14 秋島邸バラ園
翌日、日曜日は朝から晴れあがっていた。
「あれ、これって…」
庭に出たマイコは、昨日までの雨でできた水たまりに、青い空と流れる雲が映っているのを見つけて、ほほ笑んだ。ママは朝から洗濯物と掃除に気合いを入れ、やがて遅めの朝食が終わると、さっそくバラ園に電話してくれた。
「…ええ、そうなんです。うちにドールハウスを買いたいと怪しい男が来たもので、 警察にも来てもらったんですよ。そうしたら、娘がそちらにドールハウスがあると聞いたと心配しているので…ええ、わかりました」
するとママは携帯をマイコに渡してこう言った。
「…バラ園のお姉さんが、マイコとお話がしたいんですって…」
ものおじしないマイコはすぐに電話に出た。
「…はい、もしもし、マイコです」
するとやさしそうなお姉さんの声がマイコに問いかけた。
「ねえ、マイコちゃん、1つだけきかせてくれるかしら…」
「はい」
「うちの物置にドールハウスがあるって誰から聞いたの?」
急にそんなことを言われて、マイコは普通にこう言ってしまった。
「はい、妖精の仲間から聞きました」
言ってから、まずかったと思ったが、もう取り返しはつかない。
「妖精?!」
お姉さんは驚いて聞き返した。
「はい…妖精です」
それから少しの間、電話の向こうでは音がしなかった。まずかったかしら、妖精なんて誰も信じないよね、もっとうまく言えばよかったと思った時だった。
「よく言ってくれたわ。あなたの言う事は信じられそうね。じゃあ、今日の4時過ぎなら手があくから、その頃カフェに来てくださいな。私の名前はミリア、秋島バラ園のカフェ、レベッカの店長やってるわ」
そしてバラをゆっくり見たいと言うママの意見を聞いて、昼ごはんを食べると、マイコ達は1時間以上早く家を出たのだった。
秋島邸バラ園は、大正時代に建てられたお金持ちの別荘で、イギリス人が設計したと言う広い庭園が市に寄贈され、今では市民の憩いの場になっている。
「わあ、本当だ、こんな家の近くにバラがいっぱい咲いていたなんて知らなかった」
バラ園は大きく3つの部分に分かれている。入り口で安い入園料を払って、左側の順路を進むとまずは世界のバラのコーナー、原種に近い素朴なバラから、珍しい品種、青いバラや大きなバラまでありとあらゆる種類が咲き競っている。撮影マニアの団体や、インスタねらいの若者達まで撮影しまくりだ。奥にはバラの小道が続いている。小さなせせらぎや滝が水音を立て、バラのアーチやバラの壁、バラに囲まれた噴水の周りを歩いて行く素敵な歩道がある。犬をつれた人が何人も歩いていた。そして小道を抜けるとそこがカフェになっている。オープンカフェになっていて、店の外のテーブルではバラの中でお茶を飲めるし、店の中では古い調度品に囲まれた落ち着いた雰囲気でランチも味わえる。お土産コーナーも併設していて、バラの鉢植えなどを買って帰る人も多い。
世界のバラをゆっくり見て、バラの小道をワクワクしながら抜けるとそこが約束のカフェ、レベッカで、そろそろ時間になっていた。今の季節は午後5時に閉園で、そろそろお客さんも帰り支度で、お土産を買っている人も多かった。
「あのお約束の電話をしました橘と申します」
お土産コーナーでバラの鉢を片付けていた優しそうなおじさんにママが話しかける。
「ああ、橘さんね、お待ちしていましたよ。ちょっと待っていてね、娘のミリアに今店の様子を聞いてくるから」
黒いエプロン姿のおじさんは店をさっとのぞくと、にこにこしながら出てきて言った。
「よかった、ちょうどお客さんが終わったそうだ。すぐ来てくれってさ」
落ち着いた調度品、木製のテーブル席からは咲きほこるバラが良く見える。店のあちこちにはバラを描いた油絵、そして棚の上には誰だろう、女の人のフォトスタンドが立っている。
「いらっしゃいませ」
中のカウンターには、すらっとしたショートカットの若い女の人がいて、二人を温かく迎えてくれた。
「とりあえずお茶でもどうぞ、マイコちゃんはココアはどう?」
「はい、大好きです」
ママが紅茶を飲みながら言った。
「この間、パパと来た時はね、ここの名物だって言うナポリタンとカレーライスを食べたんだけど、ナポリタンはよく炒めてケチャップの酸味を飛ばしてあるし、カレーはビーフがトロトロなのにさらっと食べやすくて、パパがうまいってうなっていたわ」
「ええ、今度来たらマイコも絶対食べるから」
「ありがとうございます。うちの父の自慢の料理で、特別の手作りケチャップを使ったり、カレーの肉は、別にビーフシチューをつくってからカレーソースで合わせてるんですよ。
「このココアもクリームたっぷりで、すんごくおいしー!」
マイコがあっと言う間にココアを飲んだのを見ると、ミリアが言った。
「じゃあ、マイコちゃん、裏の物置に行きましょうか」
ママに送り出されて、ミリアとマイコは、裏から店の外に出た。
「こちらへどうぞ」
マイコは驚いた。物置というより、小さな一戸建てだ。しかもしっかりした扉を開けると中はベッドこそないが、テーブルセットや小物入れもあり、高級ホテルの部屋のようだ。床も家具もピカピカで、カーテンを開ければ、バラの小道や噴水が良く見える。部屋の奥にはきちんと南向きに置かれたドールハウスらしき家具もある。
「あれ、お姉さんに良く似た女の人の写真がある」
バラ園をバックにした女の人の写真がフォトスタンドで微笑んでいる。さっきカフェの棚にもあった写真だ。でもショートヘアーのミリアとは違って長めの髪で、ちょっと落ち着いた感じもする。
「私が9才の時に、ガンで亡くなった私のお母さんなの」
「あ…」
「いいのよ…お母さんが私に残してくれたのが、このドールハウスだった。この小屋はもしかするとドールハウスのために建てられたものかもしれないの。でも、お母さんはガンだとわかった時はもう末期で、あっという間に死んじゃったから、私に伝える時間もなかった…」
ミリアの家族はバラ園の手入れをするためにこの広い敷地内に住んでいたそうだ。このバラ園が市に寄贈された時も、話し合いの結果ここに残ることになり、ここで育ったお母さんはとても喜んでいたという。小屋はその頃に造られたものらしい。このドールハウスのある小屋はお母さんがとても大切にしていた場所なのだと言う。
「とてもきれいで優しい母だった。でも何年かしてこのドールハウスを開けてみようと思ったけど、私には鍵すらない。どうにもならなかった。そして何年もそのままになってしまって…。お母さんがとても大切にしていた場所だから、お掃除だけは毎日しているけどね」
そしてミリアはドールハウスの前まで行くと、振り返って言った。
「マイコちゃんを呼んだのはね、私の唯一のドールハウスの想い出と関係があるの。人には言えないんだけど、小サイコロにお母さんと何度かここに来て、このドールハウスを開けて、遊んだ時…、夢のようなことだけど…、中に小さな妖精が動いているのが見えたの。お父さんも、誰も信じてくれないんだけど…。だからマイコちゃんが妖精から聞いたって言った時、これは本当かなって思ったの」
誰も信じない…、そうなのだ、お婆様が言っていた。大人になってしまったり、妖精をまったく信じない人には見えないのだと…。
するとマイコが静かに立ち上がった。
「ちょっとドールハウスを触ってもいいですか?…失礼します」
そして鍵のかくしてある隠し扉を探すとちゃんと引き出しが出てきた。ただ、中には鍵がなく、鍵は信頼できる方に預けてあります。と書いた紙とマイコのよく知っている人の住所が入っていた。
「ええっとこの住所は…」
マイコが、にこっとして答えた。
「私のお婆様です。たぶんこの鍵で間違いないと思います」
マイコはポケットから青い宝石のついた鍵束を取り出すと、ミリアに渡した。
「これが私のお婆様が預かっていた鍵だと思います。お返しします」
ミリアの手が震えていた、瞳が輝いているのがわかった。
「そんな…、本当に鍵が帰ってくるなんて…!ありがとう、本当にありがとう。ええっとどうすればいいのかしら…」
ミリアが1と書いた鍵を下の鍵穴に入れると、同じように扉が開いたが、中からは本棚のような、たくさんの本のようなものが入った棚が現れた。花瓶や掃除道具の引き出しや、あのスリムな木の人形の入った引き出しもあった。でも、ティールームドールハウスとはかなり違うようだ。さらに本棚の上の2つの大きな扉を開ける。
「わあ、すごい、お部屋がいっぱい」
1階に3部屋、2階にも3部屋、合計6部屋のまったく雰囲気の違う部屋が並んでいた。
下の本棚と言い、ここにどんな妖精が現れるんだろう?ワクワクしてくる。早く家具を並べたくなる。
「きちんとセットして、妖精を呼ぶ魔法をかける前にいくつかやることがあって…」
マイコは花瓶を取り出して花を生けるなど説明をはじめた。だがその時、小屋の外に人影が近づいてくる気配がした。
「父だわ、いい人なんだけど、妖精をまったく信じてないから…」
お父さんが入って来た。
「なかなか帰ってこないから、マイコちゃんのママが心配しておるぞ」
ミリアはマイコちゃんのおかげで、ドールハウスが開いたと報告し、お父さんも扉の開いたドールハウスを見て大喜びだった。
「…マイコちゃん、水曜日の午後、もう一度来られないかしら、うちは休園日だから、その日ならまとめて時間が取れるんだけど…」
平日は塾にもスポーツクラブにも行っていないマイコはもちろんオーケーだった。
「じゃあ、水曜日の午後にきますから、学校から急いで帰って3時頃かな、電話しますよ。その時にまた色々お伝えします…」
マイコとママは、紅茶とココアのお礼を言って、バラ園を後にしたのだった。
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