしましょう」
フォニーは魔法楽器の中からひときわ大きな箱を開けると、中から2体の黒い人形を出した。ミリアが目をみはった。
「不思議な人形、でも、エレガントでとても美しいわ」
アルラウネ、蜘蛛という名の2体の人形はシンプルでスリムだが、手が左右に3本ずつ、計6本もあった。そして1体をハープの前に、1体をオルガンのような楽器の前に座らせた。
「ただし、楽器はオモチャのように小さいけれど、魔法で本物と同じ音が出るのさ」
本物と同じ音?どういう事なのだろう。
「じゃあ、演奏を始めるよ」
フォニーが呪文を唱えると、それぞれの6本の腕が、しなやかに、精妙に動きだし、ハープの弦が響き、そこにパイプオルガンの戦慄が重なって行く。
「すごい、ハープも優雅だし、オルガンは、教会や音楽ホールにあるパイプオルガンのような重低音で鳴り響いている」
ミリアが驚いた。それにしてもなんと見事な演奏、からくり人形とも思えない。ハープは波打つように響き、パイプオルガンの厳粛な響きが、おごそかな雰囲気を作り出している。マイコとミリアはアルラウネ達の自動演奏に静かに聞き入っていた。だがその時だった。
「あれ、この風景、前に見たことがあるような…」
マイコはフォニーのヨーロッパ風の部屋でテーブルに月、部屋の中を見ていたはずだった。ところが、ふとふと上を見て驚いた。いつの間にか天井が消えうせ、果ての無い空が広がっているではないか?!そしてパイプオルガンとハープが鳴り響くその空にはオーロラが揺れ、その上に、青い星がきらめいている。
「あ、流れ星!」
キラキラ光る金色の流れ星が目の前に落ちてきて、すごい勢いで光り出した。
「ま、まぶしい!!」
ところがその光の中に、何枚もの翼を持つ輝く人の姿があった。
「まさか…あなたは…?!」
するとその輝く人は、何か一言マイコに呼びかけた。ところがその一言に本の1ページほどの物語や意味が込められており、一瞬でそれがマイコの心に流れ込んできた。
「わかりました。引き受けます。いいえ、やりとげます」
いつも眠いマイコの頭の中が、生まれて初めて完全に目を覚ましたようなはっきりした感覚の中、マイコは輝く人の問いかけにしっかり答えた。
「あれれ…」
気がつくとマイコはフォニーの部屋の中でほんの2、3秒ほど気を失っていたらしい。フォニーもミリアもマイコを心配して顔を覗き込んでいたが、すぐに目を覚ましたので安心して喜んでいた。
「よかった…。マイコちゃん、なにかあったの?」
でもなんていうこと、気がついたマイコの頭はまたいつも通りのまどろみのとばりの中に落ちていき…。
「ごめん…、今、誰かにとても大事なことを言われて。やり遂げますって答えたのはおぼえているんだけど…。肝心のところが思い出せなくて…」
いったいどういうことなんだろう、でもその話を聞いて、フォニーは笑った。
「今、アルラウネ達の演奏にこたえて響いてきた聖なる波動は、守護天使様の波動だった」
「えっ、守護天使様…?」
「まちがいないわ。守護天使様はマイコちゃんの心の奥に直接話しかけてきたのよ。だからその肝心なことはもうあなたの魂にしっかり刻まれている。だから決して忘れることはないわ。そしてあなたの決意も。時とともに自然にほぐれるように思いだすことでしょう」
そう言われると、そうだと確かに思える。マイコはフォニーにお礼を言って、その日はミリアの手作りクッキーをお土産にすがすがしい気持ちで家に帰って行ったのだった。
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