Chapter43 抵抗

 俺は返事をしない。それが相手への返答だった。シンドラーは小さく肩をすくめる。

「君のこれからの処遇についてだ。君にはここまでの制作に尽力してもらったからね。それに、ここで落とすには少し惜しい人材だ。どうだろう? 一階級特進で、また元の職場に戻るっていうのは?」

「は?」

「何だい、不満かね?」

「違う……あんたが何を言っているのか、よく分からないんですよ」

「もともとは二階級特進だっただろう、提示された条件が。一階級特進で課長だ。その年齢で課長なんざ、普通なれるもんじゃない」

「だから、そうじゃない」

「じゃあ何なんだ?」

「……あんた、俺が今さらあの職場にのこのこ戻りたいと思っているんですか?」

「違うのか?」

「そんなわけがないでしょう! いいですか? 俺はもう、人が何かを伝えようとすることを邪魔したくないんだ」

「適性があったのに? あの仕事は君に向いていただろう?」

「そうかもしれないけど、それとこれとは話が別だ。俺は、彼らを踏みにじるような仕事はもうしたくない」

「今さら何を言っているんだ、君は……」

「むしろ、俺はあんたが怖いくらいですよ」

「怖い?」

「そうですよ。だって、あんただって制作現場にいたわけじゃないですか? 何も感じなかったんですか? 彼らが真剣に何かを伝えようと物を作っているのを見て、まだ邪魔する気になれるんですか?」

「……じゃあ、君は元の職場に戻る気はないんだね?」

「ない」

「君だって最初に提示された二階級特進の意味を、理解していなかったわけじゃあるまい?」


 心臓が大きく鼓動する。二階級特進の真意。作品完成と同時に、俺を抹消するであろうこと。突如、目の前に突きだされた死の予兆。怒りで蓋をしていて忘れていた。だが——


「それが何だっていうんですか?」

「ふむ。じゃあ君はこれからどうするんだね」


 俺は、シンドラーから目を逸らさずに、考えた。俺は一体どうしたいのだろう? そして何が出来るのだろう? そもそもここを生きて逃げ切ることが出来るのか? この場は完全に相手のホームグラウンドだ。後ろにはリイもいる。力で敵うはずもなかろう。ハッキリいって、絶体絶命ってやつだ。考えはまとまらない。

 しかし、俺は口をついて、言っていた。


「あの映画を完成させます」


 シンドラーは目を見開いて、呆けた顔をした。

「はは、映画を完成させる? 一体、一人で、どうやって?」

「……どうやってもです。彼らが作ったってことを、俺は否定させない。あんたたちに盗ませやしない」

「こいつは傑作だな、実に滑稽だ! 一体何のためにそんなことをする?」

「彼らがここに居たってことを、彼らの映画を、世界に証明するためです」

「……彼らの映画、ね……君の映画だろう? 君が製作者なんだから」

「俺にそんな資格はありませんよ……俺もあんたと同じように彼らを騙してたんですから……」

「……そうかい」

 それだけ答えると、シンドラーは笑った。笑い声を上げたのではない。笑顔を俺に見せたのだ。それも、俺を煽るような笑みではない。何かに満足したような、そんな顔。今この場には似つかわしくない、落ち着いた凪のような微笑み。


「ありがとう。君はこれで本当に私たちの仲間になった」


 その瞬間、部屋全体の明かりが灯った。

 円形のホール。よく磨かれた大理石の床。木材を組んだ市松模様の壁。そしてその壁に沿って並べられた椅子。

 そこに座った者たちを見て、俺は腰を抜かした。リイが、倒れ込んだ俺をそっと支えてくれる。

「な、何で……」

 椅子にはビオスコープの面々が座っていた。ボーマンに、テリー、シュピルマン、津島、デロリス、マチルダ、それにワダさん。ビオスコープのメンバー皆が、集まっていた。

 ボーマンが立ち上がった。

「これで文句はないだろう? ロンは私たちの仲間ってことで」

 ボーマンが俺に歩み寄ってきて、手を差し出した。俺はその手を掴んで、立ち上がった。いまだに状況が飲み込めない。

「俺は信じていたぜ? こいつはきっとこっち側だってな」とテリー。

「バカ言ってんじゃないよ、あんた、思いっきり疑ってたじゃないか」デロリスが返す。

 俺はシンドラー=チャーリーを見る。

「悪かったね、一芝居打たせてもらったよ」

「一芝居……じゃあ」

「そうだ。私も君と同じ考えだ。映画を、創作を、人の手に取り返したいと思っている」

 そうか。ビオスコープは本当に、本当の地下組織だったんだな。

「初めから、あなたは……」

「まあ、色々経緯はあるが、私は、人が創るものを愛している。そしてそれが持つ力も信じている。だから、地下組織を作った。アキラに対抗するために」

「そう、ですか……」

 俺は、手を握ったままのボーマンを見る。

「そんな泣きそうな顔をするなよ」

 ボーマンはそう言って、俺の肩を軽く叩いた。俺は安心した。彼らが無事であることに安堵した。

 俺はワダさんを見た。

 彼女は席に座ったまま、動かずに俺を見ていた。そして言った。声は遠くて聞こえなかったが、その口は、こう言っていた。

「おかえりなさい」と。

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