Chapter42 敵

 あの飲んだくれのチャーリーがそこに座っていた。のりの付いた立派な青いジャケットに折り目の入ったグレーのパンツ、磨かれた茶色い革靴。

 俺は見間違えじゃないかと、何度も目をまたたいて見る。


「私だよ、チャーリーだよ、ビオスコープの」


 男はそう言って、手を広げる。本当に、チャーリーのようだった。

 にわかには信じがたい。じゃあなんだ? ビオスコープのボスは彼だったということか? 彼がオスカー・シンドラーなのか? いつも酒ばかりあおって、映画のうんちくを垂れていた爺さん。

 その爺さんが目の前で紳士然と座っている。

「あなたが、ビオスコープのボスなのか? あの地下組織を作った?」

「そうだよ。あそこではオスカー・シンドラーとも呼ばれていたな」

 顎に手をやり、ニヒルな笑みを浮かべる。あのチャーリーと同一人物とは思えないほど、聡明な印象を俺は抱く。

「……あなたが審議会の指示のもと、ビオスコープを作って、俺を呼んだんですか?」

 シンドラーは笑顔のまま答える。

「少し違うな。順番が逆だ。審議会の無能共に、私の方から地下組織を作るように進言したんだ」

「……あなたが?」

「そうだ。それと、君を呼んだのは私ではない。AIによって君が候補に選出された。ただそれだけだ」

「AI……」

 ここでもまたそれか。だが、そのステータスの診断も、時に誤ることがあるようだ。事実、俺はこの事業に失敗した。

「しかし、君には期待していたのに、何でこんなに制作が遅れた?」

 シンドラーがにべもなく尋ねる。若干の苛立ちが声に混じっている。俺は何も答えずに、光の当たらない黒い床面に視線をやる。

「いいか? 君が制作を進めなかったせいで、審議会の馬鹿どもが大層焦ってだな。その結果、ビオスコープが襲われる事態になったんだぞ?」

 俺は顔を上げる。

「ビオスコープのメンバーは? 彼らはどうなったんですか?」

 シンドラーが呆れたような顔をして、大きくため息をついた。

「君も大概のバカだな。ここにきて心配することがそんなことなのか?」

 俺はシンドラーの語気に気圧される。身体が硬直する。シンドラーは続ける。

「彼らは捕まったよ、当たり前だけどね」

「……そんな」

「そんなも何もないよ。事実、彼らがやっていたのは許されない行為なんだから」


 俺は絶句した。これがあのチャーリーなのか? 彼ほど深く映画を愛し、制作現場を居場所にしていた男は、他にいなかったではないか。その彼がビオスコープをバカにしている。


「何だよ、そんな顔で私を見ないでくれよ」シンドラーは片手を振って、面倒くさそうな態度をとる。「いいかい? 君が彼らに変な情なんか持たなければ……持っていたよな? でないとあんな風にスケジュールを遅らせるわけがないよな? 変な情なんざ抱かずにだな、粛々と撮影を行い、作品を完成させていれば、何の問題もなかったんだ」

「でも……それだとビオスコープが……」

「そうだよ、壊滅させられただろうさ、きっとね。だがね、君に何の関係があるんだ? 彼らは君の人生には何ら関わりのなかったはずの人間だよ。取締官と違法者、そういう関係以上のものは、何もなかったはずさ。君は国家公務員なんだ。あんなどこの馬の骨とも知らない奴らに、なに同情してんだい?」

「……そんな言い方はないでしょう」

「何だい、私に文句があるのか?」

「いえ……そうではないですが……」

「まあでも、君が同情しようがしまいが、結果は変わらなかった。彼らは結局捕まったわけだ。せめて作品を完成させてあげられれば、まだ救いがあったものを……それもこれも全部、君のせいだよ?」

「私の、せい……?」声が震えるのを感じる。「私のせいのわけがないでしょう……私は、彼らを守ろうとした」

「守ろうとした? 君は何も守れてやしないよ。この国の存亡も、彼らも」


 俺はうつむいた。

 腹が立ち、怒りに身体が震える。何故、ここまで言われなくちゃならない?

 俺だって製作に邁進した。この国のために、映画を作ろうとした。良い線までいっていたのだ。

 確かに俺は、映画の、創作物の、人の紡ぐ物語の、価値を知った。何かを真摯に伝えようとすることの、価値を実感した。

 その結果、つまずいた。審議会の望むようなものを完成させられなかった。しかし、その審議会だって、俺を切ろうとしていたんじゃあないのか?

 目の前にいる奴に、一体全体どんな理由でこんなに罵倒されなくちゃいけないのか。

 俺は言い返した。

「いいですよ、別に守れなくても……」負け犬の遠吠えだった。「でも、あなた方も困っているはずだ」

 シンドラーが怪訝な顔を見せる。俺は続ける。

「作品は完成していない。当分の間、アキラの代わりになる作品はない。さぞかし困っているはずだ」

 嫌味を込めて、言ってやる。だが、シンドラーは頭を掻きながら、鼻で失笑した。

「いや、そんなことはない。あの作品は我々の手でリメイクする」

「……リメイク?」

「そうだ。アキラ二号機がついに稼働するからね。あの作品は途中まで出来ているから、アレの試運転にはもってこいだろう」

「ちょっと待て……あの作品に出ているのは、本当の人間なんだぞ? CGじゃない」

「それが何だって言うんだ。出演者たちを模したCGモデルを作らせればいい。少なくとも人間が演じるよりも自然にやれるだろうさ。それに見た目だって、もう少し美男美女に修正できるだろう」


 俺は拳を固く握った。あのワダさんの演技を、№∞たちの演技を、人工知能にやらせる? あまりにも人を侮辱した態度だ。彼らが真剣に演じたものを、明らかに愚弄している。


「だいたい私は、作品の品質を適合率八十五パーセントで良しとしたのも、正直気に入らなかったんだよ。目指すなら百パーセントだろう、仕事っていうのは。なあ?」

 俺はシンドラーを睨んだ。だが、そんなことはお構いなしに彼は続けた。

「脚本についても多少の修正が必要だな。君らは結末で揉めていたが、その前のシーンでもいくつか不都合が見受けられるし、正直もたついた脚本だったよ。主に、あの学生が余計なシーンや台詞を入れたがったせいだろう。一定程度のレベルの人間を集めたにも関わらず、これだからな。やはり映画製作ってのは難しい」

 そう言って、シンドラーが笑った。


 そしてその瞬間、俺は我慢がならなくなった。スポットライトの灯りを無視して、俺はシンドラーに歩み寄った。一発殴ってやらないと気が済まない。こいつは、彼らが作った作品を冒涜している。作品の出来不出来とは別に、こいつは彼らそのものをコケにしている。そんなことは許せない。

 だが、あと少しでシンドラーというところ——


「イチカワさん、抑えてください」

 俺は後ろから腕を掴まれる。振り返ると、スポットライトを背景に、リイが俺を捕えている。

「邪魔すんな」

「いいですから。落ち着いてください」

 俺は察した。ああ、こいつは結局シンドラーに所属しているのだな。こいつも結局は政府の手先なのだな。審議会で助け舟を出してくれて以来、いや、それ以前からも生活を共にする中で、俺は微かな親愛の情を抱いたりもしたが、それもやはり、全てまやかしだったのだ。

 抵抗しようとしたが、リイは一歩も引かない。掴まれた腕が徐々に痛む。俺は、仕方なく力を抜く。リイが手を離した。

「あんまりかっかするもんじゃない」

 シンドラーが言った。相手を睨んだまま俺はその場に立ち尽くし、次の言葉を待つ。

「で、ここからが君への相談だ」

「……相談?」

「そうだ。今日ここに君を呼んだ理由は、それだ」

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